51.VS湯水(part11)




私の対面に座る葵は、突然意味不明なことを言い出した。


「こういうこと言うの……あんまり好きじゃないんだけど……兄貴さんには、ちょっと気を付けた方がいいよ?あの人ね、結構な遊び人なの。何人もの女の子が、あの人のせいで泣かされるよ」


……は?え?何を言ってるの?この女。


アキラが、遊び人ですって?誠実さで人気を博してる、あのアキラが……?


(……ここは、探るしかない)


真実か否か、その二者択一から考えて、最もあり得る選択肢を絞っていく。


まず、嘘の場合。アキラが遊び人というのはデタラメで、この葵とかいう陰キャ女のついた嘘であったとしたら……。


(一口に嘘と言っても、意図的なものかどうかによって状況が変わる。もし意図的に嘘をつくとして、この女にメリットはあるかしら?)


考えられるのは、葵もアキラのことが好きで、私という泥棒猫を排除したい……という状況。この理由なら一応の筋が通る。しかし、葵には既に藤田という彼氏がいるし、葵には浮気性はなさそうに見える。冴えない雰囲気だし、そもそも彼氏がいること自体が驚きのこの女に、彼氏以外の男をゲットしようなんて考えは浮かばないはず。


であれば……意図的な嘘はないと結論付けられる。


次に意図的でない嘘……つまり、単なる噂だけで、事実アキラはそんな浮わついた男ではないという場合。噂を鵜呑みにしたバカな葵が、得意気に私へ語っているとしたら……


(いや、意図的であろうとそうでなかろうと、嘘であれば大した問題にはならないわ。大事なのは、これが真実……本当であった場合よ)


あのアキラが、女の子を泣かすですって……?


まだ付き合いは浅いけれど、あのアキラはそんな男ではないとはっきり言い切れる。私が16年生きてきた中で見た……最も誠実な人。それは私の、頭でも、心でも、そう理解できる。


であれば、やはりこれは事実とは言い難い。葵が誰かから聞いた、根拠のない噂を私に喋っているという状況……まずこれで間違いない。


(そうだ、アキラの人気に嫉妬した凡人が、アキラのことを陥れるために考えた悪評……それを垂れ流しているのね。そうよ、きっとそれだわ。それが巡り巡って、葵を通じて私に届いた……と。なんだ、こうして冷静になって考えてみれば、少しも頭を悩ます必要なんてなかったわ)


……と、そこまで考えたところで……私はようやく、自分の考えが“偏っている”ことに気がついた。


(……なんか私、変だ。なにか、あれ……?)


私は……アキラが遊び人であることを、嫌がってる…?


(だって、ちゃんとした事実を確認していないのに、『誠実な人だと頭でも心でも分かってる』とか……なんか、都合のいいようにアキラを解釈しようと……してる?)


え……なんで?なんで私は、アキラのことを……誠実って思いたいの?


誠実さなんて、私、笑ってたじゃない。アキラが彼女を捨てて私の方へやってくる様を拝んでやるって、そう思って……今までやってきたんじゃない。


そのためにこうして、デートという名の勝負をして……。そうよ、そのために勝負をしてるんじゃない。アキラを手に入れて、彼女を泣かせて、それからアキラを散々にこき使ってやるって……。


「……湯水さん?」


葵の言葉に、私はハッとした。うつむいてた顔を上げて、彼女を見る。


「大丈夫?湯水さん」


「……………………」


「そっか、ショックだったよね。気持ち分かるよ……。私もアキラさんがそんな人だったなんて、思いたくなかったから」


「……………………」


「兄貴さんってね?中学時代に三股してたり、セフレをたくさんつくってたり、とにかく女癖が悪いみたいで……」




「アキラはそんな人じゃない!」




私は手の平で机をバンッ!!と叩いて、思い切り叫んだ。


周りの人たちが、私たちの方へと視線を送る。それに気がついた私は、なんだか気まずくなって……手を机の下に引っ込めた。


「あ、葵先輩、すみませんでした……。私、取り乱しちゃって……」


「う、ううん。大丈夫、気にしてないから」


葵の言葉を受けて、私はひとまずクールダウンすることにした。胸に手を置き、深呼吸を二、三回繰り返す。


本当に……私、どうしたの?何をそんなに怒ってるの?


