19.私だけのお兄ちゃん(後編)
私の心は、ぐちゃぐちゃだった。
こんなことしちゃダメだって想いと、こうでもしないと……私の心がおかしくなってしまうという気持ちと。
早く、早くしないと、お兄ちゃんが誰かに盗られる。
(……いや、盗られるってそんな……ものじゃないんだから。お兄ちゃんの気持ちを無視して襲うなんて……)
でも、放っておくと……たくさん、私の知らないところで関係ができていっちゃう。だから早く……早く……
(でも、でも、お兄ちゃんは私のためにいつも頑張ってくれてる。バイトだって、私と一緒に暮らすお金を稼ぐため……。そのバイト先で誰と知りあおうと、その帰り道で誰にあおうと、お兄ちゃんのせいじゃないって………)
ああ……頭がおかしくなる。
いろんな考えが錯綜する。身体はお兄ちゃんを求めていて、頭がそれに反発している。
「お兄ちゃん……」
ぼんやりしている仄暗い暗闇の中、お兄ちゃんの眠る姿がうっすらと見える。
風邪をひいてるお兄ちゃんを……私は無理やり襲おうとしている。
(こんなの、昔の私みたいに……ワガママなだけじゃないの?ここでお兄ちゃんを襲ったら、昔の私に逆戻りするだけじゃないの……?)
だけど……だけどだけどだけど!私だけのお兄ちゃんでいてほしい……!
「ううう……」
私はお兄ちゃんの腰の辺りに、お尻を置いた。ふとん越しに感じるお兄ちゃんの感触が、心臓を熱くさせた。
そのまま身体を前に倒して、お兄ちゃんの顔に……自分の顔を近づける。鼻先が当たりそうなほど近づいたところで、私はぴたりと止まった。
罪悪感と焦燥感と、恐ろしいほどの性的欲求が、私の身体を支配している。たぶん、もう頭でものを考えてない。感覚と感情と本能で、今……この場にいる。
「……………………」
私の眼から……涙がこぼれた。悲しいとか、怒ってるとか、そういうことじゃない。ただ、物凄い不安と……お兄ちゃんへの高ぶる想いが、私の心をぐちゃぐちゃにした。
その涙は下に真っ直ぐ降りて、お兄ちゃんの閉じた目の上に落ちた。
「ん……」
「!」
お兄ちゃんがその涙に反応してしまったので、私は思わず顔を離した。
「……美結?どう……したの?」
眼を擦って、小さなあくびをひとつしながら、お兄ちゃんは私に問いかける。
私はそれに何も答えることなく、ただ……黙ったままだった。固まって何も動くことができなかった。
「……ん?うわあ!?美結!なんで裸!?」
「…………!」
お兄ちゃんに言われて、咄嗟に私は胸を隠した。
やだ……なんか、観られてるって自覚すると……は、恥ずかしい……。あんなにお兄ちゃんとシたいって思ってたのに……いざ直面すると、こんなに、こんなに私って臆病だったんだって、思い知らされる……。
「…………み、美結……?」
「……………………」
「お風呂上がり……ってわけじゃなさそうだな」
「……………!」
「そうか、美結…………もしかして…………」
察しのいいお兄ちゃんには、もうあらかた検討がついてしまったみたい。私はあんまりにも情けなくて、お兄ちゃんの顔すら見ることができなかった。
「……ごめんなさい」
そうして、私は逃げようとした。逃げるなんて一番やっちゃいけないことだと思うのに……それでも私は、この場から一刻も早くいなくなりたかった。
でも、それをお兄ちゃんがさせてくれなかった。私の左腕を掴んだから。
「お兄ちゃ……」
「美結」
そうして、お兄ちゃんは上半身を起こして、私を抱き締めた。
素肌に直接、お兄ちゃんの服や肌……そして体温が伝わる。それだけで……なんだか、胸の中がいっぱいだった。
「美結……俺と、その……そういうこと、シたいかい?」
お兄ちゃんの優しい吐息が、私の耳にかかる。ぞくぞくと震える身を抑えて、私はこくりと……黙って頷いた。
「ごめんな、俺……避妊具持ってなくてさ。今はできない」
「なくても……いい」
「美結……それはダメだよ。子どもが……」
「ほしいの、私」
言葉がするすると喉元を通って、降りてくる。きっと私は今、正常じゃない。おかしくなってる。でも、今はおかしくなっていたい。
「お兄ちゃんとの赤ちゃん、ください」
「…………美結」
「たとえ、お兄ちゃんが結婚してくれなくても、お兄ちゃんの子どもがほしい。一人で育てるよ……。だから、お兄ちゃん……」
「美結!」
お兄ちゃんは私を抱き締めるのを止めると、今度は両肩を掴んで、真っ直ぐに私の顔を睨んだ。
私は思わず怖くなって、顔を下にうつむけた。だけどそこをお兄ちゃんが、「美結、よく聞いて」と話すもんだから、私はまたおそるおそる……顔を上げて、お兄ちゃんを見た。
お兄ちゃんは、いつになく真剣な眼差しで、私を見つめていた。
「……自分の気持ちを、一度………整理してごらん?」
「整理……」
「美結は今、気持ちがいろいろ混濁して、本音が何か分からなくなってる。だから今一度、よく……胸に手を当てて……考えてみて?」
「……………………」
私の……本心…………。
「美結、君はどうして、俺に夜這いしようとしたんだ?」
「…………お、お兄ちゃんが、好きだから」
「でも、何かきっかけがあったんじゃないかい?夜這いを後押しするきっかけが」
「……………………」
「……もしかして、お昼の……ラブレターかな?」
「!?」
私は唇を噛み締めて、お兄ちゃんに自分の眼差しを返した。
「……私、お兄ちゃんが……たくさんの人に好かれるのが、苦しくなっちゃった」
「……………………」
「私はいつも……おうちで一人で、お兄ちゃんしか、頼れる人いなくて……。だから私、お兄ちゃんに依存しちゃってるんだって、自分でも分かってる。分かってるけど……」
「…………美結」
「……なに?」
お兄ちゃんは、私の名前を呼んだ後、静かに眼を閉じた。
……そして、ぐっと私に近づいて、唇を奪った。
「…………!!」
身体中が、痺れるように熱くなった。唇越しに伝わるお兄ちゃんの熱さが……身も心も溶けそうになった。
身体のいろんなところが、切なくなった。気持ちに火がつくってこういうことなんだって、なぜか無駄に冷静な思考が頭をかすめていった。
「……………………」
お兄ちゃんが私の唇から顔を離した。私は……まだ足りなかったので、お兄ちゃんの頬を両手で掴んで逃げなくさせた。そして、もう一度キスをした。
「……………………」
しばらく私たちは、そのままじっとキスをしていた。よく恋愛映画なんかで『このまま時間が止まればいい』……なんて歯の浮くような台詞があるけど、この時ばかりは本当に……このまま、お兄ちゃんと一緒に死んだっていいとさえ思った。
「……………………」
唇を離した後、私とお兄ちゃんはしばらく見つめあった。お兄ちゃんの真っ直ぐな視線が、身体の内側からくすぐった。
「美結、俺……やっぱりメグちゃんの連絡先、消すよ」
「え?」
「俺、メグちゃんと君が……本音で語り合える友人関係でいてほしいと思って、メグちゃんのこともしばらく傍観してた。でも、君が不安になってしまうのなら……メグちゃんには申し訳ないけど、関係は絶たせてもらおうかなって」
「……………………」
「他の女の子とも、なるべく口聞かないようにする。あ、でもそっか、ゲイの方もあり得るか……。うーん、どうしよう……」
「……なんでお兄ちゃん、そこまでするの?」
「え?」
「だって、お兄ちゃんは学校もバイト先もあって……女の子と口聞かないなんて、無理……じゃない?」
「まあ難しいとは思うけどさ、美結が家で独りぼっちなのに、俺がどこそかしこと女の子と話していいなんて、不平等じゃないか」
「……………………」
「本当は、もっと早くそこに気づくべきだった。だから……ごめんよ」
「ううん、謝らないで」
私は眼を瞑って、お兄ちゃんに三回目のキスをした。何回やっても足りない。むしろ、すればするほどキスしたくなる。きっとキスって、そういう魔法をかけるために、恋人たちはみんなしてるんだね。
「……あの、えーと……じゃあお兄ちゃん、メグ以外の子とは……あんまり、喋らないで?」
「うん。メグちゃんはいいのかい?」
「メグは……こんな私を許してくれた友だち。そんな友だちのこと、お兄ちゃんと絶縁させるなんてできない」
「……………………」
「そっか……私、分かった。この人となら喧嘩して、仲違いしても良いから、自分の気持ちを話したいって思える人が、本当の友だちなんだ」
「……美結」
「私は私、あの子はあの子、たとえそれぞれの道へ向かったとしても……あの子のこと、尊敬できる。あの子はあの子らしくいた、私は私らしくいたって、胸を張って歩ける」
「……………………」
「だから……メグとは、お兄ちゃんも仲良くしてほしい。もちろん全然ヤキモチ焼かないわけじゃないけど、メグならいい」
「……そっか」
少しだけ表情が柔らかくなったお兄ちゃんを見て、私は……我慢できずに押し倒した。ベッドにドっと二人分の重さが伝わって、少しベッドがたわんだ。
「でも、それでも……私だけを女の子として見て?私だけのあなたでいて?私も、あなただけの私でいるから」
「……うん」
「他の女の子と口聴いちゃだめ。私以外の女の子の名前を口にするのもだめ」
「う、うん」
「視界に入れるのもだめだし、私以外の女の子がいるって認識するのもだめ。それから……」
「ちょ、ちょっとそれは厳しいって……」
「えへへ、いじわるしちゃった」
私はお兄ちゃんの首筋を、小さく噛んだ。びくっとお兄ちゃんの身体が少しだけ反応した。
「お兄ちゃん……私のこと、食べてほしい」
「美結……だけど……」
「お願い、安心させて?愛されてるって思わせて?」
「……………………」
「挿れたりまでは、今日はしなくていいから……私のこと、目一杯愛してほしい」
「……わかった」
お兄ちゃんの左手が、私の背中に触った。そこからするすると下へ降りて……お尻の辺りを、優しく撫でた。
「……や、お兄ちゃ……触り方、エッチ」
「そういうこと、するんだろ?」
「……もう、いじわる」
愛してる、お兄ちゃん。
………………私は。
カーテンの隙間から漏れる日差しを受けて、目が覚めた。
私はお兄ちゃんの胸の中で、今日を迎えた。お兄ちゃんも、服を全部脱いで……私の身体に直接触れてる。
すーすーと静かな寝息を立てているお兄ちゃんの唇へ、私は小さくキスをした。
「ん……」
「あ、おはようお兄ちゃん」
「美結……おはよう。今、何時かな?」
お兄ちゃんは枕元に置いていたスマホを取り出して、時間を確認すると、もう朝の8時15分だった。8時半からHRが始まる学校へは、どうやってももう間に合わない。
「……はあ、もうこんな時間か」
「お兄ちゃん、ごめんね。昨日……夜遅くまで起きちゃってたから……」
「……ん、いいよ。ふう、今日は学校サボろっかな」
「いいの?」
「2日休むくらい、どうってことないよ」
「……えへへ、お兄ちゃん」
私は自分のほっぺたを、思い切りお兄ちゃんのほっぺたに擦り付けた。
「全く、美結はブラコンだなあ」
「うん。お兄ちゃんだってシスコンでしょ?」
「まあね」
「ふふふ」
ああ……幸せ。本当の本当に、幸せ。
「美結、今まで本当にごめんな。不安にさせるようなこと、しちまって」
「もういいって、お兄ちゃんのせいじゃないもん。私の方こそごめんね?お兄ちゃんからしたら……重たい女の子かも知れない」
「うん、若干ヤンデレかな?と思った」
「むむむ」
「でも、可愛かったし、嬉しかったよ。ヤンデレでも美結は美結さ。むしろ大歓迎。カモンヤンデレ」
「ふふふ、なにそれ」
くすくす笑う私の頭を、お兄ちゃんが優しく撫でてくれた。
「俺さ……なんていうか、童貞でいくじなしっていうのもあるけど、その……『そういうこと』ってさ、結婚してからするべきなのかな?って思っちゃって」
「え?」
「いやだから……こう、俺もやっぱりエッチな野郎だからさ、美結とそういうことしたいって思ってたよ?でも、美結のこと大事に思うんだったら、ちゃんと結婚もしない内から遊びみたいなこと、しちゃいけないんじゃないかって……」
「じゃあ、私と結婚するまで、手を出さないつもりだったの?」
「……まあ、うん」
「も~、そんなの寂しいよ。その方が愛されてないと思っちゃうよ。お兄ちゃんっぽくて、それはそれで可愛くて好きだけど」
「そっか、ごめんな。ちゃんと話し合えばよかったか……。いや、これ話し合うのも照れ臭くて、中々できねえよな」
「……それは、まあ……そうかも」
「うん」
「……ふふ、でも、そっか」
「ん?」
「結婚してくれるの?私と」
「…………えーと、そのー…………」
「結婚、しよ?私もお兄ちゃんと一緒がいい」
「……うん、そうだな」
私はお兄ちゃんの眼を見つめて、もう一度キスをした。やっぱり、キスは何回しても良い。
「どうお兄ちゃん?ブラコンの妹とのキスは?」
「ん……そうだな。なんていうか……すっごく……」
激甘だよ。
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