60.VS湯水(part16)






……俺はいつものように、下駄箱付近でメグちゃんを待っていた。


雨音が激しくなるのを聴きながら、「メグちゃんは傘を持っているだろうか?」と、そんな心配をしていた時。


「よお、明」


俺へ声をかけてきたのは、友人の飯島 圭だった。つんとつり上がった狐のような目で俺を見ている。


「なんだ、圭か」


「なんだとはなんだ、明。失礼な」


「なんだとはなんだとはなんだ、圭。お前にはそれで十分だろ?」


「なんだとはなんだとはなんだとはなんだ、明。嫌味な野郎だぜ」


そう言って俺たちは、ケラケラと笑いあった。


「もしかして明、“これ”待ちか?」


圭が右手の小指を立てて、俺の顔の前まで持ってくる。俺がそれを払いのけて、「当たり前だろ?」と返すと、圭は「おいおいずるいだろ~!」と言って嘆いた。


「お前、可愛い義理の妹もいれば、年下彼女までいて!」


「圭の方は、なんか浮いた話とかないのかよ?」


「……ん、まあ、一週間前に彼女ができた」


「マジ!?おいおい良かったじゃ……」


「んで、昨日フラれた」


「……良くなかったか、すまん」


「なーに、気にするな。インターハイ前だし……ちょうど空手部の方に専念したいなと思ってたところだ」


「なんだってまた、そんな最速で別れたんだ?」


「知らねー。『なんか思ってたのと違う』とかなんとか言われて終わったわ」


「……告白は向こうからだったのか?」


「ああ」


「それは酷い話だな。勝手に人に期待しといて、勝手に失望して」


「良いんだよ明、俺にはお前がいれば」


「圭……」


「明……」


「なんだこのノリ」


「はははは!」


圭がバカ笑いしているのを見て、俺も少し嬉しくなった。


……最近、どうにも気が滅入ることが多い。湯水のこともそうだし、美喜子さんのことも……。


自己嫌悪に陥って、どうしようもなく苦しくなる時が増えた。夜眠る時に、美結と一緒に泣いていることだってある。


だから、圭とこうして笑っていられると、少しだけ気が楽になる。



ザーーーーー……



窓の外から響く雨音が、だんだんと激しさを増していく。メグちゃん遅いなあ……。どうしたんだろ?


Limeで連絡をしてみようかなと思い、スマホを鞄から取り出そうとしたその時……



「……うう、ぐす…………」



小さくすすり泣く声が、微かに耳に届いた。


「……あれ?圭、なんか……泣く声がしないか?」


俺がそう言うと、「おいおい止めろって!」と告げ、慌てて耳を塞いだ。


「俺、心霊系全然ダメなんだよ!そういう冗談よしてくれ!」


「バカ、そんなんじゃない。ホントに聞こえるって。耳をすましてみろよ」


俺の言葉を受けて、圭はおそるおそる耳から手を離した。すると、どうやら圭も聞こえたようで、「あれ……?マジだな」という独り言を溢した。


「たぶんこの近くだぞ」


俺はその声を頼りにして、声の主を探し始める。


圭と共に辺りをうろうろしてみると、その声の主は……一年生が使う下駄箱の前で、地面に三角に座り、顔を伏せていた。


天然パーマでモジャモジャの髪をした少年で、おそらく後輩だろうと思われた。


「……君」


俺がそう声をかけると、彼はびくっと肩を震わせてから、ゆっくりと顔を上げた。


たれ目で丸顔な……いわゆるタヌキ顔な雰囲気の彼は、目にいっぱい涙を浮かべていた。


「……どうしたんだ?そんなところで。大丈夫かい?」


「……………………」


「どこか怪我でもしたのか?保健室……良かったら案内するけど、どう?」


「……………………」


俺の問いかけにも、彼は反応しない。ただじっとこちらを見上げるばかり。


俺と圭は一度顔を見合せた後、その少年に背を向け、5メートルほど離れた場所で二人……声を潜めて話し合った。


「なんだと思う?圭」


「わからん……。だが、なんか嫌な予感がするぜ。ひょっとすると、いじめかもしれん」


「えー?まだ一年生……入学してから3ヶ月も経ってないじゃんか」


「いじめなんて、一秒にも満たないやり取りでターゲットが決まるもんだ。それは、俺がよく知ってる……」


……そう、圭は昔、俺のことをいじめていた時期があった。それは小学生の頃で、俺はもう気にしてはいないのだが……圭はまだ、俺に対して罪悪感覚えているらしい。時々そのことを思い出しては、苦々しく顔をしかめているからだ。


