36.接近
「湯水が……お兄ちゃんの学校に!?」
美結は驚きのあまり、手に持っていた箸を危うく落としそうになっていた。
俺も美結も、入学式&新学期の初日を終え、昼前には帰宅していた。お昼ご飯を二人で食べながら、俺は美結へ彼女に会ったことを話したのだ。
「見たのは湯水だけだから、他の二人がいるかどうかは分からないけどね」
俺は肉じゃがを白飯の上に置いて、一緒に口の中に放り込んだ。
「……あの、お兄ちゃんは全然大丈夫だとは思うけど、その、気をつけてね?お兄ちゃんが湯水に何かされちゃったら……私……どうしたらいいか」
「ああ、俺は平気さ。学年も違うし、会うこともほとんどあるまい。気がかりなのはメグちゃんの方だ」
「メグ……?あ、そうか。同じ学年だもんね。それでさらに、同じクラスになったとかだったら……」
「美結、君の方からメグちゃんに一言、言ってあげてもらえないか?『湯水って子には気を付けろ』って。美結から言ってあげる方が説得力あるだろうからさ」
「うん、後で電話してみる」
「本当はあまり、人の評判を落とすようなことはしたくないんだが、彼女らに関しては仕方ない」
昼飯を綺麗に食べ終わった俺は、空の食器を流し台へ持っていった。蛇口を捻り、水を出してお皿を洗い始める。
(俺の方も……後で城谷さんと柊さんに報告しておくか)
湯水が俺の学校へ来たこと。実はこれ自体は、そこまで悲観していない。むしろチャンスだとすら思っている。
なぜなら、湯水が誰かをいじめている現場を発見したら、すぐ止めに入れるからだ。これから彼女たちに辱しめられる被害者を、少しでも救えそうな気がする。それに、そういう現場を抑えられたら、美結のいじめの件についても進展ができる。湯水という子がいじめをする子ならば、美結へのいじめも信憑性を増すことができる。
欲を言えば、美結と湯水が中学生時代にいじめの件は解決したかったが……親の件が至急で動き出したので、中々いじめの方は手が回らなかった。だが、親問題があらかた解決した今、ようやくこの問題の方に集中できる。
(……待てよ)
俺は蛇口を一度閉じ、食器を洗う手を止めて、しばらく思案した。
(むしろ、こっちから近づく方がいいか……?下手に近寄りすぎるとあれだが、それなりに監視できる場所……そのくらいの距離感にはいた方がいいのでは?)
だが、問題はその距離感がどの程度なのか?ということだ。同じ委員会、あるいは部活に所属するとか……だろうか?
(……そこも含めて、柊さんたちに相談してみるか)
俺は蛇口を捻り、お皿洗いを再開した。
『……なるほど。湯水が明氏の学校に、ですか』
自室の勉強机の前にある椅子へ座り、窓の外を眺めつつ、携帯を片手に柊さんと電話をしていた。
「ええ、たまたまだとは思いますけどね」
『他2人の方も、一緒に進学しているんですか?』
「いや、まだそこまでは」
『ふむ……』
窓の外に見えるのは、なんの変哲もない住宅街。だが、どこかの家に咲いている桜から飛んできた花びらが、ちらちらと住宅街を舞っていた。
「俺、湯水にちょっと近づいてみようかなと思ってるんです」
『近づく、というと?』
「同じ委員会か、同じ部活か。そういうのに所属して、あいつと接点を持つんです。あいつはおそらく、高校でも誰かをいじめると思います。そのいじめに気づくきっかけを、少しでも増やせるんじゃないかと」
『きっかけ……ですか』
「もちろん、柊さんへ調査を依頼させてもらっているので、そんなことまで必要ないかも知れません。しかし、今の柊さんは俺たちの親の後処理……裁判関係や離婚調停を進めてもらっている。どっちも進行していくのはさすがに大変でしょうし、俺も……湯水と一緒の学校でいることを、なんとか利用したいんです。美結のために、このまま指を咥えて黙っていたくない」
『…………………』
柊さんの沈黙は、思いの外長かった。俺はなんと言われるのか分からなくて、なんとなく背筋をぴんっと伸ばした。
『……ひとまず、今度みんなで集合しましょうか。改めて、今後の方針を固めましょう。明氏も、湯水へ接近するのはその後からでもよろしいですか?』
「……分かりました。すみません、勇み足過ぎましたかね」
