35.背中



夕暮れで橙色に染まった、静かで穏やかな住宅街に、俺たち三人の談笑する声が響く。


メグちゃんは美結へ服を返し、今は自分の制服を着ている。


「あ、ここです」


メグちゃんがそう言って指さしたのは、とある一軒家だった。その入口に立ち、くるりと俺と美結の方を見ると、頭を下げて言った。


「今日は2人とも、ありがとうございます」


「いやいやメグちゃん、そんな畏まらないで」


「そうだよメグ!私たちだって、一緒に遊んでくれてありがとうだよ!」


メグちゃんは頭を上げると、ふわっと柔らかく笑った。そして、「実は2人に内緒で、お土産を買ってたんです」と言って、肩から下げている学校の鞄の中から、三つの小さな紙袋を取り出した。


彼女はそれぞれ1個ずつ俺たちへと手渡した。「開けてみてください」と言われた俺たちは、早速その中を開けてみた。


入っていたのは、星形のペンダントだった。


「わあ!かわいい!」


美結が早速首にかけて、はしゃいでいる。


「これ、それぞれみんな星のペンダントにしているのは、夏の大三角をイメージしてるんです」


「夏の大三角?」


「美結がベガ、明さんがアルタイル、そして私がデネブ……。ベガは和名で織姫星、アルタイルは彦星です」


「!」


俺と美結は顔を見合わせた。


「愛し合う織姫星と彦星と、それを見守るデネブ……。ふふふ、ちょっと恥ずかしいですけど、なんだか私たちっぽい関係だなって思って、つい買っちゃいました」


くすぐったそうに笑う彼女を見て、俺も美結も笑みが溢れた。


「ありがとうメグ……!私、ずっと大事にするね!」


「うん、俺もだ」


夕暮れ時の光に包まれて、みなで笑い合った。ああ……なんていい瞬間なのだろう。きっと俺は、生涯この時を忘れることはないと思う。


「メグ?」


その時、玄関を開けて俺たちの方を見てきたのは、長身で髪の長い……おそらくメグちゃんのお母さんであろう方が出てこられた。


「母さん!」


「なんだー。もう帰ってきてたのね。玄関前で声がするから、誰かと思って来てみれば」


「母さん……今日はありがとう。出掛けること、許してくれて」


「いいのよ!あなたが元気なのが一番だから」


「…………!」


「楽しかったみたいね。良かったわ」


「……うん!」


メグちゃんとそのお母さんのやり取りは、本当に理想の親子像だと思えた。お互いに想い合う気持ちがあって……決して干渉しすぎず、かと言って無視をしない、愛のある関係。


「……………………」


俺はその様子を羨ましいと思うと同時に、少しだけ……自分の母のことを思い出して、寂しくなった。


「じゃあメグ、あなたまだここでお喋りしてる?」


「あ、えーと……うん、まだお喋りするけど、ちょっとだけトイレ行ってくる」


そう言って、彼女は俺たちに手を振って「すぐ戻るから!」と言い、一旦家に上がって行った。


「あんなにはしゃいでるあの子は、いつ振りかしらね」


メグちゃんのお母さんが、慈愛のこもった眼差しで、家の奥へと進んでいく娘を見つめている。


そんな彼女へ、俺と美結は挨拶をした。


「どうも初めまして、渡辺 明と申します」


「渡辺 美結です」


「あらあら、どうもご丁寧に」


「今日はすみません、娘さんをサボらせるようなことしちゃって」


「良いのよ!あの子が自分でサボりたいって想ったんだったら、文句ないわ。あの子は、自分の決めたことは自分で責任の取れる子よ。私が口を出す必要はないわ」


「……………………」


なんだか、メグちゃんのお母さんの前だと、ピンと背筋が伸びるような気持ちになる。自信を持たせてくれるというか、ちゃんと見守ってもらえるお母さんって感じだ。


「……明くん、でいいかしら?」


お母さんにそう言われて、俺は「ええ」と答えた。彼女は顎に手を当てて、じろじろと全身を見てきた後、「なるほど……メグはこんな感じの人がタイプなのね」と、小さな声で呟いた。お母さん、その声……聞こえてますよ……。


