61.湯水 舞





ごおおおおおおおおおお…………



……雨と風が吹き荒れる中、俺は……湯水から面と向かって……ついに言われた。


もう言い逃れもなにもできないほどにはっきりと、彼女は俺に……好きだと言った。


「……………………」


押し黙っている俺へ向かって、湯水はさらに……追い討ちをかけるように告げる。


「アキラ……私、もうダメなんだと思う」


「ダメ……?」


「あなたのことになると、私……どうしようもなくなる。自分で自分が分からなくなるほど、心がかき乱される。あなたのすべてが欲しくなる」


「……………………」


「好きよ、アキラ……」


「……湯水」


「好き、好き……」


湯水はこちらへ身体を向けて、すうっと息を吸って……思い切り叫んだ。



「好きーーーーーーーーーー!!!」




……湯水の声は、中庭に響き渡った。そして、さらにそのまま天を仰いで……凄まじい高笑いを始めた。





「ははははははははははははは!!!!あははははははははははははは!!」


はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!




……あまりに異様な光景だった。


激しく吹き抜ける風に髪を乱され、土砂降りの雨を飲み込む勢いで口を開けて笑う彼女の姿は……狂喜的ですらあった。


一体何が、彼女をそこまで高ぶらせるのだろう?


「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!あはは!ははははははは!!はははははははははははははははははははははははは!!!」


「……………………」


「ははははは!!はは!はあーーーーーーーーー…………」


……ひとしきり笑って落ち着いたのか、湯水は視線を天から地面へと移し、肩で息を切らせながら、満足げな笑みを浮かべていた。


「……湯水、なぜメグちゃんを殴ったんだ?」


俺がそう質問すると、顔を下に向けたまま、視線だけを俺へ移した。上目遣い……なんて可愛いものではない。それは、鋭い虎のような三白眼であった。


「……………………」


湯水は、口許に笑いを浮かべてはいるが、完全に眼が据わっていた。ハイライトのない……闇の深い瞳だった。


「ねえ、アキラ」


「……なんだ?」


「今は、他の女の話は止めてよ」


「……………………」


「私のことだけを観て……。今は、私だけを……」


「……………………」


「その眼差しを向ける理由が、たとえ憎悪でもいい……。私にだけ、その目を向けて……」


「……………………」


「ねえアキラ。私……私ね?今こんなに濡れてるはずなのに……身体が熱くて仕方ないの。あなたがここにいるって事実に……燃えるほど嬉しくなってるの」


「……湯水」


「アキラ、あなただったら……私のこと、抱いたっていいのよ?」


「……!」


そこまで言われて、俺はようやく気がついた。


湯水の雨に濡れた制服の下に見えるのは、素肌だった。あいつ、ブラジャーやキャミソールを着ていない。ぴちっと濡れて肌に張りついた制服の上から、肌色が透けて見える。


そして……胸の先端部分には、仄かに赤いピンク色の点までも確認できる。


湯水は、そんな自分の姿を自覚していて……尚且つ煽るようにして……背筋をピンと伸ばして、自信満々に胸を張った。


「……………………」


俺は眼を閉じて、ぷいっと顔を横に切った。


「アキラ!!私を観て!!私から眼を逸らさないで!!」


雨音や風の音よりも遥かに大きな湯水の声が、耳の奥へ届く。


「私!誰にだって身体を見せることはなかった!どんな男を落とす時も、色仕掛けは絶対にしなかった!そんな下品なテクニックは、凡人のすることだって思っていたから!」


「……………………」


「付き合ってるだけで心を許してると勘違いしてる、セックスにしか興味のないバカな男たちに押し倒されそうになったこともあったけど……!でも、絶対に、指1本触れさせなかった!」


「……………………」


「だけど私!あなたなら見せてもいい!いや、違う!あなたじゃなきゃイヤ!あなただけ観てほしい!」


「……意味が分からない。なんでお前……俺をそこまで…………」


「私だって分からない!でも!もう無理なの!ダメなの!頭で考えてたら追い付かない!心はその先を走ってるから!」


「……………………」


「ほら!アキラ!こっち向いて!あなたに観て欲しくて、髪もこんなにした!あなたに観て欲しくて、服もこんなにした!あなたに観て欲しくて…………私…………」


「……………………」


彼女の言葉を受けて、俺は眼を見開いた。そして、横に向けていた顔を再度真正面へと……彼女の方へと戻していく。


「……湯水、何度も言わせてもらうが……俺は、お前のことが嫌いだ。どうしようもなくな」


「……………」


「お前は、たくさんの人を苦しめた。お前の足元には、いろんな人の無念や悲しみ、怒りや苦しみの残骸が眠っている。それを踏みにじってお前は生きている」


「……アキラ」


湯水はゆっくりと、こちらに向かって歩いてきた。彼女の顔はひどく高揚していて……頬が赤く、眼がばっちりと……俺を逃がさないとでも言うかのように、見開いていた。


俺の前までやってきた湯水は、右手の平を、俺の左頬へと持ってきた。そっと頬を撫でるように、彼女は俺へと触れてくる。


「アキラ、確かに私は……たくさんの人間を踏みにじった。でも、それは全部……脇役の人間たち。私と……そして、“あなた”という主人公のために……私たち二人を輝かせるために用意されたもの。そんなものを踏みにじったところで、私はいちいち気にしないわ」


「……やっぱり俺は、お前を好きになれる気がしない。人はみな、それぞれの人生の主人公だ。お前と俺だけでなく……みんながみんな、主人公なんだ。この世に踏みにじって良い人間なんて、一人もいない…………」