『そうですね、少し焦っておられたようだったので。でも、お気持ちは分かります。私も本当は、今すぐにでも湯水ら三人の頭をバリカンで丸坊主にし、彼女らのやってきたいじめをSNSで暴露して大炎上させて、住所特定されたりピザ1000枚を注文されたりすればいいと思ってるんですから』
「……冗談、ですよね?」
『半分本気です』
けろっと答える柊さんに、俺は思わず苦笑した。でも、そこまでばっさり言ってくれた方が、俺も心が救われる気がした。
そして、柊さんたちと後日会う約束をして、その電話を終えた。
……それからしばらくの間、俺たちの新しい日常が始まった。三年生になってから、なぜか俺は妙に……廊下などですれ違う時に、いろんな人と目が合うようになった。
「あ、見てみて。あれが噂の先輩じゃない?」
「ホントだ!シスコンなんだっけ?」
「でも義理の妹なんでしょ?だったら良くない?」
そう言ってこそこそと俺のことをチラチラ見ながら喋る女子が、なぜかここ最近すごく多い。特に新一年生が俺のことをよく見てる感じがする。
最初は『人間違いか何かだろ』と思って、なるべく気に止めないようにしてたのだが、ある時……学校の帰り道で、五人くらいの一年生女子から「渡辺センパーイ!」と言って、手を振ってきた。もちろん、全員誰も知らない子達だ。
彼女らの顔は、ニヤニヤというかニマニマというか、とにかくテンションの高い興奮した様子だった。
「お、おう……。みんな、気をつけて帰ってね」
戸惑いながらも俺は手を振り返した。無視しても良かったんだろうけど、今の俺にはそんなことをする勇気はなかった。彼女たちは、俺が手を振った瞬間に「キャー!」という黄色い歓声を上げた。
「は?え?え?何事?」
困惑する俺を置いて、女子たちは足早に去っていった。「ヤバいねー!」「うん!ヤバーい!」という、全く何も状況を読み取れない談笑が、俺の耳に忙しく入ってきた。
「マ、マジでなんなんだ……?」
渡辺センパイと呼ばれたということは、人違いではないということだ。なんなのか本当に謎だ。
俺は決してイケメンなんかじゃない。スポーツだって目立つほど上手いわけじゃないし、何か凄い特技があるわけでもない。こんなキャーキャー言われるような人種じゃない。こんな待遇は、俺には似合わない。
「いや、悪い気はしないけど……謎すぎて仕方ない。なんなんだ?本当に……」
いわゆる『モテている』状況なのだろうけど、なんでモテるのか分かっていないと、困惑しかしないんだな。原因が分かっていれば俺も自慢げに「へっへっへー!」ってできるけど、なんかそれすらわからないとなあ……。
「はあ……なんなんだ?一体」
俺に訪れた謎のモテ期。この原因が分かるのは、その翌日のことだった。
「明さん、こんにちは!」
「おー、こんにちはメグちゃん」
移動教室の途中、たまたま会ったメグちゃんに、そのことを話してみた。
「なんか最近さ、やけに一年生?たちにチラチラ見られるんだ。メグちゃん、なんでか知らない?一年生の間で変な噂でも流れてるのかな?」
「あ……えーと、その……ごめんなさい。私のせいかも知れません、それ……」
「え?」
メグちゃんは頬を赤らめて、その場でうつむいてしまった。教科書を胸にぎゅっと抱いて、「もじもじ」というオノマトペが周りに出てくる勢いで赤面していた。
「???なになに?どうしたの?」
「あの……ごめんなさい。私この前……新しくできた友だちに、『クラスで誰が一番カッコいいと思う?』みたいなの聞かれて……。私、クラスの人には興味ないって言っちゃって」
「……あー」
これは……なんとなく察してきたかも……。
「その弾みで……私、明さんのこと話しちゃったんです。明さんが美結のために……妹のためにあんなことやこんなことする人なんだって……。それがやけに友だちにウケちゃったみたいなんです……。『何それ!ドラマみたーい!』って……」
「な、なるほど……」
「も、もちろん、美結の名前とか、詳しくどんなことをしたとか、そういうのは伏せました!でもその……私が明さんのこと話しちゃったせいで、一年生の間で明さんのことが広まっちゃったのかも知れません……」
「そっか……。うーん、まあ……なんていうか……そうだなあ……」