「それにしても明くん、あなた高校生なのよね?」


「ええ、まあ」


「見えないわね~!私と同い年って言われても納得しちゃうわよ」


「同い年ですか……?」


「受け答えも落ち着いてるし、PTAの会議でしれっと紛れてても、誰も高校生って気がつかなそうね!」


お母さんが腰に手を当てて、ケラケラと笑った。


「いや、別に俺は……単にクソ真面目なだけだと思いますよ」


「でも私だって真面目だったけど、あなたほど落ち着いてなんかなかったもの」


「そ、そうですかね?」


「ええ、私も生徒会長やって、“1日も休むことなく”皆勤賞取るくらい真面目だったけど、あなたほど……」


「ん?1日も?あれ?」


「あら、どうかしたの?」


「いや……すみません、メグちゃんから『自分のお母さんも、昔は友だちと授業をバックレたことがあった』とお聞きしてたので……」


「あー、あれは嘘よ」


「う、嘘?」


「あの子、変に罪悪感持っちゃいそうな子じゃない?だから私もしたことがあるって言えば、多少はあの子も気が楽になるって思ったのよ」


お母さんは、口元に人指し指を立てて「メグには内緒よ?」と言ってウインクした。


「……………………」


「ごめん!お待たせ!」


俺と美結が呆気に取られている時に、メグちゃんが帰ってきた。それを確認したお母さんが、俺と美結へ眼を向けて、メグちゃんの肩をぽんと叩いて言った。


「それじゃ、2人とも。この子とこれからも仲良くしてあげてね」






……それからしばらく、メグちゃんと談笑し、日が落ちてきた辺りで帰ることにした。


「じゃあねメグ、私たちそろそろ帰るね」


「うん、今日は本当にありがとう。受験が終わったら、たくさん遊ぼうね!」


「うん!」


俺たちが去っていく中、メグちゃんは俺たちにずっと手を振っていた。俺も美結も、彼女が見えなくなるまで、ずっと手を振り返し続けた。


「……今日は楽しかったね、お兄ちゃん」


「ああ、そうだな」


「またお泊まり会とか、みんなでしたいね」


「うん」


俺と美結は微笑みあって、手を繋いだ。


「それにしても、メグのママ……凄かったね」


「ああ、咄嗟に娘のためを思って、軽く嘘をつけるのが凄いよな……」


「羨ましいなあ……あんなママのいるおうちに住んでみたいな」


「……ああ、そうだな」


世の中ってのは広い。自分が思っているよりずっと。


俺の母さんみたいに不思議な空気を持つ母親も居れば、美喜子さんみたいに自分勝手な母親も居て。そしてメグちゃんのお母さんみたいに、じっと子どもを見守ってくれる強さを持つ母親も居る……。


(世の中が広いってだけで、ワクワクできる。受験の結果がどうなろうと、自分の居場所は絶対、どこかには作れるはずさ。そうだよな?メグちゃん)


