50.VS湯水(part10)


……二回戦目のデート当日。私たちは『ゆうなぎ水族館』の入り口前で集合することになった。


朝方10時ちょうどに現地へ行くと、既にアキラたちがそこにいた。


「よお湯水、紹介するよ。俺の1個年下の後輩で……湯水からすればひとつ上の先輩に当たる、藤田くんと葵ちゃんだ」


藤田と呼ばれた金髪のチャラ男は「ちっす!よろしくおなしゃす!」と言って笑った。その隣にいる、前髪が目元を隠している葵と呼ばれた女は、「よろしく」と言って私に手を振った。


「私は湯水 舞と申します。先輩方、よろしくお願いします!」


私は、丁寧に頭を下げ、にこやかに笑って見せた。それを見たアキラが「なーに猫被ってんだよお前は」と、余計な一言を笑いながら告げた。


「もっと本性出せよ。そんなんじゃやりづらいだろ」


「もう!何言ってるんですか“渡辺先輩~!”私はいつもこうじゃないですか~!」


ニコニコ笑顔をアキラに向けつつ、彼の足を思い切り踏んづけた。


「いっっっってええええ!!」


痛みにのたうち回るアキラを無視して、私は藤田と葵に「さて、行きましょうか」と言って笑いかけた。


そうして、四人でのダブルデートが始まった。






「あ、見て公平くん。ジンベイザメだ」


「うおおおおお!!でっけーーーーー!!これがジョーズなのかーー!やべーーなーー!」


「公平くん、映画のジョーズはホオジロザメだよ。ジンベイザメは人を食べないよ」


「マジ!?ジンベイ超優しいじゃん!オレ、魚に生まれ変わったらジンベイとダチになるわ!」


ガラス張りの巨大な水槽を見上げて、間抜けな発言を繰り出す藤田と、その発言にも丁寧に返す葵。


そんな二人の背中を、私は遠巻きに眺めていた。


「……………………」


アキラは、二人の少し先の水槽を眺めていた。目の前を大きなエイが泳いでいく様を、彼は「お~……」と、小さく感嘆の声を上げていた。


水槽の青い光が、彼の顔をブルーに光らせる。


「……ねえ、アキラ」


私が彼の隣に近寄って、二人に聞こえないよう小声で囁いた。アキラはエイの方を見つめながら「どうした?」と返してくる。


「もう少し先へ行きましょうよ。ほら、さらに先の方はもっと綺麗な魚いるじゃない」


「おいおい湯水、せっかくだしもっとゆっくり見ようぜ。それに、あんまり足早に行くと藤田くんたちも置いてきぼりにしちまうしさ。お、ほら湯水、エイの顔見てみろよ。結構表情あって可愛いぞ」


……ったく、呑気にエイなんて見ちゃって。なーにが表情あって可愛いよ、私の方が可愛いに決まってるわ。


だいたい、さっさと先に行きたいのは魚を観たいからじゃなくて、藤田たち二人を置いてきぼりにしたいからよ。あなた、その辺の有象無象なんかよりずっと……人のことよく観るタイプじゃない。これくらいのこと、察してよ。


「ねえ、アキラってば」


「まあ待てよ湯水、焦るなって。ほら観ろよ、ちっちゃい魚の魚群が来たぜ。あんなにたくさんいるのに、軍隊みたいにキチッと綺麗に揃って動いてる。まるであれで一匹の生き物みたいだよなあ」


「……………………」


彼はやっぱり、私の方を向いてくれない。私よりも魚ばっかり見ている。


「……ねえ」


私は、アキラの手を握った。


「え?」


ようやくこっちの方を見たアキラに、私はこう告げた。


「私のこと、ちゃんと観てよ」













……現在、午前11時4分。私の事務所内にて、私と美結氏、そしてメグ氏の三名で、今まさに行われている明氏たちのデート対戦……その盗聴記録をリアルタイムで聞いていた。


本来なら私が一人で現場に行き、湯水と三人の動向を影で観察するつもりだったが、美結氏とメグ氏の希望により、三人で盗聴することになったのだ。ただ、二人は素人なので、湯水にバレずに尾行していたり観察していたりするのは難しいと判断し、この事務所内で盗聴記録を聞くことにしたのだ。


