62.離ればなれ









………………どんよりと曇った7月のある日。


私はとある喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいた最中に、明氏から電話を受けた。


「もしもし、明氏?」


『柊さんすみません、今大丈夫ですか?』


「ちょっとお待ちください」


そう答えて、自席から店内にいる全員の顔をチェックした。


私は、老舗のオーラが漂うこの喫茶店の奥……店の角に位置する席を確保している。この角に対して背を向けるように座れば、店内を一望でき、周りにいる人間の顔がすぐに判別できる。


「大丈夫です明氏、周りに“湯水はいません”。話しても問題ないです」


『良かった……ありがとうございます』


明氏の声は、最近覇気がなくなっている。いつもどこか疲れた声色で、私は内心心配で仕方ない。


『……柊さん、美結の様子はいかがですか?』


「ええ、最初の頃よりは元気にしていますよ。だけど……やっぱり明氏に会えなくて、寂しがっています」


『……………………』


電話機の向こう側が、しばらく沈黙していた。そして、微かに『そうだよな……』という独り言が、私の耳に届いていた。


『俺も会いたいよ……美結……』


「……………………」



『すみません柊さん……。美結のこと、しばらくあずかってもらっちゃって……』


「いえ、全然お気になさらず。私のところへ尋ねに来てもらえたのは、最良の判断だったと言えます。湯水も、明氏が美結氏をどこかへあずけるだろうことは予測していると思いますが、だとしても、可能性として考えるのはメグ氏宅……。湯水は私のことは知らないので、その候補にあがらない。最近では城谷ちゃんも一緒に住んでいますし、かくまうには一番のところです」


『……………………』


「しかし気をつけないといけないのは、今も湯水がどこかで見ているかも知れないということ……。なるべく私と会う機会は少ない方が良いでしょう」


『はい……』


明氏の話によると、ある時から湯水はぱったりと学校に来なくなったと言う。


表向きは単なる不登校だということらしいが、私が独自で調査したところ、現在行方不明になっているらしい。


家にも帰ってきておらず、親から警察へ捜索願が出されたとのこと。また、親の証言によると、部屋には『探さないでほしい』旨の書置きが残されていたと言う。


傍目にはよくある若者の家出に思えるが、明氏や私を含め、湯水の本性を知る人間からすれば……彼女は絶対に『明氏へ嫌われるための最善を尽くすために策を練っている』としか思えない。




『あなたはきっと、自分が傷つけられるより、自分の大事な人を傷つけられる方が嫌なはず……!だから私は、その方法を使って嫌われることにする!!』




明氏から湯水の言葉を初めて聞いた時……人間とはこれほどまでに、極端で振り切った感情になれるものかと思った。


憎悪の眼差しでいいから、自分を観てほしい……。その心境はあまりに歪んでいる。しかし、その覚悟の決まり具合は、私と同じようなものを持っている気がした。


(だがこれで……明氏の周りが一気に危険になった。美結氏はもちろんのこと、メグ氏も藤田氏たちも……湯水のターゲットにされやすくなる。湯水がどんなことを仕掛けてくるのか判断ができない以上、迂闊に動くことは命取りになる……)


本来ならば、明氏も私たちのところで保護するべきなのだが、湯水の狙いはあくまで“明氏の付近の者たち“。明氏が他の人間と一緒にいる場面を、万が一湯水に目撃されてしまったら、湯水のターゲットが無数に増えてしまう。それを考慮した明氏は、一人でいることを決意したのだ。私と城谷ちゃんが何度か説得したが、「柊さんや城谷さんにまでターゲットが広がる可能性は無くしたい」と言って、彼は拒んでしまったのだ。


(今は彼自身を狙っていないとはいえ、あの気狂い女がいつ心変わりするか分からない……。なるべく明氏とも、密に連絡を取り合うようにしておかねば)


それに、迂闊に動くのが危険だからと言って、対策を何もせず放置しておくのは危険。まずやるべきなのは、湯水がターゲットにしそうな人たちの安全の確保……か。


「明氏、少しいいですか?」


『はい?』


「メグ氏と藤田氏、それから葵氏にも……ひとつ伝言を頼まれてくれませんか?」


『伝言……?』


「明氏を含めた各四人からそれぞれ、時間帯をバラバラにして警察に『自宅付近で不審者……湯水 舞を見た』と通報してもらってください。それから、しばらく付近をパトロールしてもらうよう要請するんです」


『……!なるほど、先手を打つわけですね』


「ええ、“湯水に襲われそうになった”と警察へ偽りの通報を今のうち入れておけば……湯水が本当に襲いに来た時に対応できます。湯水が行方不明者であることから、警察も普段の通報案件より力を入れようとするはずです」


『確かに……』


「あと、可能ならば家族にも事情を話してあげるべきですね。狙われる可能性は大いにある。情報の共有は、なるべく密にした方がいい」


『わ、分かりました。この電話が終わったら、すぐ三人へそう伝えます』


「うんうん、それがよいでしょう」


『……俺、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。俺が……みんなを巻き込まなきゃ……こんなことには……』


「何を言ってるんですか、悪いのは湯水です。人が困るようなことを率先して行うあいつが悪い。そうでしょう?」


『……………………』


「明氏、美結氏と離ればなれになって、心境的にかなり辛いのは分かります。ですが、大丈夫……!私たちがみんなついていますから。一緒に乗り越えていきましょう」


『……柊さん』


ありがとうございます……と言って、明氏は泣いていた。鼻をすすって、息が荒くなっているのが電話越しに伝わる。いつも精悍な明氏も、さすがにだいぶは参っているらしい……。


