59.VS湯水(part15)
……平田の怯えた眼差しが、私の顔を真っ直ぐに見つめる。その反応が……もう既に、私の質問への回答になっている。
(やはり渡辺 美結は、アキラの彼女か……)
おそらくそうだろうなとは思っていたが……いざ、その事実を再確認すると……
腹が立って仕方ない。
ガターンッ!!
私は近くにあった机を、手で思い切りひっくり返した。机の中に入っていた教材が、バサバサと床に落ちる。
「ひっ!」
平田が小さな悲鳴を上げた。肩を狭めて、呼吸が浅くなっている。
このような場面を、私は今までに何回も観てきた。
私の存在に対して、ビクビクと畏怖の念を抱く様は、いつ観ても面白い。私がこの人間を完全に支配している優越感……。私こそが主人公であると認識できる喜びに満ちている。
この平田みたいな性格の人間は一番いじめてて面白いタイプなので、本来ならもっと煽りたいところだが……やりすぎるとアキラに嫌われる。それだけは避けねばならない。
(それにしてもアキラ……!よりにもよって、渡辺 美結なんかと付き合ってるなんて!)
あのクソミソに生意気で……『私が一番!』みたいな顔をしてる渡辺が!私がこの世で一番嫌いなタイプの渡辺が!アキラを奪ったなんて!!
(今度は坊主だけじゃ済まされないわね……。絶対に絶対に、アキラを私のものにしてみせる。あの女の男を……アキラを私のものにする!)
私は口を閉じたまま、歯をぎりぎりと食い縛った。
「……………………」
平田は未だに、沈黙を守っている。いや……守っているというよりは、私が怖すぎて何も話せない……と言った具合か。
「平田、いい加減に答えてくれない?私、待たされるの嫌いなのよ」
痺れを切らした私がそう告げると、平田はごくりと固唾を飲んだ。
「……………………」
だがやはり彼女は、貝のように固く口を閉ざしたままだ。まあ正直、この反応でほぼほぼ渡辺 美結が彼女だと確定するのだが、なるべく平田には口に出して証言させておきたいところだ。
その理由は二つ。
ひとつは、私の憶測ではなく、確実な証拠として確信するために。
そしてもうひとつは……平田とアキラと渡辺 美結……この三人の関係性を壊すため。どちらかと言うと、こっちが本命なのだ。
(ここで平田が、今まで自分が守ってきた渡辺 美結の真実を私に話せば……必然的に平田は、渡辺 美結からの信用を失う。そうなれば、三人の関係性は瓦解し……分裂する……!なぜなら、アキラは平田を許すからだ。あの男は……人の心に寄り添おうとする人間だ。私に問い詰められて、つい本当のことを話してしまったと……そう平田が証言すれば、アキラは彼女を許す。この『許す』というところがかなり肝。渡辺 美結からしてみれば、『なんで自分を裏切った平田を、アキラは庇うの?』という疑心暗鬼が生まれる要因になる。『偽の恋人を演じていく内に、本当にアキラは平田へ恋心を抱いてしまったのではないか?』……。あの生意気な渡辺であれば、そう考えるはず。そうなると、三人がそれぞれバラバラにすることができる……!)
内部分裂している相手ほど、倒しやすいものはない。ここで三人がバラバラになってくれれば、私の勝ちがより現実に近づく……!
「さあほら、早く言いなさいよ。黙ってたって、仕方ないでしょう?」
「……………………」
彼女は冷や汗をこれほどかというくらいにかいていながらも、未だに口を開く様子はない。
……まさかこの女、アキラを待っているのか?
いじめの件をアキラが早急に片付けて、私たちの方へやってくると……?確かに、このまま一時間粘られたら、さすがに向こうもカタがつく。しかし、それはこの私が許さない。
(……殴るなり蹴るなりして吐かせてもいいけど、ここは敢えて押すのを止めるか。明日、私がアキラへ『渡辺 美結について平田から聞いた』という風に話せばいい。彼女の口からは実際に聞いてはいないが、ここまでくれば同じこと……。どうであれ三人を分裂させられたらそれでいい……)
私は一度深呼吸をしてから、平田に背を向けようとした時……彼女の口が開いた。
「……湯水、あなたの考察通り……美結が本当の、明さんの彼女だよ」
「……………………」
平田の目には涙が浮かんでいた。私は内心、その姿を見てほくそ笑んだ。平田は……私に屈した。私に負けたのだ。
ふふふ、ああ、なんという気持ち良さだろう……。心が潤って仕方ない。
「……平田、ついに言ってしまったのね。今まで守ってきた彼女のことを……」
私がそう発破をかけると、平田は全身をぶるぶるを震わせた。
「湯水、あなたはきっと、私がたとえ口に出さなくても……美結が明さんの彼女だって確信してるはず……。だから、私が言おうが言わまいが同じこと……。なら、ここで出し渋る方が却って危険……。私の口を割らせるために、拷問紛いのことをされても困る……」
「へえ、何よ。あなた案外賢いじゃない」
「バカにしないで……!私だって……私だってそのくらい、分かるんだから……!」
「……………………」
平田は意外にも、強気な瞳で私に言った。てっきり萎縮して声も出ない……くらいの感じかと思いきや、思いの外心が強いようね……。
だけど、平田が私に屈したこと自体は、どっちみち変わらない。その事実をつついて煽ってみるか。
「ふふ、バカにしないでって……なんだかカッコいいことでも言ったように振る舞ってるけど、あなたはただ、私に負けただけ。私を睨めるような立場じゃないように思うけど?」
「……………………」