明氏に盗聴器を持っていてもらい、私のスマホと連携して湯水との会話を遠隔で聞けるよう設定している。


応接間のソファに私たちは座り、中央のガラステーブルにスマホを置いている。



『ねえ、私のことちゃんと観てよ』



……この台詞が湯水が出た時、美結氏もメグ氏も信じられないといった表情で、互いに顔を見合わせていた。


「本当に……これ、湯水がお兄ちゃんに言ってるの?」


「ね、私もすっごい驚いてる。あの湯水が明さんに……」


「どうですか?美結氏、メグ氏。湯水の明氏への好感度は、どのくらい高いと思います?」


私の問いかけに、メグ氏が答えた。


「まだはっきりとは言えませんけど……だいぶ高まってるような印象は受けます。もちろん、湯水の演技ってことも十分考えられますけど……」


「これは私の推測ですが、湯水は既に、明氏に対しては演技を止めているように思います」


「演技を止めてる?」


「ええ。こちらをご覧ください」


そう言って、私は彼女たちの前に数枚の写真を出した。それは、私が湯水を調査していた時に隠し撮りした、湯水が元カレたちとデートしている時の写真だ。どの写真も、湯水はだいたい同じような作り笑いを浮かべて、彼氏の隣に立っている。


それらの写真を手に取り、まじまじと見つめる彼女たちに、私が説明を入れる。


「湯水は、誰に対しても本音を語りませんでした。いつも同じような笑顔で、同じ言葉を喋る。その姿はまるでロボットのよう」


「「……………………」」


「ま、だいたいの男にモテるためなら、その程度でいいのでしょう。男の話を聞いて『えーすごーい』『カッコいいねー』とさえ言っておけば、勝手に向こうが惚れてくれる。湯水がとびっきりの美少女ゆえにできる芸当です。なので、本音を語ってわざわざ無意味に交流を深める必要もない。しかし、明氏にだけは違った」


「お兄ちゃんには……?」


美結氏の問いかけに、私は首を縦に振った。


「先日のデートで、湯水は明氏と喧嘩をしていた。それは、なぞなぞの答えが明氏と食い違っていたからです。今までの湯水から、そんな些細なことで自分の意見を述べたりしません」


「じゃあ、お兄ちゃんにだけは、湯水は本音を語っていると……?」


「そうです。明氏の何に惹かれて、湯水の本音を引き出しているのか……?それはまだわかりませんが、とにかく、湯水は明氏の前では正直です。なので先ほどの『私を観てよ』という言葉も、明氏を惚れさせるための演技が混じっているとしても、30%くらいは本音も出てきていると……私はそう睨んでいます」


「「……………………」」


美結氏とメグ氏は、少しの間だけ沈黙していた。そして、写真に写る湯水のことを眺めながら、美結氏の方から口を開いた。


「私、なんとなく分かります。お兄ちゃんの前だと……本音を言いたくなる気持ち」


その言葉に、メグ氏も頷く。


「明さんなら……自分の本音を聞いても、茶化さないでくれる気がしするよね」


「うん。それに……なんていうか、お兄ちゃん自身が、いつも本音そのままの人っていうか……」


「そうそう、変にカッコつけないし、取り繕わない。それがすごく安心する。明さんの優しい言葉は、ちゃんと優しい想いがこもってる気がする」


「だから、湯水の気持ちが……ちょっとだけ分かる。ずっと本音を隠して生きてきた湯水が、本音を話す解放感を覚えているのだとしたら……お兄ちゃんを好きになるのは、ある意味必然なのかも」


「……………………」


美結氏もメグ氏も、明氏を愛する女の子たち。それゆえに、明氏へ惹かれる湯水の心が理解できるのだろう。



……デートが始まってから、二時間半が経過した。彼らは昼食を取るために、水族館内にあるレストランへ入店したようだ。


『えーと、エビチーズグラタンがひとつと、白身魚のムニエルがひとつ。それから牡蠣のフライを……』


盗聴器から明氏が料理を注文する声が聞こえる。事務所にいる私たち三人は、あらかじめ買っておいたサンドイッチやおにぎりを頬張りながら、その盗聴を聞き続けた。


「柊さんって、藤田さんや葵さんとはお会いしたことあるんですか?」


美結氏がおにぎりを片手に、私へと尋ねる。


「いえ、まだ一度もありませんね。ただ、今回の作戦については、藤田氏も葵氏も了承をいただいているようです。明氏から協力を仰いだとのことです」


「なるほど……」


「さて、そろそろ始まるかな?」


「始まるって、何が始まるんですか?柊さん」


「明氏にひとつ、湯水へカマをかけてもらうよう依頼をしているんです。今が絶好のチャンスですね」


「チャンス……?」


私たちがそんな会話をしていた時、盗聴器より『ちょっと俺、トイレに行ってくる』という、明氏の声がした。それとともに、藤田氏も『俺も行きますわ!ツレションしましょうや!』と、元気よく返事をした。