分からない、分からない、分からない……。


「……………………」


困惑していた私の元へ、アキラたちが帰ってきた。藤田は葵の隣へ、アキラは私の隣へと座る。


……それからアキラと藤田、葵の三人は食事をしながら談笑していたけれど、私はそれに加われなかった。ずっとアキラの……その噂のことを考えていた。


私の前にあるグラタンは少しも減ることなく、静かに湯気をゆらけてそこにあるだけ。


(いや、別に……いいじゃない、三股しようがセフレがいようが。私は自分の身体を売るなんてまっぴらごめんだったから、未だに処女だけど……彼氏が複数人いることはザラにあった)


そうよ、アキラだって相手が複数人いても良いじゃない。だいたい私、『今時恋人を一人しか持たないなんて古臭い。それはバカのすることだ』って、そんな風に思ってたじゃない。


そう言う意味では、アキラは今時の付き合い方をしてるってことよ。合理的で良いじゃない。彼は何も悪くないわ。


……そう、よね?アキラ……。


「……………………」


私は隣にいる彼へ、視線を送った。アキラは藤田や葵と話すことに夢中で、私の視線に気づかない。


……私は顔をうつむかせて、自分の気持ちを落ち着かせる。


そうよ。今はまだ、アキラには嫌われてるんだもの、視線に気がつかれなくて当然よ。別にいいのよ……今日、頑張って彼にアピールして……


「湯水」


突然、アキラから声をかけられた。顔をぱっと上げて、彼の顔を見る。


「どーしたんだよ湯水?なんか体調でも悪いのか?」


「え?」


「いや、ずっと黙ってるから、なにかあったのか?って」


「……あ、いや。なんでもないです。そのー、三人って仲良しなんだなーって、そう思ってただけですよ!」


私は、今までの人生でたくさん作り笑いをしてきた。そして、今この瞬間も……これまでやってきたのと同じように……作り笑いで答えた。


でも、その心の中は……色んな思いがゴチャ混ぜにされていて……訳が分からなくなっていた。


なんでアキラ……私が嫌いなくせに、私のこと気遣うのよ……。あなた、そういうところがずるいのよ……。




『そっか、ショックだったよね。気持ち分かるよ……。私もアキラさんがそんな人だったなんて、思いたくなかったから』


『兄貴さんってね?中学時代に三股してたり、セフレをたくさんつくってたり、とにかく女癖が悪いみたいで……』




「……あ~~~~もう!!!」


がしゃんっ!!


……机に手を激しく置いて、グラタンの皿が揺れた。その勢いのまま、私は席から立ち上がった。


「おい湯水、どうしたんだ?」


アキラと二人が私を見上げている。私は……アキラの顔へと視線を向けた。そして、彼を見下ろしながら「先輩、ちょっと良いですか?」と言って、彼に席を立つよう促した。


困惑する彼を他所に、私はアキラの手を強引に引いて、多目的トイレへと向かった。そこに二人で入って、鍵を閉める。


「お、おいおい湯水、変なことは止めてくれよな。やましいことをしてるんじゃないかって勘違いされるぞ」


「……………………」


「それに、本当にこのトイレを使いたい人に迷惑をかける。俺とマンツーマンで話し合いたいことがあるのは分かるが、場所を変え……」


「アキラ、あなた平田の他に、彼女はいる?」


「は?」


私の唐突な質問に対して、アキラは眼をぱちくりとさせていた。


「な、何を言ってんだ?湯水……」


「答えて。いるの?いないの?」


「……そりゃ、いるわけないだろ。俺はメグちゃん一筋だぞ」


「本当に?嘘じゃないわよね?」


「嘘じゃねーよ。なんだ湯水?お前、まさか俺が他のやつと浮気してるんじゃないかって、そう思ってるのか?」


「……………………」


「あのなあ湯水、お前それは……だいぶお門違いだぞ?はっきり言うなら、お前こそが浮気相手になっちまってるんだよ。俺にはメグちゃんっていう大事な彼女がいるのに、お前の卑怯でくだらない勝負に付き合わされて、渋々デートしてるんだろうが」


「…………!」


「お前が俺のことを本当に好きかどうかは別にしてだ、お前は……俺の交遊関係に対して口出しできる立場じゃねえよ。むしろ、俺やメグちゃんがお前に対して怒ってるくらいなんだぞ。そこんとこ、わきまえとけよ」


……アキラの言葉が、胸に刺さる。


自分のしたいことが、やりたいことが、だんだん分からなくなってきた。私は一体、どうしてしまったというの?


「……………………」


……アキラは、呆れたように眉をしかめて、眼を伏せ……大きくため息をついた。それが余計に……私の心をざわつかせた。


「……もう戻るぞ、湯水」


そう言って、アキラは扉の鍵に手をかけようとしていた。その手を、咄嗟に私が掴んだ。


「……アキラ、あの……あなた、私のこと……今も、嫌い?」


「……ああ、嫌いだよ」


「……………………」


「お前こそどうなんだ?俺のことを、本当はどう思ってるんだ?」


「……………………」


「……ま、どうでもいいか。お前が俺のことを本当はどう思ってようが、俺がお前のことを嫌いなことに変わりはない」


…………………そう言って、アキラは私の手をほどいた。一瞬だけ私の方に眼をやったけど、すぐに前を向いて、そのままトイレから出ていった。私は一人、その場に立ち尽くして……少しも働かない自分の頭を、ひどく、恨んだ。