「いい?平田。大事なことを教えてあげる。この世にはね、主人公になれる人間と、なれない人間がいるのよ。私が主人公で、あなたは脇役……。私を輝かせるためにあなたたちは踏み台になるの。そういう自分の立場を……もう少し自覚した方がいいんじゃない?」
「……わかってるよ、湯水」
「わかってる?」
「私は……あなたのように頭が良くないし、美結のように優しくないし……明さんのように強くない。私が凡人で、脇役で、取るに足らない人間なんだってこと……嫌というほど分かってる……。だけど……」
平田の目から涙が溢れる。それが頬をつたり、顎先へと垂れて、床へ垂直に落ちる。
「脇役だって……生きてるんだから」
「……………………」
「私はね、心の底から明さんが好きで、胸一杯に美結が好きなの。二人が主人公で、私が脇役であったとしても……私はまるで構わない」
「……何て言うのか、あなたって本当にバカでお人好しよね。なんだってアキラのことが好きなのに、その彼女の渡辺 美結まで好きでいられるのよ」
「……………………」
「あなた、本当はアキラのことなんて好きじゃないんでしょ?本当に好きなんだったら、絶対手に入れようとするはず。その独占欲がないのなら、あなたの恋はニセモノ……!大方、 『自分を優しい人間だ』と思いたいがための、偽善的な行為……自己満足でしかない」
「……湯水、あなた本当に……人を愛したことがないんだね」
「……なんですって?」
「私が思う本当の愛は、相手を手に入れることじゃない。相手が相手らしくいられるのを……応援すること」
平田は震える手で、スカートをぎゅっと掴んでいた。
「明さんは美結が大好きで、美結も明さんのことが大好きで……。そんな二人がそれぞれ、本当に好きな人のそばにいられることを望むのが……私の愛」
「……………………」
「明さんが明さんらしく、美結が美結らしく、そして……私が私らしくいられるために、お互い本音は隠さない。そのままの相手を応援する……」
「……ふん、とんだ理想論ね。じゃあなにか?あなた、渡辺 美結には伝えてあるというの?自分が本当にアキラが好きだという本音を……」
「もちろん、伝えてる」
「バカもここまで来ると、救いようがないわね……。そんなことをしたら、嫉妬し合いの泥沼……喧嘩ばかりが絶えないでしょうに」
「別に、それで構わないから……」
「いい加減にしてよ!!構わないわけないでしょう!?平田、あなたが渡辺 美結を好きというんであれば、喧嘩なんかしたくないはずでしょう!?矛盾してるじゃない!なにを気取って“アキラみたいなこと”言ってんのよ!!」
「……………………」
平田は、涙で濡れた頬をそのままにして、私を見つめる。
「好きだからこそ、私は……喧嘩したい」
「……はあ?」
「本音を言って、喧嘩して、それで最悪……仲違いしたとしても、それでいいって思えるから……」
「意味が……分からない。あなた、なにを言ってるか分かってるの?」
「……………………」
「できるわけないでしょ、そんなこと。好きな相手と喧嘩なんて……普通、絶対に避けたいことでしょう?」
「……表面的な付き合いをするんであれば、それでもいい。だけど、私は美結たちと……心からの繋がりを得たいと思ってる。だから喧嘩してでも、本音を話す。それで離ればなれになったとしても、私が私らしく……相手が相手らしくあった証……。少しも、寂しくなんかない。そんな風に“教えてもらった”から……」
「……嘘よ、強がりだわ。そんな風に思えるはずない」
「嘘じゃないよ。だって……私は“典型的なA型女”……でしょ?」
「……………………」
「……湯水、あなたは……寂しい人なのね」
「──────!」
ぱあんっ!!!
……気がつくと私は、平田の頬をビンタしていた。
彼女の左頬は、真っ赤になって腫れた。
「……っうう」
平田はまたボロボロと泣き出した。涙がさらに顔を濡らして、無様な醜態を晒している。
……なのに、目は真っ直ぐに私を見ている。涙で潤んで、恐怖で怯えている眼差しなのに、目線を私から逸らさない。
「……………………」
その瞳の向こうに、二人の人物が見えた。
それは、私を諭すように語るアキラであり、私に生意気な態度を取る……渡辺 美結。
その二人の幻影が、平田の身体に重なった。
「……………………」
私はくるりと彼女に背を向けて、すたすたとその場を立ち去った。教室を抜けて、誰もいない渡り廊下を一人……かつかつと歩く。
逃げたわけじゃない。怖かったわけじゃない。
ただ、分からなかった。
(なんなのよ……!なんなのよあいつら……!)
そう、もしあそこで平田が『私たちの絆は誰よりも強い!本音を話しても仲違いなんてしない!』とかほざいてたら、しめしめと思ったはず。そういう奴らほど分裂しやすいし……裏切られた時に『信じていたのに酷い!』と、仲間に失望しやすい。
だけど……まさか、仲違いしても構わないとか言われるなんて。
「分裂を恐れない仲間なんて、存在するわけない。あいつら、頭おかしいわ」
そう、おかしい。絶対おかしい。そんな人間関係が構築できるはずがない。だって、そんな関係になんのメリットがあると言うのよ。
「……ねえ、止めてよ。頼むから私を困らせないで」
ふいについたその言葉は、誰にも聞かれたくなかった。外から聞こえる雨音が……この言葉をかき消してくれと、そう願った。
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