「…………だけど、とはいえ『いじめられてるの?』とは言いにくいよな……」


「そうだな……困ったもんだ」


俺たちは少年へどうにか声をかけようとして、その場でしばらく逡巡していた。


「お!よう、ちゃんと待ってたなー!チン毛!」


ふと気がつくと、その天然パーマの少年に向かって、三人の男子が廊下の奥からやって来るのが見えた。一人が坊主で、一人が角刈り、もう一人がロン毛の男子生徒だった。


天然パーマの彼は、震えながら静かに立ち上がると、消え入るように小さな声で「スマホ……」と言った。


その声の小ささを煽るようにして、三人の内一人である坊主が「え?なに?聞こえねーんだけど!」と返す。天然パーマの少年は、ごくりと息を飲んだ後、再度三人へ告げた。


「スマホ……返してください」


「あー!スマホね!はいはい」


三人はニタニタと顔を見合せて笑う。そして、ロン毛が肩にかけている鞄の中から、彼のビニール袋を取り出した。その中に、おそらく彼のスマホがあるんだろう。


「ほれ、返すよ」


ロン毛から手渡された天然パーマの少年は、直ぐ様袋の中からスマホを取り出した。そのスマホは、遠目から見ても分かるほど、びしゃびしゃに濡れていた。スマホからぽたりと滴が垂れて、床に水滴の跡を残していた。


「え……なんで、濡れて……」


「あ、わり!うんこと間違ってトイレに流しちまったわ!」


「「きゃははははは!!」」


ロン毛がそう言って爆笑すると、残り二人も続けて笑った。


「「……………………」」


俺と圭は、互いに言葉を交わさずとも、何をするべきか心の内で決めていた。


お互いに目配せだけをして、黙って頷きあうと、彼ら四人の元へ歩いて行った。


「もう止めな、やりすぎだ」


俺がそう口火を切ると、四人がこちらを向いた。


天然パーマの子は、さっきと同じように……ただじっとこちらを見やるばかりだった。そしていじめっ子たち三人も、俺と圭へ顔を向けていた。


意外だなと思ったのは、いじめっ子ら三人ともが、妙に罰の悪そうな……なんとなく申し訳なさそうな顔だったことだ。それゆえか、俺と圭から三人は視線を逸らすと、ため息をついたり、ポケットに手を突っ込んで、床に視線を落としていた。


「三人でよってたかって、みっともねえだろ」


続けて俺がそう言うと、坊主だげか「うっす……」と答えた。この『うっす』の『う』の部分が小さすぎて掠れており、実際に聞こえるのは「っす……」みたいな感じだった。


(……ははあ、なるほどな)


俺はこの三人の様子を見て、心境を粗方察した。三人とも、自分が悪いことをしているという自覚がある。だからこの、微妙に気まずい……罰が悪そうな感じなんだ。だけど、俺と圭へ素直に謝ってしまうのもシャクに触るから、若干突っぱねた態度になる……と。


(もっとこう……『ああん?お前らには関係ないだろー!』的な、よくヤンキー漫画とかで見る光景になるのかと思いきや……。案外、こんなもんなんだな。ま、俺らが先輩であることと、体格のいい圭が隣にいるのもでかいかもな……)


それにしても、悪いと思ってるなら最初からするなよ……と、俺がそんな風なことを考えていた時、圭がつかつかと彼らの元に近寄って、こう言った。


「お前ら、憧れの人間とかいねえのか?」


「……?憧れ、すか?」


角刈りが聞き返すと、圭が彼に顎をしゃくった。


「お前らバカにでも、憧れた人間くらいいるだろ?言ってみろよ」


「……………………」


「ガキん頃でもいい。なんかいるだろ、一人くらい」


「……………………」


誰一人として、圭の問いかけに答えなかった。圭はため息をつきながら、「俺には二人、憧れの男がいる」と、そう話し始めた。


「一人は、ドラゴン◯ールの孫◯空だ。どんな奴にも負けねえ強さに憧れた。ガキん時は本気でかめは◯波撃つ練習してたし、スーパーサイ◯人になれると思ってた。その憧れがずっと残ってっから、今も空手やってっし、強くなりてえと思ってる」


「「……………………」」


「そんでもう一人は、あいつだ」


その時、なんと圭は俺のことを指差した。拳を握って親指だけを立てて、その親指で背中越しに俺をさした。


いじめっ子たち三人と、天然パーマの少年が、一斉に俺を見た。


「あいつはマジで強え。俺にはまるで敵わねえ」


「「……………………」」


「言っとくけど、腕っぷしの話じゃねえぞ。心の強さだ。あいつみてえに強くなりてえって、今も思ってる」


「「……………………」」


「俺は、あいつのことを……小学生ん時にいじめてた。お前ら三人がやったみたいなことを、俺もその時はバカだったからやってた。だが、それでもあいつは折れなかった。それどころか、俺が事故って入院した時に、『大丈夫か?』っつって見舞いに来てくれた。俺はダチが多い方だって過信してたんだが、俺の見舞いに来てくれたのは、あいつ一人だけだった」


「「……………………」」


「いじめの相手を労れるその根性が……強えなって。俺、こいつには敵わねえって、そう思ったんだよ」


圭がどんどん話し始めるのを、俺は頭を掻きながら聞いていた。なんか、すんげえ恥ずい……。


「いいかバカども。誰かをいじめて気晴らししてえ気持ちは、俺も前に持ってたからよく分かる。だけどよ、憧れた人間の前で、今のてめーの姿……晒せるか?ガキん頃の……憧れを夢見てる自分に、『これがてめえの未来の姿だ』って、晒せるか?」