そして、何やらガサゴソと、盗聴器に奇妙な雑音が入る。


「何をしてるのかな?」


メグ氏の独り言に、私が返す。


「たぶん、盗聴器を湯水にバレないよう、葵氏に手渡しているんでしょうね」


「……そうか。今、明さんと藤田さんがトイレに行って、テーブル席には葵さんと湯水だけ……。だから明さんは葵さんに盗聴器を……」


「ええ、私の想い描いた理想的な状況になりました」


私たちは今まで以上に聞き耳を立てて、盗聴器から流れる声や音を聴いている。


『湯水さんは、兄貴さんと付き合ってるの?』


葵氏の質問に、湯水が答える。


『いえいえ、付き合ってるわけじゃないです!でも、いつかそんな関係になれたらいいなと……私は思ってます』


湯水はいかにも、取り繕ったようなかわい子ぶった口調だった。それに対して、美結氏とメグ氏が顔をしかめる。


「バカ。私のお兄ちゃんが、お前なんか相手にするもんか……」


「明さんは眼中にないよ、お前みたいな性悪女……」


二人は毒気のある独り言をボソボソと吐く。彼女たちの心にうずまく嫉妬の炎……その片鱗を垣間見た気がした。


(愛されてますなあ、明氏)


心の中で、私は彼にそう告げた。心の中の彼は、頭を掻いて苦笑していた。


葵氏と湯水の会話が、淡々と進んでいく。


『そっか、湯水さんは兄貴さんのことが好きなんだね』


『ええ、まあ……』


『どういうところが好きなの?』


『そうですね……やっぱり、優しいところ……ですかね?やだ、なんだか恥ずかしいです』


『ふふふ、湯水さんって可愛いね』


「「可愛くないよ、葵さん」」


しかめっ面の美結氏とメグ氏の声がハモったのを聴いて、私は思わず「ふふっ」と吹き出した。


『湯水さんは、どういうところで兄貴さんを優しいって思ったの?』


『えーと……その、実は私、この前元カレにしつこく付きまとわれたことがあって。力づくで腕を引っ張られたりして、すっごく怖かったんですけど……その時、渡辺先輩が助けに来てくれて……』


『へー、すごいね。漫画みたいだ』


『えへへ……』


『……………………』


葵氏はここで一呼吸置いた。そして、『湯水さん……』という声掛けを枕に、とうとう葵氏が仕掛けた。


『こういうこと言うの……あんまり好きじゃないんだけど……兄貴さんには、ちょっと気を付けた方がいいよ?』


『え?』


『……あの人ね、結構な遊び人なの。何人もの女の子が、あの人のせいで泣かされてるよ』


『……え?え?』


声を潜めて話す葵氏の言葉に、湯水のみならず、美結氏とメグ氏も困惑した。


「え?葵……さん?」


「明さんが遊び人なんて、そんな……そんなわけないじゃないですか。柊さん、これは一体……?」


「二人とも、どうか落ち着いてください。これこそ、私が明氏に頼んだカマかけなのです」


そう、私がやりたかった作戦はこうだ。


まず、明氏がいない時に、湯水へ『明氏の悪評』を話す。湯水は冷たいほどに合理的な女だ……明氏の評判が実は良くないと知れば、あっさり明氏を手放すだろう。彼にトロフィーとしての価値がなくなれば、すぐに捨てる。少なくとも、今までの湯水なら必ずそうするはず。


(だが……もし、本気で明氏に惚れてしまったら、簡単に諦めることなんてできないはず……。動揺するか、信じないか、或いは本人に直接訊くか……。いずれにしろ、この質問で湯水の本気度が測れる。さあ湯水……どう出る?お前の本音……本心を、ここで晒して見せろ……)


『……………………』


盗聴器は、未だに沈黙していた。しーんとした事務所内の空気が、いやに冷たく感じた。



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