38.美結の平和な1日




……ちゅん、ちゅんちゅん



朝、窓の外から聞こえる鳥のさえずりに起こされた私は、うっすらとを目を開けて、白い天井をぼんやりと見つめた。


体感的に、今はたぶん……朝の九時頃だろうなというのが分かる。日差しの入り具合や光の強さから、おおよそ予想できた。


布団の温もりが異様に気持ちよくて、今日はいつもより遅く起きたかも知れない。春の陽気のせいなのかも。


こういうのなんて言うんだっけ……?春眠暁を覚えず、かな?


「……お兄ちゃん」


顔を横に向けると、ベッドに一人分くらいのスペースが空いている。そこに手を触れると、まだ暖かった。


「……………………」


私は、その空いたスペースの方へ身体を移動させた。ふわっと鼻に香ったのは、お兄ちゃんの匂い。


布団を頭から被って、全身を布団に包むと、さらにその香りが強まった。お兄ちゃんに抱き締められてるみたいで、すっごく心地よくって……そのまま私は、また二度寝をしてしまった。


結局しっかり起きられたのは、十時半過ぎだった。さすがにそろそろ起きなきゃと思い、いそいそとベッドから出て、一階の洗面台へと向かった。


洗顔と歯磨きをして、朝食を食べる。と言っても、食パンにブルーベリージャムを塗っただけの簡単なご飯。しーんとする食卓に一人、私がパンを咀嚼する音と、ジャムの瓶にナイフが当たる音だけが家の中に響いていた。


「……よし」


朝御飯を終えた後は、お洗濯の時間。洗濯かごに入った洋服たちを洗濯機に入れて洗う。その間、家のお掃除を少しだけする。廊下を箒ではいたり、食卓をふきんで拭いたりなど、そんな感じのお気楽なお掃除。


『傘がないならないでいい♪雨の中を歩けばいいさ♪』


スマホから、お兄ちゃんに教えてもらった音楽を流す。しんとした家の中が、その曲のお陰で明るくなる。


『ずぶ濡れのまま♪歩けばいい♪』


「汗をかいて♪歩けばいい♪」


歌に合わせて私も口ずさむ。だんだんと身体がノッてきて、ふきんで拭く腕もちょっとだけ軽やかになる。


『夏が過ぎて遠くの彼方♪入道雲にあなたの面影♪』


お兄ちゃんから教えてもらった曲が終わると、今度はメグからオススメされた曲が流れ出す。最近は自分の知らなかった音楽をプレイリストにまとめて、こういう時にのんびり聴くのが、私の密かな楽しみだった。


『君のために買ったアイスは♪』


「遠い昔に溶けちゃった~♪」


いい歌だな~、なんて呑気に思っていた時、洗濯機が止まる音が聞こえた。洗濯物をかごに入れて二階に持っていき、脱衣場の隣にある中干しできるスペースに、ハンガーを使って洋服をかけていく。


「……………………」


ふと、お兄ちゃんのシャツを手に取った。学校に来ていく制服の白シャツ。お兄ちゃんのシャツ……。


「……………すんすん」


鼻を近づけて、そのシャツの匂いを嗅いだ。もうさすがに匂いは残っていない。洗濯したばかりの湿った水の匂いがするばかり。


「……私って、変態かな?」


誰に言うわけでもない小さな独り言を、その場でぽつりと呟いた。






……一通りの家事を終えた私は、学校の授業を自室で受けた。スマホから授業の動画をダウンロードして、それを聴きながらノートを取ったり、動画のスクリーンショットを取って保存したりして、しばらくの間勉強した。


気がつくと、お昼の二時を過ぎていた。特段お腹は空いていないので、今日のお昼は食べない。家にこもってると太りやすくなっちゃうので、お腹が空いてない時はなるべく食べない方がなんだかんだ健康的だと思う。


(お兄ちゃんはちゃんと食べた方がいいって言うけどね)


『成長期なんだから、あまりダイエットとか気にしなくていいと思うよ?』と、そう言って私を諭すお兄ちゃんの顔が浮かんだ。心配そうに見られている感じがなんだかくすぐったくって、私は大好き。