俺はメグちゃんの話を聴いて、状況が大まかに整理できた。
メグちゃんが俺の話をする→ドラマみたいな経験してる人がいる!(好奇心要素1)
メグちゃんはその先輩と同じ学校へ来た→先輩と同じ学校を選びたくなるくらい先輩が好きorカッコいいの!?(好奇心要素2)
(実際にはメグちゃんは精力的な美術部のために学校へ来たんだけど……噂に尾ひれがつきやすいところとしたら、『メグちゃんって明先輩を追っかけて学校選んだんじゃない?』的な話になる可能性は十分ある……。というか、そういう勘違いが一番起きそうな状況だ……)
そりゃあ、興味も沸くだろうよ。まだ入学して数日しか経ってないのに、面白い先輩がいる!って話が広まれば、その先輩がどんなものか覗きに来たくなるもんだろう。
「まあでも、それならしばらくすればおさまるかな。ミーハーな子たちも、1ヶ月後にはイケメン同級生を追っかけてるだろうさ」
「そ、そうですか?」
「うんうん、そんなもんでしょ。俺みたいに冴えない顔のやつを追っかけてもしょうがないじゃん」
俺がそう言って笑う様を、メグちゃんはきょとんとした目で見つめていた。
「とにかくその~、あれだ。注意ってほどでもないけど、美結に変な心配をかけるのもイヤだから、なるべく噂を流さないでもらえると助かるかな」
「は、はい!ごめんなさい明さん!私の方から美結にも謝っておきます!」
「うん、ありがとうメグちゃん」
まあ、もともとメグちゃんは別に悪いわけじゃない。ただ単にいろいろ話しすぎちゃったってだけだし、ミーハーな子たちが勝手に騒いでるだけで、この件もさして難なく落ち着くだろう。
……と、その時までは思っていた。
「……るるる~♪るるるる~♪腹が減った~♪」
その日の放課後、俺はご機嫌に歌を口ずさみながら下駄箱に向かっていた。日直の仕事で遅くなったので、周りには誰もいない。
「腹が減った~♪ご飯食べたい~♪らりらりる~♪」
聞こえるのは、自分の口から出てくる歌声だけ。上履きを脱いで下駄箱へ入れ、靴へと履き替えようとしたその時。
「ご機嫌ですね、先輩」
突然、声をかけられた。ぱっとそちらの方へ顔を向けた瞬間、ご機嫌だった歌をストップせざるを得なくなった。
湯水であった。
「…………き、君は」
「初めまして、湯水っていいます。今年入ってきた一年生なんです」
ああ、知ってるよ……と、思わず言葉になりそうだったものを、強引に押し込んだ。そう、思えば彼女と会話するのは、これが初めてだ。俺の方は美結から湯水の話を聞いているので、初対面という気はまるでしないが、彼女からすれば、俺は本当に初めて会う人間なのだろう。
しかし、なぜ湯水がいきなり俺に……?
「……湯水さん、だっけ?いきなり声をかけてきて、どうしたの?何か用?」
少し言葉にトゲが出てしまう。当然だ、こうして平静を装おえてるだけだいぶんマシだ。本当はお前なんてガン無視して、早く美結の家へ帰りたいんだから。
「ふふふ、そう冷たくしないでくださいよ」
湯水は作り物のような笑顔を見せた後、黒くて長い前髪を耳にかけて、上目遣いで囁いた。
「私、先輩のこと、好きです」
「……!」
俺が眼を見開いて固まっていると、彼女は続けてこう言った。
「付き合ってくれませんか?私と」
「……なんで、俺なんかが好きになったんだ?」
「だって、あなたの噂を聞いたから」
噂……ああ、メグちゃんが流した噂のことか。ミーハーな一年生と同じように、お前も俺を見に来たというわけか。
……いや、見に来たなんて代物じゃない。『自分のものにしよう』としてきた。噂の先輩をゲットしておこうと、そういう腹だろう?湯水。
「先輩のような誠実な人、とってもタイプなんです」
誠実、なんて言葉がお前から出るとは思わなかったよ。一番そういうところから遠いお前の口から、誠実だなんて言葉は聞きたくない。
「……すまないが、俺にはもう恋人がいる。頼みは聞けないな」
俺は冷や汗をたらしつつも、にっと口角を上げて答えてやってた。
湯水も口許は笑っているが、眼はまるで違っていた。
それは本当にお人形のような……ガラス細工のように綺麗で、不気味だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます