37.作戦会議
……とある日曜日。
私とお兄ちゃんは、城谷さんと柊さんに会いに行くため、警察署の相談室へと足を運んだ。
いつものように、私たち兄妹が横にならんで座り、城谷さんたちが私たちに対面して座る。
「まずは、美喜子たちの状況について話しましょう」
柊さんがそう言って話し始めた。
「美喜子は先日の裁判で、1年4ヶ月の懲役となりました。また、離婚に関してもお互いに了承済で、美喜子側が親権を放棄する形となりました」
「……ママの方から、親権はいらないって言ったってことですか?」
「ええ、本人曰く『私は誰も育てられない』とのこと。今度の赤ん坊が産まれても、施設に預けた後、引き取る意思はないと言いました」
「……………………」
私は、もうこれで完全に親子の縁が絶たれたことを理解した。誰も育てられない……というのは、ママも何かしら分かったのだろうか?自分の行いを振り返って、母親としてはいられないと……そう思ったということだろうか?
「それから、隆一の方ですが……彼には特段、厳罰が処されることはありませんでした。虐待を助長していた証拠が明確になかったからです」
「まあ……事実、仕事でほとんど家にいなかったわけですもんね。助長していたというよりは、放任という感じでしょうけど」
お兄ちゃんがそう言うと、柊さんが頷いた。そして、城谷さんの方から新たに言葉が繋がれた。
「隆一さんは『自分は明たちに申し訳ないことをしてしまった。正式な罰は降りなかったから、明たちから罰を与えてほしい』って、そんなことを言ってたの」
「……罰、か」
お兄ちゃんは私の方へ眼をやり、「美結はどう思う?」と言って尋ねてきた。
「私……?」
「どんな罰にする?父さんに……どうなってほしい?」
「……………………」
「俺は正直、あんまり干渉しないでほしいな。今さら仲良しこよしっていうのも、ギクシャクして上手くいかないのが目に見えてる。そんなことするくらいなら、遠く離れていて、互いにあまり干渉しないけど、無事であることを祈っているくらいが……俺にはちょうどいい」
「……お兄ちゃん」
「だからまあ……そうだな。俺たちの方で家を出ないか?それでもう……お互いに、そんなに深く干渉しない。そういう約束をさせてもらうっていうのは」
「……うん、私もそれでいいと思う」
私の言葉を確認すると、お兄ちゃんは柊さんたちの方へ向き直った。
「俺らの方で、近々家を出ます。それからはなるべく干渉してもらわなかったら、文句ないです」
「わかった。じゃあ彼にそう伝えてみるね」
城谷さんがそう答えると、柊さんが横やりを入れてきた。
「どうせなら、新居の家賃とかも請求しちゃえばいいですよ。そのくらいは隆一に出させてもいいはずです」
「家賃……ですか」
「罰を受けたいって言ってるんですから、その罪悪感につけ込んで絞れるだけ絞りましょう」
「ちょっと千秋ちゃん、そんな小悪党みたいなこと言わないの」
城谷さんの突っ込みに対して、柊さんはまるで表情を変えなかった。城谷さんは苦笑しつつも、私とお兄ちゃんに顔を向けて自分の意見を話してくれた。
「でも、そうね……千秋ちゃんの言う通り、そこのお家賃は貰ってもいいんじゃないかな?学生の二人にはまだ厳しいと思うし、そのくらいの援助はしてもらってもいいと思う」
「……そうですね。じゃあ就職までは、甘えさせてもらおうかな」
そうして、隆一パパが家に戻ってくるタイミングで、私たちは引っ越しをすることにした。場所はおいおいお兄ちゃんと細かく決めていくけど、私とお兄ちゃんの高校の近くが良いよねという、ざっくりした意見を固めることはできた。
「それでは、本題に入ります」
柊さんの言葉に、私は少しだけ緊張感を覚えた。柊さんはいつも、くたびれたスーツにぬぼ~っとした真顔を持ってるマイペースな人だけど、どこかぴりっとした空気感を持ってて、話す言葉にもその緊張感が伝わってくる時がある。
「湯水たちとの決着の付け方について、具体的に話し合いましょう」
「はい」
「美結氏、あなたは湯水たちをどうしたいですか?土下座でもさせますか?」
「……………………」
私は正直、とても迷っていた。湯水たちにされたことはすごく悔しいし、すごく怖かった。でも、だからと言って謝ってほしいわけじゃない。なんとなく彼女たちは、本当に心から謝ってくれるような気がしないからだ。心のない謝罪を貰っても、ちっとも嬉しくない。
……だけど、いじめたことについては、認めさせたい。彼女たちは前に、『いじめられてたのは自分たちの方だ』なんてことを言ってた。私が仕返しした時のことを、上手く揚げ足取ってそう話しているんだろう。それが私、許せなかった。
「……上手く言えないんですけど…………」
柊さんや城谷さん、そしてお兄ちゃんに向かって、わたしの本心を洗いざらい話した。不要な謝罪はいらない。だけど、いじめについては絶対に認めさせたい。
「そうだな……自分らの方がいじめられてたなんて戯れ言は、俺もムカついてた」
お兄ちゃんがうんうんと相槌を打つ。
「きっちり認めさせてやろうぜ。そして、もう俺らに絶対関わるなって何か書面に残させて、完全に終わらせてやろう」
「うん」
お兄ちゃんは優しく微笑むと、少しだけ眉間にしわを寄せて、私と柊さん、城谷さんの三人を見渡してから、衝撃の告白をした。
「実は俺……先日コクられたんです」
「コクられた?」
「ええ、湯水から」
「え……!?」
ええええええええええええええ!?
