63.狂気の世界へ




……ブロロロロロ………


……私は、母さんの運転する車の助手席に座って、夕暮れに照らされた赤い町並みを眺めていた。


明さんと湯水が対峙したあの日から、早二週間。私は明さんと表向きは別れたことになっていて、登下校は母さんに送ってもらうようになった。


明さん曰く、『俺と一緒にいると絶対に湯水から狙われるから、離れた方がいい』とのこと。正直、もう既に湯水にはターゲットにされていそうな気もするけど……明さんとしては、今も仲良さげにしているよりはターゲットにされる確率も低くなるだろうと思っているらしい。そのため、私はここ数日、学校でまともに明さんと話していない。もちろん、登下校も別々になった。


ただ、かと言って私一人で登下校するのはもちろん怖い。なのでこうして、母さんに送り迎えをしてもらうよう頼んだのだ。母さんには、湯水関連の事情を伝えているため、送り迎えも応じてくれたのだった。明さんは『メグちゃんを見守れなくなって申し訳ない』と謝っていた。私は別に怒ってはいなかったが……でもやっぱり、寂しかった。私が、じゃなくて……。明さんが、どんどん自分から一人になろうとしているのが……苦しいくらいに寂しかった。


「ねえ、メグ」


母さんは運転しながら、私に向かって話しかけた。私は窓の方に顔を向けたまま、「なに?」と言って答えた。


「その……なんだっけ、湯水って子は……まだ学校に来てないの?」


「……うん、ずっと空席のまま。先生に聞いても、曖昧な返事をされるばっかりで……良く分からない」


「怖いわねえ……。最近の子は、何を考えているかちんぷんかんぷんだわ。好きな人から嫌われたいなんて……どこも共感できないもの」


「……………………」


母さんが言ったその言葉に、私は一言も返さなかった。確かに湯水の気持ちは振り切れすぎ……極端すぎな気もするけど、実は個人的には、全く共感できないわけじゃない。


むしろ……その発想はなかったというか、『そっかなるほど』なんて、ちょっと納得しちゃってる部分さえある。


(あの明さんから美結のことを忘れさせるのが無理なら、一番憎悪されるようにしようって……そんなの中々思い付かない。たとえ思い付いたとしても、実行に移そうと思えるのが凄い。湯水は本当に……気が狂ってしまうほど、明さんを好きになっちゃったんだね……)


いや、あるいはもともと、彼女は狂っていたのだろう。それを分かりやすく表現する機会が産まれたから、そうなっただけなのかも知れない。


「あのねメグ、私……思うのよ」


母さんは赤信号で止まると、再度私へ話しかけてきた。


「その湯水って子は、本当は相当な寂しがりやなんじゃないかって」


「寂しがりや……」


「好きな人に対する接し方も、なんだか凄くぎこちないじゃない?モテる子であるはずなのに、本当に好きな人の前では、はちゃめちゃになっちゃう。それはやっぱり……なんだかんだ湯水って子が寂しくてそうなっちゃうような気がしてならないの」


「……………………」


「それでね?私今度……湯水って子のご両親に会いに行ってみようと思うの」


「え?」


私は窓の方から視線を変えて、母さんに向ける。母さんも、いつになく真剣な眼差しで私のことを見ていた。


「実はね、もともと湯水さん宅に行く予定を立ててたのよ。というのも、メグがその子にぶたれたことについて、話に行こうと思っててね?」


「……………………」


「今回の行方不明についてもそうだけど、湯水さんの娘さんは、かなり自分の衝動を抑えられない傾向にあると思うの。その衝動は何が原因で起きてるのか……それを知るためにも、一回会っておきたいのよね」


「で、でも……危険じゃない?湯水の家に行くなんて……」


「そりゃちょっと身構えはするけど、メグも明くんたちも困ってるのに、それを野放しにはできないでしょ?ぶたれたことはちゃんと報告して謝ってもらわないといけないし、明くんたちへ迷惑かけてることも、親の立場として娘を叱ってもらわないと」


「……………………」


それは……確かに、母さんの言う通りだなって思った。母さんの立場からしたら、ちゃんと湯水の親と話をするべきだって思うよね……。


(でも……なんだろう?この胸騒ぎ。すごく……怖い。嫌な予感がする……)


「メグ、どうしたの?」


「え?」


「凄く怯えた顔をしてたけど……大丈夫?」


「う、うん。平気」


私はそのゾワゾワ感がなんなのか分からなくて、咄嗟に嘘をついた。


一応……このことについては、明さんや柊さんにも報告しておこうかな……。



ビッビー!