「………ふふ、ふふふふ」


「何を笑ってる……?」


「あなたは本当に、どこまで行ってもあなたなのね……」


「……………………」


「好きよ、アキラ」


「……………………」


「ああ、心臓がバクバクする……。今までこんなに、激しく動いたことなんてない。高ぶる高揚感に目眩がするほど、漏れ出す吐息が激しくなるほど、何かをこんなに切望したことがない……」


「……湯水」


「この高揚感を、生きてる実感と呼ぶのであれば……私の今までの人生は全て前座で……ここからが本当の……私の人生と呼ぶのかも知れない」


「……なんだ湯水、詩人にでもなるつもりか?」


「ふふふ、アキラ……前にも同じことを言ったわね」


「……………………」


俺は、湯水が差し出している右手を払いのけて、彼女に言った。


「湯水、お前は美結をいじめた。お前のせいで……彼女の人生は歪んだ」


「……………………」


「お前には必ず、その落とし前をつけてもらう……!絶対にだ!」


「ふふふ、そんなに怖い顔をしないでよ、アキラ。私はこんなに、あなたを想っているのに。胸一杯にあなたが好きなのに」


「黙れ!俺はお前のことなんて……胸一杯に大嫌いだ!」


彼女に向かってそう怒鳴ると、湯水は……堪らなく口許をニヤけさせて、糸のように眼を細めた。


「……ああ、アキラ。そう、そうやって私を観て……!!」


湯水はくるりと俺へ背を向けた。そして、そのまま真っ直ぐつかつかと歩いていった。


「私……決めた!決めたわ!」


そして、意味不明な言葉を叫ぶと、また全身をこちらへ向けた。そして……声高らかに宣言した。



「アキラ!私は……あなたに精一杯嫌われることにする!」



彼女の顔は、歪んだ笑みで満たされていた。一見すると、頬から耳まで赤く染めた恋する乙女であるはずなのに……彼女の持つどす黒いオーラが、凄まじい狂気を放っていた。


「あなたは渡辺 美結を愛してる!!たぶんそれは!もう動くことのない感情!どう足掻いてもあなたは彼女を愛することを辞めない!あなたはきっとそういう人!それを貫ける人!さしずめ渡辺 美結は、あなたの“愛”を独り占めできる人間と言うところね!」


「……………………」


「なら私は!あなたの“憎悪”を独り占めする人間になる!!この世で一番、私のことを嫌いになって!誰よりも私を憎んで!!そうしたら、あなたの視線はずっと!私のもの!」


暗く深い黒々とした空に、彼女の声がどこまでも広がっていく。


「ああ……!そうしたら、私……やりたいことがたくさんある!あなたの大事な人をみんな壊したい!あなたの大事なものをみんな燃やしたい!!」


「……!!」


「あなたはきっと、自分が傷つけられるより、自分の大事な人を傷つけられる方が嫌なはず……!だから私は、その方法を使って嫌われることにする!!」


「クソ野郎め……!!自分が何を言ってるのか分かってるのか!?」


「ええ!今までにないくらい、自分のやりたいことが分かるわ!誰かに強制されてるわけでも!完璧な私を取り繕うためでもない!私が!私自身が!湯水 舞という人間が本当に心から望んでいることが!心の底からほとばしるの!」


湯水は両手を広げて、その場で踊りを舞った。その踊りは、この場に漂う不気味な空気感とは裏腹に……非常に洗練された、優雅で美しい……一枚の絵画が何回も連続する様を見せつけられているような、そんな感覚に陥った。


全身に豪雨を浴びてなお、湯水の笑顔は曇りを見せない。むしろその雨がさらに……湯水の中にくすぶる火を……強く激しい業火へと点火させているようにすら思える。



「……湯水!何時だったかお前は!俺にこう言ったな!?」




好きの反対は無関心。嫌いの反対も無関心。つまり、好きであることも、嫌いであることも、関心があることの証明


憎しみもまた、ひとつの繋がりなのよ




「今まさにお前は……俺にそれを仕掛けようと言うのか!?憎しみで良いから俺と繋がろうと!そんな……そんなおぞましい方法でしか!お前は俺と繋がれないのか!?」


「あなたの心に渡辺 美結がいる限り!そうする他ないじゃない!それとも何か!?渡辺 美結を捨てて私を愛してくれるとでも言うの!?」


「……………………」


「いいのよアキラ!あなたはあなたらしくいて!私のことが大嫌いでいて!!私のせいでたくさん傷ついて!!私を殺したいくらいに憎んで!そうだ!いっそ殺してよ!私のこと殺してよ!あなたにだったら私、嬉しい!!あなたに殺されたい!!」


「湯水!お前はイカれてるよ!!本当に本当にイカれてる!!」


「はははははははは!!アキラ!この世にいる者はみんな主人公なんでしょう!?踏みにじってはいけないんでしょう!?なら!私みたいな主人公がいたって構わないわよねえ!?踏みにじっちゃいけないわよねえ!?」


「……!!」


自分の言った言葉に、意味を上乗せされて返された。やはりこいつ、頭の回転が半端なくいい……!


その才能を、もっと違うことに使えばいいものを……!なんつー野郎だ!湯水 舞!



「アキラ!好き!好きよ!この世の誰よりも好きよ!」



美結にいつも言われる言葉が、発されてはいけない女から言葉にされた。



「好き!好き好き!」



大好きーーーーー!!




……俺たちと湯水の、夜に降り注ぐ豪雨のような戦いは、未だに日の光をさしてくれない。


夜が明けるまで……雨が止むまで……


戦い続ける他ないのだ。






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