「よし、もう今日は勉強終わり」


自室のベッドでごろんと寝転がり、動画を切った。代わりにアプリで話題の漫画を読み始めた。


この話題になっている漫画というのが、兄妹の恋愛を扱っているらしく、きっと私は絶対好きそうだなと思って読んでみたのだ。


キャラクターのやり取りにきゅんきゅんしながらも、私は少しだけ寂しくなった。


その理由は、兄と妹が同じ学校に通っていて、その廊下ですれ違う時に……互いに頬を赤らめるシーンがあったから。


(もし私がいじめられずにいたら……お兄ちゃんの学校に通って、お兄ちゃんと学校でイチャイチャしたり、隠れてキスしたり……なんてこと、できたのかな)


「……………………」


私はスマホを枕元に置いて、その空想を広げてみた。


私がメグと一緒に廊下を歩いてて、そのすれ違い様にお兄ちゃんがいて……。私とメグが手を振ると、お兄ちゃんはにこっと笑って手を振り返してくれて……。


お昼には屋上へ行って、日替わりでお弁当作る係を交換してて、お互いに「美味しいね」って言い合って……。チャイムが鳴ってクラスに戻らなきゃいけなくなった時には、またねのキスをして別れるの。


それから、学校にはたくさんの行事があるから、それもきっと心から楽しめる。体育祭ではお兄ちゃんの走る姿を応援して、文化祭では一緒に出し物を巡って、そして……お兄ちゃんの卒業式で、私は寂しくて泣くんだ。


「……………………」


そういうことが、きっとできたと思う。お兄ちゃんと二つしか違わないから、そんな素敵な思い出がたくさん……たくさん……


「……ばか」


私は眼を閉じ、自分に向かってそう呟いた。これ以上『あったかも知れない未来』なんて、空想しても仕方ない。余計に今の状況が悲しくなるだけだから、そんなの止めた方がいい。


「……お兄ちゃん」


私はまたスマホを取り出して、お兄ちゃんにLimeを送った。


『お兄ちゃん、今日の夜は何が食べたい?』


他愛もない会話をお兄ちゃんとすることで、寂しさが紛れる気がしたからだ。数分経つと、お兄ちゃんから返信が来た。


『オムライスとか久々に食べたいな!』


あ、オムライスいいね。私も食べたいかも。


『分かった!じゃあ、準備して待ってるね♡』


私はちょっと恥ずかしかったけど、敢えて♡マークをつけてみた。実はお兄ちゃんには内緒だけど、Limeに登録しているお兄ちゃんの名前も、密かに「渡辺 明」から「お兄ちゃん♡」に変えている。


(私って、端から見るとだいぶヤバい妹なんじゃないかなって、時々心配になっちゃう。そりゃ、血の繋がってない義理の兄だけど……ここまでくると、あまりにブラコンすぎないだろうか?って、そんなことを考えてちょっとだけ恥ずかしくなる)


でも、しょうがないよ。自分でもこんなにお兄ちゃんの存在が大きくなるなんて思わなかったもん。



『なんか、冴えない感じー。私、この人がお兄ちゃんなの嫌だ』



「……もし、あのままの私だったら、お兄ちゃんとここまで仲良くなれたんだろうか……?」


いじめを受けて、すごく辛い思いをして……そんな時にお兄ちゃんが助けてくれたから、今……私はお兄ちゃんのことを大好きだって言える。


だけど、そういう境遇じゃなかったとしたら?あのまま生意気な私で、ひどい態度をお兄ちゃんに取り続けて、ずっと険悪な雰囲気な感じで終わっちゃったら……。


「……いや、それでもやっぱり、私はお兄ちゃんを好きになれた気がする」


今みたいな関係じゃなかったかも知れないけど、きっと私はお兄ちゃんを好きになる。たぶん、素直になれずに「マジでうちの兄貴ウザーい!」とかメグに愚痴りながら、お兄ちゃんのことチラチラ見ちゃうような、そんな子になってたと思う。


「でも、そんな私だったら、きっとお兄ちゃんと恋人になれてないな。メグが代わりに……お兄ちゃんの隣にいるんだろうな……」


人生って、何がどうなるかまるで分からない。いじめを受けて引きこもりになっちゃったのは、確かに悲しい。でもそのお陰てお兄ちゃんを好きになれたのは、本当に嬉しい。なんだか、すごく皮肉な話……。


「……………………」


気がついた頃には、もう夕方5時を過ぎていた。私はようやくパジャマから着替えて、外行きの(それでもTシャツとズボンというだいぶラフな格好に)着替えて、買い物袋とお財布を持ってスーパーに出掛けた。


歩いて15分ほどして、そのスーパーについた私は、オムライスの材料を揃えていく。


「えーと、卵とケチャップと……それから玉ねぎか。あ、ベーコンとかも買わなきゃ」


一人でいる時間が増えると独り言が増えるって言われるけど、それはホントだと思う。もちろん私はお兄ちゃんがいつもそばにいてくれてるけど、日中はほとんど一人なので、やっぱり独り言が増えた。


「あ、バナナだ」


果物コーナーに陳列されたバナナを見て、思わず私は柊さんを思い出した。なんで柊さんって、あんなにバナナ好きなんだろう?


「いや、もちろん私も嫌いじゃないけどさ……。でもなんだか食べたくなってきちゃったから、買って帰ろうかな」


オムライスの材料+バナナをかごに入れて、レジでお会計を済ませる。スーパーから出て帰路を歩く途中、道端にたんぽぽが咲いているのを見つけた。


「せっかくだし、摘んでいこうかな。お兄ちゃんも喜んでくれるよね」


博美ママの好きだったたんぽぽ……。それがもう咲く時期なんだね。


夕暮れの仄かな日差しを受けて、私は穏やかな気持ちになった私は、買い物袋を肩に下げて、たんぽぽを手に持った。


家に帰ると、まず小さな花瓶にたんぽぽを入れて、食卓の上に置いた。それからオムライスを作り始める。




ご飯と玉ねぎ、ベーコン、それからグリーンピースととうもろこしを混ぜて、そこにケチャップを入れる。さらにそこへ、ソースとオリーブオイルを混ぜてから炒めると、ケチャップライスの完成!


お次は、卵と牛乳、そして少々のお砂糖を溶かして、それを混ぜる。


十分に混ぜたら、フライパンに広げて、火をかける。


「お兄ちゃんは確か、半熟が好きだったもんね」


お兄ちゃんの分は半熟に、私の分は固めに。各々が好きな形で食べれるようにするのが、密かな私の気遣いです。


でも、密かにしてるつもりでも、お兄ちゃんにはバレちゃうんだけどね。



『お!俺の好きな半熟にしてくれてるー!ありがとう美結ー!』



「……えへへ。お兄ちゃん、喜んでくれるかな」


オムライスが完成したので、食卓へと運び、私とお兄ちゃんの席の前に各々置く。


時間を確認すると、もう夕方の六時だった。もう帰ってきてもいい頃なんだけど、今日はちょっと遅いかも?


「どうしたのかな?」


一応連絡が来てないかLimeを確認するけど、特に連絡はなし。一旦こっちから連絡を入れてみる。



『晩御飯できたよー!一緒に食べたいな!』



Limeを送っておけば、たぶん返信が来てくれるはず。お兄ちゃんはいつも、私にはすぐに返してくれる。ちょっと申し訳ない気もするけど、やっぱり嬉しさが勝っちゃって、ついついお兄ちゃんに甘えちゃう。


「まあ、バスが遅れちゃったとか、何か学校で用事ができちゃったとか、そんな感じかな?」


私は自分の席に座って、ケチャップでオムライスに絵を描いた。


私のにはニコニコマークを描いて、お兄ちゃんのには「スキ♡」と書いた。


こうして振り返ってみると、私は毎日毎日、お兄ちゃんのことばっかり考えてる。


もしお兄ちゃんがいなくなっちゃったりなんてしたら……私、たぶん気がおかしくなるかも知れない。依存気味なんだってことは、自分でも分かっているんだけど……中々解消できそうにない。


それに、今はお兄ちゃんのことを好きでいられる自分のことを、好きになれている気がする。前まで私は、生意気で強気に生きていたけど、そんな自分を好きだとは思ったことがなかった。


何かに焦ったように、他人と自分を比べて、常に上にいないとムカつく、みたいなことをずっとしていた。だからいつまでたっても満足しなかったし、気持ちもピリピリしていた。


「やっぱり、人生っていろいろだな~」


私は頬杖をついて、オムライスから出る湯気を眺めながら、お兄ちゃんを待った。


Limeの返信は、未だになかった。


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