私たちの真後ろにいる後続車から、クラクションを鳴らされた。


「あらいけない!信号が青になってたわ」


母さんがブレーキからアクセルへ踏み変えて、直進していく。


夕日はどんどんと沈んでいき、いつしか街のビル郡に囲まれて……消えていった。














……ひとつしかない窓からぼんやりと差し込む月明かりだけが、その部屋の中の唯一の光だった。


私はベッドに寝そべって、スマホで撮ったアキラの写真を、かれこれ数時間眺めていた。


その写真は、私がアキラのことを尾行しながら隠し撮りしたもので、喫茶店で一人物思いにふけっている時の様子を撮している。その時の寂しそうにしている彼の顔を拡大している画像なのだ。


「アキラ……」


私は“もう一度”、その写真にキスをした。


写真の中のアキラは、何も反応を示さない。でも、それで一向に構わなかった。


「はあ……アキラ……」


何度もキスをしてるせいで、スマホの画面が微かに濡れている。そのスマホを胸の上に置いた。


今の私は、全身一糸まとわぬ姿だった。深いブルーの月明かりが、私の肌を青白く照らしている。すっと腕を真っ直ぐに伸ばすと、闇の中に青白い手だけが、闇から切り抜かれたようにそこにある。


冷たい外気に触れた肌が、ぴりっと寒気を感受する。それも不思議な興奮となって、より私を昂らせた。


「アキラ……好きよ。好き……」


私はスマホをもう一度手に取り、さらに口づけを交わした。


交わしていく度に息が荒くなる。まるで本当に、彼とキスをしているかのような錯覚に陥り、“濡れて”きてしまうのが分かる。


「……アキラ、あなたよくも、私の人生を狂わせたわね」


あなたのせいで、私……こんなになっちゃったじゃない。昂る感覚を抑えられない……発情したメス犬みたいなことをしているなんて。


ふふふ、でも……この狂っている感覚、脳の奥がビリビリっと痺れるような快感があって……もう、今さら戻れないのよね。


恋ってきっと、麻薬なのよ。今までは無くても大丈夫だったはずなのに、一度恋に落ちると……それが無いと生きていけないくらいに依存する。


この私が、湯水 舞が……誰かに恋なんてするわけないと思ってのにね。


「…………ふふふ」


アキラ、私最近ね、なんであなたのことがこんなに好きなのか、考えてみたの。


だってあなたは、御世辞にも言えないほど、私の好みの顔じゃない。あなたよりイケメンの男の子と、それこそ両手では数えられないほどに付き合ってきた。


それなのに、今はもう、あなた以外眼中に無い。あなたとわたし以外の人類を滅ぼしてしまいたくなるくらい、あなたが好き。


それが本当に、不思議で仕方ないの。


だいたい私は、本来自分以外の人間が大嫌いなの。だって、どいつもこいつもバカばっかりでしょ?付き合っていた彼氏でさえ、『私に触らないで』って思っていたのに。キスはおろか、手を繋いだことすらない。ただただ間抜けな男たちが私を切望したり、貢いだりしている様を見て、『バカねえ』と見下す感覚を楽しんでいただけ。


(そうよ、世の中どいつもこいつもバカしかいない。『いじめはダメだ』と説教垂れるくせに、クラスのいじめは見てみぬフリをする教師。愛してるわと言いながら、少しも子どもの気持ちを知ろうとしない親。ずっと友だちだとかほざきながら、内心はマウントバトルをしているクラスメイト。好きだよと言いつつ、私の身体にしか視線のいかないゲスな男たち……。どいつもこいつも、当たり障りのない綺麗事を言って、自分を誤魔化して生きている。バカとしか思えない。そんなバカは全員、私のために死ねばいいのにって、毎日のように思ってる)


そう、どこを見渡しても、誰一人として『生きていない』のよ。言葉に熱さがない。力がない。身体が震えるほどの本心じゃない。だから何人踏みにじろうが、しったこっちゃないの。だってもともと死人だった人間をさらに踏んづけたところで、罪悪感なんかあると思う?


「そうでしょう?アキラ」


私は彼の顔を思い浮かべて、その彼に向かって話しかけてみた。頭の中の彼は、眉を潜めて、むっと口をつぐんでいた。


「うふふ、可愛い♡」


ああ、アキラ。あなたが向ける私への眼差しは、いつだって本心100%……。不純物のない、透明な水晶みたいな、そんな輝きがある……。


その眼差しが、ほしくてほしくてほしくてほしくてほしくてほしくてほしくてほしくてほしくてほしくて……ああ、変になる。


初めはあなたのことなんて、まるで興味なかったはずなのに……。ただ人気だからって理由で、いつものように手に入れようとしただけなのに……。


「はあ……」


アキラ……私はあなたに出会ってから、初めて音楽の好みが産まれたの。それまでどれも別に……ただの雑音だって思ってたのに、あれが好きこれが好きって、そんな風な気持ちが産まれだした。


あなたと会う前の人生が前座かも知れないって、私はあの日言ったわよね?きっとそれは本当なのよ。あなたと会ってから、私は息をし始めたの。


「アキラ……」


私は、スマホのライト機能を使って、天井を照らした。そこには、数えきれないほどに貼られた……アキラの顔写真。いろんなアキラの写真をプリントアウトして、私がそこに貼り付けた。


隙間なく敷き詰められた写真に写るアキラは、全員こちらを向いている。このベッドに横たわると、その視線を一斉に受けられるように作ったのだ。


「ああ……アキラ!!」


その眼に見つめられて、私の全身がびくびくっと痙攣した。


「私を観て!!私の存在を感じて!!私がここにいるって……肌がひりつくくらいに思わせて!!」


胸から心臓が飛び出しそうになるほど、鼓動が激しく動き出す。火照った身体をくねらせて、ベッドのシーツをぎゅっと掴む。舌を出して、犬のようにハアハアと呼吸をする。ああ……ああ……




気持ちいい。







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