俺はそんなことを胸に抱きながら、美結と共に帰路を歩んだ。














……4月1日。


俺は高校三年生へと進級し……美結は晴れて高校一年生となった。


「お兄ちゃん……せ、制服、変じゃないかな?」


部屋で着替えていた俺のところに、美結がやってきた。彼女はピカピカの制服を着て、眉を潜めて尋ねてくる。


「おお!少しも変じゃないさ!可愛いよ!」


「そ、そうかな……?可愛い?」


「ああ、いつも可愛い美結が、もっと可愛くなったよ!」


「え、えへへ……」


彼女は身体をくねらせて、恥ずかしそうに笑った。


彼女の通う高校は通信制なので、基本は登校しなくてよいのだが、入学式や卒業式などは登校するらしい。


学校へ行くことにトラウマを抱えてしまった彼女は、この入学式ですら怖いようだ。そうだよな……久しぶりの人混みだし、あまり無理をしてほしくない。


「美結、何か困ったことがあったら、すぐ連絡してくれ。飛んで行くから」


「……ほんと?」


「もちろん」


「……ふふ、そうだね。お兄ちゃんホントに……私のために、飛んで来てくれるもんね」


美結が眼を閉じて、俺にキスをした。そして、小さな声で「お兄ちゃん、愛してる……」と囁いた。



……バタバタと忙しない朝を迎えて、俺たちは2人同時に家を出た。途中までは手を繋いで歩いていたが、二手に別れる道では、俺が左、美結が右に行くことになっていた。


「そ、それじゃあお兄ちゃん……行ってくるね……」


「うん!」


美結の手が離れて、彼女はその道を進んでいく。時折、彼女がこちらへ振り向いてくるので、俺は手を振って、まだ見守っていることをアピールした。


「……………………」


彼女の姿が見えなくなったところで、俺も自分の通学路を歩き始めた。


さくらが目の前をひらりひらりと舞う。その内の何枚かが頭や肩に乗ったので、それを払おうとしたが、なんとなくさくらを払ってしまうのはもったいない気がして、肩や頭にさくらを乗せたまま、俺は学校へと向かった。


「おはよー」


「おー、おはよー」


学校につき、廊下ですれ違う知人と挨拶を交わしていく。


「明さん!」


突然、後ろから声をかけられた。くるりと振り返ると、満面の笑みを浮かべたメグちゃんが、手を後ろに組んで立っていた。


「やあメグちゃん!志望校……受かって良かったね」


「はい!これからもよろしくお願いします!明“先輩”!」


「ふふふ」


思い返せば、メグちゃんと最初に会ったのも、この学校のオープンキャンパスだった。あの時はまだ彼女が美結と友だちだって知らなかったんだっけ。


「時が経つのは早いなあ……」


「そうですね、もう春になりました」


「美結もメグちゃんも高校生……。そして俺は三年生……。今度は俺が受験の年か……」


「明さんなら大丈夫ですよ!絶対絶対大丈夫です!」


メグちゃんがいつもよりテンションが高くて、なんだか嬉しかった。本当に良かったね、メグちゃん。


「……………………」


……俺は、朝方見た美結の制服姿と、メグちゃんのはしゃぐ様子を見て、すっかり気持ちが穏やかになっていた。


だが、その穏やかな空気が壊れる瞬間は、ふいに訪れた。


「……………!」


廊下の奥……遠くから一人の女子生徒が、こちらに向かって歩いてきた。手にはスマホを持っていて、つまらなそうにいじっている。


最初俺は、『どこかで見た顔だな』と思った。それが一体誰なのかまでは思い出せないでいたが……彼女がこちらに近づくにつれて、それが誰だったのかはっきりした。




湯水 舞だった。




ロングの黒髪で、眼がぱっちりしている、人形のように端正な顔立ち。


「……………………」


彼女はスマホを眺めながら、俺たちの脇を通りすぎて言った。俺は横目で彼女をじっと見つめていた。


彼女が去っていくその背を見るために、俺はその場に立ち止まった。


「……?明さん?」


様子が変わった俺を心配しているのだろう、メグちゃんがおそるおそる俺へと尋ねてきた。


「明さん……あの子、知り合いですか?」


「……ああ」


湯水がいるということは……他の2人もこの学校に入学しているのだろうか?


「……湯水」


まさかお前が、俺の学校に入学してくるとは思わなんだ。お前はこの学校でも、誰かをいじめたり、辱しめたりするのだろう。


……美結はお前のせいで、入学式に参加するのすら怖くなった。中学はあれから1日も出ることができずに、家の中でひっそりと三年生を終えた。


湯水、お前は美結の人生を歪ませたんだ。


お前と俺たちの因縁は、決着は、俺がこの学校にいる間に終わらせる……。


覚悟しろよ。


「……明さん、どうかしたんですか?」


「……………………」


「どうしてそんなに……怖い顔……」


メグちゃんの言葉が耳に届いていながらも、俺は彼女へ言葉を返す余裕がなかった。今何か話そうとすると、トゲのある言葉になってしまいそうで怖かったからだ。


湯水の背中が、どんどんと遠ざかる。俺は彼女の背中が見えなくなるまで、ずっとその場に立っていた。


外では、さくら吹雪が舞っていた。





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