「「……………………」」


「晒せねーんなら、そんなくだらねえこと止めちまえ。糞みたいなことに時間使うくらいなら、ちゃんと憧れた奴に近づけるよう、努力しとけ」


「「……………………」」


「ま、どうせお前らバカに説教したところで、半分も聞いちゃいねえだろうがな。そら、とっとと失せろ。自分の憧れた人間すらまともに言えねえ雑魚に用はねえ」


……いじめっ子たちは、気だるそうにダラダラと歩きながら、その場を去っていった。


「……おい」


圭が天然パーマの子に声をかけた。それを受けて、彼がおそるおそる圭を見上げる。


「お前、いじめの話は……ちゃんと先公とか親とかに言っとけ。言いなりになんのが一番ダメだ」


「……………………」


「それじゃ、気をつけて帰れよ」


「……………………」


少年はぺこりと圭へ頭を下げると、スマホをビニール袋に入れて、それを胸に抱いたまま、その場を立ち去った。


「……憧れ、ねえ」


俺がそう言って圭に近づくと、圭はニッと口角を上げる。


「そうだぜ明。俺はお前が思ってるより、お前のこと買ってるつもりだぜ」


「……ちぇ、なんかずりいよな」


俺の反応を見て楽しんでいるのか、圭は「くくく」と声をあげて笑った。


「さて、明。そろそろ愛しの彼女ちゃんと帰る時間じゃねーのか?」


「あ、そうだメグちゃん……。もう待ち合わせ時間から40分近く経ってるけど、まだ来ないな……」


俺は改めてスマホをポケットから取り出して、メグちゃんにLimeを送ろうとした……その時だった。


ベストのタイミングで、メグちゃんは現れた。廊下の向こう側からこちらへやって来ているのが見えて、「お!メグちゃーん!」と叫んで手を振った。


「……………………」


メグちゃんは、こちらに小さく手を振り返してくれたけど、何も言葉を発さなかった。なんとなく気になった俺は、そのまま彼女がこちらへ来るのを待ってみた。


「…………!」


だんだんと近づいてきた彼女を見て……俺は戦慄した。彼女の頬が、赤く腫れ上っていて……尚且つ、頬には涙の痕がたくさん残っていたからだ。


「メグちゃん!」


俺は小走りで彼女の元に走っていった。そして、両肩をぎゅっと掴んで、「どうしたの!?大丈夫!?」と、捲し立てるように話しかけた。


「……………………」


彼女は泣きつかれた虚ろな瞳で、俺にこう告げた。


「……明さん。湯水に…………美結のこと、バレてしまってました……」


「え!?」


「私と明さんが嘘の恋人だってこと……湯水に、バレてしまったんです。そして、美結のことまで……」


「……!!」


俺は全身から……さーーーっと血の気が引いていくのを感じていた。冷たい手で心臓を握られているような……そんな気持ち悪さ。


「……ってことは、メグちゃん……その頬は、湯水が……」


「……………………」


「……っ!!あんの野郎!!!」


俺は歯をギリギリっと食い縛って、メグちゃんにくるっと背を向けて、走り出した。


「おい!明!」


圭の声が背中越しに聞こえたので、俺は振り返らずに「すまん圭!メグちゃんを頼む!」と言って、そのまま駆け抜けた。


「湯水!!おい!どこだ!!」


誰もいない廊下を走りながら、大声で奴の名を叫ぶ。頭に血が昇って、身体全体が熱くなってるのを感じる。


「湯水!!返事しろ!!どこにいる!!」


バクバクと心臓が揺れて、極度の興奮状態になっている……。もはや、錯乱していると言った方が正しいかも知れない。


(どうする……!?既に学校を抜け出してるか!?ひょっとして、もう美結に何かしようと企んで……!?)


「……!!」


探し続けてしばらくした頃……俺は、ようやく彼女の姿を見つけた。


湯水は、中庭にいた。


校舎に囲まれたその中庭で、青々と繁る芝生の上に、彼女はいた。真っ黒な空を見上げて、土砂降りの中立ち尽くしていた。


そんな彼女の光景が、廊下の窓越しに見えていた。


「……………………」


……彼女の方へ眼を向けたまま、俺も中庭へと足を踏み出す。外に出た途端、ごうごうと雨が頭上に降り注ぎ、一瞬にして身体中が濡れた。


風が鳴り響いて、そばを吹き抜ける。髪がそれに煽られて揺れる。


「…………湯水」


「……………………」


俺の囁くような独り言に、湯水は反応を示した。ゆっくりと目線を俺へと向け、びしょびしょの髪から水がぽたぽたと落ち、制服が濡れて透けるのをまるで意に介さないと言った様子で……湯水は笑った。


「…………ふふふふ」


湯水は……なんとも不思議な……ゾッとするほど美しい微笑を湛えて……こう言った。







「好きよ、アキラ」








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