……私の叫びは、相談室の外の廊下まで響いたんじゃないかと思うほど大きかった。
これにはさすがの柊さんたちも、唖然としていた。
「コ、コクられた……?明氏が湯水に、ですか?」
「ええ」
「あ、明くんがタイプ……だったのかな?」
「……今起きている状況を、1から話しますね」
そうしてお兄ちゃんは、事の顛末をすべて話してくれた。
メグの話が広まって、お兄ちゃんが人気者になったこと。その人気を聞き付けて、湯水がやってきたこと。お兄ちゃんの推測では、人気者のお兄ちゃんを欲しがったがために、湯水が告白してきたんじゃないか?ということ。
メグがお兄ちゃんのことをクラスメイトに話しちゃったことは、メグ本人からも聴いてはいたけど、まさか……湯水がお兄ちゃんに目をつけるなんて。
「もちろん俺には美結がいるんで断りましたが、彼女は諦める様子じゃなかった。俺をどうにか手に入れようと、これからあの手この手で仕掛けてくるでしょう」
「……これは、まさかの事態ですね。明氏にまで湯水の手が伸びてくるとは」
「……実は俺、この告白は……チャンスだと思ってるんです」
「チャンス?」
私たち三人がお兄ちゃんを見る中、お兄ちゃんは冷や汗を滴しながら、ある計画を口にした。
「湯水は、とことん合理的だと柊さんが分析してくれましたよね?合理的ということは、俺を手に入れられないとわかったら……今度は俺を、いじめのターゲットにしてくる可能性があるんじゃないかと思うんです」
「いじめの?」
「悪評を流したりして、俺を陥れる状況を作る。そうすれば、『湯水 舞をフッた明という人間は、悪いヤツだった。そんなヤツに振り回された湯水は可哀想な子』と……。そういう風な環境を作れば、湯水は悲劇のヒロインを演じられるし、フラれて傷ついたプライドも回復できる。だから、ある一定のラインを超えると、彼女は俺をいじめる方へとチェンジするはず」
「確かに、その線は濃厚ですね」
「そのいじめられる状況を、目指してみようかなと思うんです」
「え?」
「ど、どういうこと?お兄ちゃん」
「明くんは、わざといじめられるってこと?」
お兄ちゃんはゆっくりと、首を縦に振った。
「いじめられるってことは……大きなチャンスです。俺はもともと、湯水が他の誰かをいじめている証拠を欲しがってた。でも、俺自身をいじめてくれるなら、証拠を間近で……手に入れられる。俺への悪評をたくさん流した後、あいつはボロクソに俺をなぶるでしょう。その瞬間……なぶる真っ最中をビデオ撮影できるし、録音だって好きなだけできる。俺へのいじめが何よりの証拠になる……!」
「……………………」
「それに、俺がいじめられることによって、他の子へのいじめが減るはず。俺へ構う分、物理的な時間も精神的なフラストレーションも減る。利点がたくさんあるんですよ」
「で、でもお兄ちゃん……自分からいじめられるなんて、そんなこと……」
「……いいんだよ美結、これが一番良いんだ」
「でも私はヤダよ!お兄ちゃんが辛い目に遭うのなんか、見たくない!」
「明くん……さすがに私も反対だよ。わざわざ辛い思いする必要なんかないと思う……」
私と城谷さんがお兄ちゃんを止めようとする中、柊さんだけがずっと黙ってお兄ちゃんを見ていた。真っ直ぐに眼を反らさず……じっと微動だにしなかった。
「明氏」
「はい、柊さん」
「いじめを甘く見ている……わけではないですね?二つ年上の先輩だろうが、湯水は手心なぞ加えない」
「ええ、もちろん」
「……美結氏は湯水に、髪の毛を丸坊主にされた。私は昔いじめっ子に、顔をトイレへ突っ込まされた。城谷ちゃんの妹は、三年かかった仕事のデータを上司に全部盗まれた。それくらい……いやひょっとしたら、それ以上に辛い思いをされることを……覚悟していますか?」
「これが、美結のためになるのなら」
「……………………」
「これは証拠を手に入れるための計画です。証拠を掴むには、こっちから懐に入らないといけない。今、向こうから俺に近寄ってきたのなら、これは間違いなくチャンスです」
柊さんは眼を閉じて、しばらく沈黙していた。そして……数秒の後に、「分かりました」と言ってお兄ちゃんをもう一度見た。
「その計画でいきましょう。明氏は、いじめを誘発するよう動いてみてください」
「ちょっと千秋ちゃん!こんなのダメだって!こんな……わざわざ辛い思いをする必要なんて!」