……タタンタタン

タタンタタン……


私は気がつくも、帰りの電車に揺られていた。独りで座席に座り、窓の外に見える夕焼けを、虚ろな気持ちで眺めていた。


……トイレでのくだりの後、デートがどんな風に進行したかまるで覚えていない。四人で水族館内をうろうろしたことだけは朧気にあるけど、アキラとどんな話をして……どんなことをしたのかはもう思い出せない。


「……はあ」


意味の分からないため息が、何回も何回も溢れてくる。煩わしい。面倒くさい。なんなのよこの気持ち。


(……気分、変えなきゃ)


私はこの気持ちから逃げるように、スマホとイヤホンを肩掛けのポーチから取り出して、音楽を聴く。


私には、これと言って好きな音楽があるわけじゃない。流行に追いつくために、バズった歌は一通り音楽アプリのプレイリストに入れて、カラオケとかで歌えるようにするために、歌詞を覚えるために聴いているだけ。


だから、好きじゃないけど聴いている音楽なんて、気分転換にもなりはしなかった。ただただ音がガチャガチャと耳に届いて、むしろ煩わしいとすら思っていた。


(まあ……こんな雑音でも無いよりはマシね)


そんな風に思いながら、数百曲入っているプレイリストをシャッフルして垂れ流していた。




『私はいつも独りぼっち。夜空に浮かぶお月様みたいに……』




ふと、何曲目かの音楽が耳に入った時、私は「ん?」と、思わず独り言が口からこぼれた。こんな曲、入れたっけ?もう曲名すら覚えていないが……不思議とその歌が、私の耳にすんなりと入ってきた。




『本当の気持ちを隠したまま』


『あなたのそばにいようとした』


『だけどそれじゃあ、意味がなくって』


『真夜中の1時に一人、部屋のなかで泣きました』





「……………………」


……別に、私には好きな歌なんてない。好みがあると、すぐ流行に追いつけなくなる。だから今までそんなものなかった。


……だけど私は、今この曲をリピート再生することにした。好きになったわけじゃない。ただ、静かで聴き心地がいいから……。それだけだから……。




『私はいつも独りぼっち。夜空に浮かぶお月様みたいに』


『あなたのそばにはいられない。どうせ傷つくしかないって分かってるから』




この曲を聴きながら、私は目蓋を閉じた。その暗闇の向こう側に、アキラの顔が見える。


(アキラ……私のこと、本当に嫌い?)


心の中で彼にそう問いかける。すると、「ああ、嫌いだよ」と、心の中のアキラは言った。私は……そうよね、いいのよ別に。私だってあなたなんか嫌いよと、そう返事をした。




『……どうかお願い』


『私のこと、嫌いにならないで』















「……ありがとうね、藤田くん、葵ちゃん」


兄貴さんはそう言って、ボクたちに頭を下げた。


今、ボクたちは三人並んで帰路を歩んでいる。夕暮れの街並みは赤く染まり、車の走る音や人々の騒ぐ声がどこそかしこから聞こえてくる。


「特に葵ちゃんには、俺がいない時に湯水へいろいろ話してくれたり……。俺の嫌な噂を流すなんて汚れ役をさせてしまって、ごめんよ」


「いえいえ、全然私は平気ですよ。兄貴さんには、公平くんもお世話になってますから」


ボクがそう答えると、兄貴さんはにっこりと微笑んでくれた。


……だけど、その後兄貴さんは、なんだか物悲しそうにうつむいて、自分の足元を見つめながら歩いていた。


「兄貴ー!どうしたんすか?腹でも減りました?」


公平くんがそう尋ねると、兄貴さんはゆっくり口を開いた。


「……俺、ちょっと言い過ぎた気がするんだ」


「言い過ぎた?何をっすか?」


「……湯水に対して、ちょっと……キツイ物言いになったんじゃないかって」


「んー?なんて言ったんすか?」


「いや……まあ、湯水が『私のこと嫌いか?』って訊くから、そうだって返して……」


「いやいや、フツーっしょ!?だって、あいつ兄貴の妹ちゃんいじめてた奴なんでしょ?嫌いなのはトーゼンっすよ!」


「うん、私もそう思います。彼女に同情の余地はないですよ。兄貴さんが憂いる必要なんて……」


「……………………」


ボクたちの言葉を受けても、兄貴さんの悲しい顔は晴れなかった。


ボクと公平くんが顔を見合わせていると、兄貴さんがぽつりと……一言だけ呟いた。


「……母さん、俺……どうしたらいいのかな?」


「「……………………」」


ボクも公平くんも、その言葉には一言も返せなかった。だって、兄貴さんが返事をしてほしい人物は、ボクたちじゃないから。


……夕暮れの騒がしい街を、私たちは黙って歩く。周りの騒がしさと相反するように、心の中はしんと静まり返っていた。





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