(そりゃそうだ……。毒親たちとようやく離れられたと思ったら、その毒親……美喜子の死。次いで湯水の告白があり、そしてそれに伴い、恋人と離ればなれに……。どれか一つでも重たいと言うのに、一辺に三つも襲いかかってくるとなると、もうストレスを感じるなという方が無理な話だ。どんなに大人びた性格だと言っても、明氏だってまだ高校生……。私たち大人が、彼と美結氏たちを……守らなきゃ)


私は彼の電話を受けながら、改めて決意を新にした。












「……城谷さん、お昼ご飯ができましたよ」


美結ちゃんの言葉に、私は「はーい」と言って返した。


ここは、千秋ちゃんと私、そして美結ちゃんの三人で住んでいるマンションの一室。オートロックの五階建てで、防犯面にかなり力を入れている物件なので、女性の入居者が多い。


美結ちゃんをかくまうに当たり、私と千秋ちゃんが共同で賃貸した部屋で、もともと備えつきの家具がある。


「いつも作ってくれてありがとうね、美結ちゃん」


四角い四人がけのテーブルを挟み、それぞれ対面して座る私と美結ちゃん。テーブルには彼女の作ってくれた肉じゃががあり、それをご飯やお味噌汁と一緒に食べている。


「これくらいしか、お返しすることがありませんから」


美結ちゃんは少しだけ微笑むと、すっと顔をうつむかせて、黙って昼食を食べ始めた。


「……………………」


美結ちゃんは、ここにいることにかなり気を使ってる。だから自分からご飯を作ろうとしたり、掃除や洗濯を率先してしようとする。


最初は『家事なんて気にしないで、ゆっくりしてていいよ』と言ってはいたのだが、彼女はどうしてもやりたがるのだった。


(まあ……何もしないでいる罪悪感もあると思うけど、何か雑務をしていると……明くんのいない寂しさを少しでも和らげるのかも知れない)


そう思った私たちは、美結ちゃんの好きなことをしてもらうことにした。だからこうして、毎日のご飯も彼女が作ってくれてる。


美結ちゃんのご飯は、とっても優しい味がする。この肉じゃがも、じゃがいもがホクホクで温かいし、味噌汁だってホッと安心できる味がする。料理は作る人の性格が出るって言うけれど、きっとそれは本当だと思う。


「うん!美結ちゃん、今日のご飯も、とっても美味しいよ!」


「……えへへ、良かったです」


美結ちゃんはまたしても、少しだけ微笑んだ後、眼を伏せて……さっきと同じようにして黙々と肉じゃがを口に頬張る。


「……………………」


よくよく考えたら、明くんと離ればなれになるのは初めてなんだよね……。家出した時も、児童相談所で二人一緒だったし、ずっと今まで支えあってきて……。なのに、ここに来て別々だなんて、寂しいに決まってるよね。


(かと言って、気晴らしにお出かけしようにも、美結ちゃんは怖いよね……。どこに湯水がいるか分からないし、下手に外へ出られない)


つくづく湯水には、ずっと困らされてばっかり。早くこの一件を解決して、二人には幸せでいてほしいな……。


「……あの、城谷さん」


「え?」


まさか美結ちゃんから声をかけられるとは思っていなかったので、私は思わず聞き返してしまった。


「今日は城谷さん……お出かけする予定、あります?」


「ううん、今日はおうちにいるよ?仕事はお休み取ってるし、安心して?」


「……………………」


「……どうかしたの?」


「あの、今度……ご飯とかを買いに行かれる時があったら……併せて買ってきてほしいものがあるんです」


「買ってきてほしいもの?」


美結ちゃんは、こっくりと頷いた。


「アルバムを……買ってきてくれませんか?もちろん、お金は返しますから」


「アルバムを……?何か、写真を整理したいの?」


「はい、お兄ちゃんとの思い出をまとめたアルバムを作りたいんです」


「……そっか、うんうん。素敵なアルバムだね。分かった!じゃあ、明日仕事の帰りに買ってくるね?」


「ありがとうございます」


「ふふふ、いいの。気にしないで?」


「……………………」


「……美結ちゃんは、今まで明くんとどんな写真を撮ってきたの?」


「いえ……まだ、ほとんど撮ったことありません」


「え?でも、アルバムに……」


「そのアルバムには、これから撮る写真をいれていきたいんです」


美結ちゃんはお箸を置いて、眼を閉じた。


「私は今まで、湯水との一件以来……ほとんどおうちから出れていません。お兄ちゃんと買い物に出たり、少し遠出をしたりするくらいで……遊園地や水族館とか、そういうお出かけデートを……あまりしていないんです」


「……………………」


「だから、これからアルバムに……たくさん思い出を詰めるんだって、これからもずっと一緒だった、そういう意思表示のために買いたいんです。お兄ちゃんとたくさん、いろんなところに行きたい。いつもそばで手を繋いでいたい。数えきれないくらいに、写真を撮っていたい……」


「……美結ちゃん」


彼女の瞳に、涙が溜まっていた。ああ……本当に美結ちゃんは……


「……本当に美結ちゃんは、明くんのこと、大好きなんだね」


心の中で考えていた言葉が、思わず口をついて出てきた。美結ちゃんは「はい」と言って……はっきりとした口調で……こう告げた。


「愛してます」










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