「……湯水のいじめは、さすがの用意周到さゆえに、とても立証しづらい。美結氏のみならず、今まで湯水からいじめを受けてきた人たちも証拠が集まらず、泣き寝入りしている。このままだと美結氏が本当に、いじめてたことにされて終わる。だから……明氏へのいじめを記録におさめられるなら、それが最善だと思う」
「でもこんなこと!こんなこと……正しいなんて……とても思えない……」
「城谷ちゃん。警察官のあなたに言うのも酷だけど……この世には正しいとか悪いとか、そんなものは存在しない。あるのは、好きか嫌いか、それだけよ」
「……………………」
「明氏は、美結氏が好きで、湯水が嫌い。なら美結氏を守るためなら、どんなことでもする。明氏はそう言っているんです。正義がどうのとか、方法がどうのとか、そういう話じゃない」
城谷さんは、下唇を噛んでうつむいてしまった。そんな彼女に、お兄ちゃんが声をかけた。
「柊さんの言い方は極端かも知れませんが、概ねその通りです。美結と……そして他の、いじめのターゲットにされそうな子たちを守る作戦として、おそらくこれが一番有効なんです」
「……明くん」
「はっきり言って、湯水なんてすぐにぶん殴ってしまった方が、復讐としては早いですし、すぐ片付きます。でもそれじゃ意味がない。湯水がいじめをする人間であること、そして美結をいじめたこと……。これをヤツに……公に認めさせて初めて、俺たちの復讐は完結するんです」
「……………………」
「……お兄ちゃん」
私は一体……どうしたらいいんだろう。もちろんお兄ちゃんは、私なんかよりずっとずっと強い人だ。でも、それでも辛い環境に自ら飛び込もうとするなんて……そんなこと……。
『学校にいられなくしてやるから』
湯水の顔をふいに思い出して、私は鳥肌が立った。ヤダ……お兄ちゃん、お兄ちゃんまで私とおんなじ目に遭わないでほしい……。
「お兄ちゃん……私、やっぱりイヤだよ」
「美結……」
「たとえ作戦だとしても、お兄ちゃんがいじめられるところなんて……見たくないよ。辛くて辛くて……私、耐えきれないよ……」
「……………………」
私がお兄ちゃんの袖をきゅっと掴むと、お兄ちゃんは眉をひそめて、口を真一文字に閉じた。
「……明くん、私からもお願い。その計画は……どうか、最後の手段にしてもらえないかな?」
「城谷さん……」
「明くんは強い人だから、きっといじめを耐えて、証拠を抑えていけると思う。でも、美結ちゃんを悲しませるようなことは……なるべく、避けてあげて?」
「……………………」
城谷さんも、自分の妹さんのことと重ねているのかも知れない。自分が苦しむことより、愛する人が苦しむ姿を見る方が、ずっとずっと辛かったりする……。そんな気持ちを城谷さんも知っているから、私の味方をしてくれたんだと思う。
お兄ちゃんはしばらく黙っていたけれど、私の方をちらりと横目で見た後、「……分かりました、城谷さん」と言って、頭を下げた。
「少しばかり、熱くなってしまいました。すみません」
「ううん、気にしないで明くん。美結ちゃんのために身体を張れる勇気があるのは、とっても素敵なことだと思うもの。だけどもう少しだけ、自分のことも大事にしてあげてね?」
「……はい」
「お兄ちゃん……」
「美結、ごめんな。つまらない心配をかけて」
「ううん、私の方こそ……」
「さ、千秋ちゃん。明くんもこう言ってるんだし、あんまり心配になるような作戦は、なるべく止めよう?」
柊さんは城谷さんの方へ顔を向けた。そんな城谷さんは、柊さんへ優しく微笑んだ。ここで優しく微笑むことのできる城谷さんも、きっと強い人なんだと思う。
柊さんは眼を伏せて、「……そうね」と一言呟いた後、今度は私の方を見て告げた。
「いじめの火が過激になると、明氏の親族……つまり、美結氏の方にも火種が飛ぶ恐れがある。確かに、容易にいじめを受けるのは危険かも知れない」
「うん、そうだね。千秋ちゃんの言う通り、明くんがあまりにもいじめに折れないと、美結ちゃんの方に手を伸ばしてくるかも知れない」
「明氏、ひとまずはここで終わりにしましょう。湯水たちにいじめを認めさせたいという方向性を、固められただけでも良かったです」
「ええ、そうですね」
「もちろん、こちらが誘ってこなくても、向こうからいじめをしてくるなことは十分にあり得る。その時は証拠をバッチリ取っちゃってください」
「はい、抜かりなく」
私たちの話し合いは、こうして終わった。これから湯水たちとの決着をつけていくための……方向性を決めた日だった。
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