7.ありがとう

……私は丸坊主にされた日から、学校に行かなくなった。


湯水たちに負けた気がして、すごく腹立たしかったけど……それ以上に、こんな頭で学校に行く気になれなかった。


コンコン


……今日も、ドアがノックされる。そして、いつものように、あの兄が一声かける。


「ご飯、置いといたからな」


そういうやり取りが、いつも行われた。だから、トイレとお風呂にいくとき以外はずっと部屋にいた。


お風呂で髪を洗う時、リンスもトリートメントも全く無意味に……頭の上から流れ落ちるのを見て、お風呂場で泣いた。



『……そっか~、そんな人がね~』


「そう、ムカつくよね」


私は、友だちのメグに何回も電話した。毎夜毎夜、寂しさを必死に埋めるように、何時間も電話をした。


それは、湯水たちからされたいじめのことを話す時もあったけど、大半はメグとの思い出話が多かった。いじめられてたことを話すのって、なんか嫌だった。だから丸坊主のことも話してないし、ちょっとクラスにヤなヤツがいる、くらいしか話していない。


「そう言えばさ、あの時メグってばさ~超音痴でカラオケ60点とかだったじゃん?」


『止めてよ~、それ恥ずかしいんだから~』


「えー?面白かったじゃーん」


メグと話している時は、心が安らぐ。自分に友だちがいて良かったと、その時ばかりは思った。


「あ、ねえねえメグって今も絵描いてるの?」


『うん、まあね』


「昔っから好きだったよね~。なんか懐かしいなあ……」


『ね~』


「そうだ、メグが描いた女の子にさあ、私が猫耳付け足したの覚えてる?あの絵超良かったよね!」


『うん、覚えてるよ』


「めっちゃ可愛くなってさー、二人ではしゃいだよね~」


『うんうん』


そんな他愛もない話を……ずっと彼女としていた。だけど……




「……ダメだ、また繋がらない」


次第にメグが電話に出てくれなくなった。Limeでその旨尋ねると、『ごめん!部活が忙しくなって』という返信が続いた。


さすがに私も、連絡しすぎたかな?と思い、控えるようにした。でもそうなると、日中凄く寂しくなってくる時間が増えた。


最近では、スマホをいじるのも飽きて、ぼー……と天井を眺めるばかり。なんの覇気もない、生き甲斐のない日々を送ると……私ってなんのために生きてるのかな?と、どんどん思考がマイナスになっていく。


(止め止め!こんなの、面倒なだけ!)


私はこのネガティブゾーンから抜け出すために、何かしようと思った。


お笑いの動画を見たり、ストレッチをしてみたり、いろいろと試した。だけど……頭の片隅にあるのは、『学校に行けない自分がダサい』という想い。


あんな奴らに負けて……こんなところで惨めにも前向きになろうとしているのが、ダサくてしかたなかった。


かと言って……もう何日も休みすぎて、今さら出ていける気がしなかった。日を追うごとに、お腹の中に鉛が追加されていくような……そんな感覚だった。


「……はあ」


あ、そうだと、その時……あることを思い付いた。


「メグ……自分の描いたイラストとか、SNSに上げてないかな?」


彼女の描いた絵を見たら、きっと懐かしい気持ちになれるのと同時に、「今こんなに上手くなったんだ!」という新鮮さを味わえる気がした。


ちょっとだけワクワクした私は、SNSを漁って彼女のアカウントを探した。だけど、イラスト投稿用のアカウントって思ったより多い。平田恵実、平田、恵実、メグ、MEGU、どれをやっても何件もヒットするので、全然絞れない。


「よく考えたら、本名じゃなくてペンネーム的なのを使ってるかも知れないよね。あーも~分かんないや」


30分もかけて探して、直接本人からアカウントを聞こうと思ってたその時……たまたま、彼女のアカウントを見つけた。


アカウント名は『ヒラメグ』。投稿してる作品の中に、私が見たことのある絵があったので、偶然にも判別できた。


「あったー!へえ~、たくさん作品あるなあ~」


やっぱり絵上手いなあと、そう思っていた矢先、彼女の……とある呟きを見つけた。



『はあ……また電話かかってきた。マジでめんどくさい』



「………………電話?」


私は、凄く嫌な予感がした。彼女の過去の呟きを、そのまま覗いた。



『最近、転校していった子からすごい電話来るんだけど、ホントにイヤ。前から苦手だったから、転校してくれて嬉しかったんだけど、また付き合わなきゃいけないのかな……』


『絵に落書きしてきたり、歌がヘタなのを笑ったりするし、ホントに苦手だった。優しさの欠片もない』


『電話来たけど、部活で忙しいって言っとこ。もう何時間も相手するのダルい。機嫌損ねるとウザイタイプだからブロックしてなかったけど、もうブロックしちゃおうかな……どーせ二度と会わないだろうし』


『マジで、新しい学校とかでいじめられてたりしないかな?あの生意気っぷりはいつか絶対痛い目みると思う』




「……………………………………」








……夜の七時。


私の部屋の前が、いつものようにノックされる。「ご飯、置いといたからな」と、いつもの兄の声が聞こえる。


「……………………」


この時私は……その兄の声に引き寄せられるようにして、部屋のドアを開けた。


「美結……!?」


「……………………」


兄の驚いた顔が、私を見つめている。


「……美結、どうしたんだ?」


「……………………」


「もしかしてトイレ行くとこだったか?それともお風呂?」


「……………………」


「あ、フツーに飯取りに開けただけか、すまんすまん。今日はロールキャベツにもう一回挑戦したんだ、きっと前よりも美味いぞ?」


「……ねえ」


「え?」


私が声をかけると、兄は少し身構えた。私がいつも、兄のことを無視していたから、驚かれて当然か……。


「私……優しい?」


気がつくと私は、兄に変なことを口走っていた。変なことだと気づいた時には、もう口から出ていた。もはや、無意識の内の問いだったのかも知れない。


「私……私、本当に……優しいところ、ある?」


「……ああ、あるさ。その手紙にも描いたが……不器用だけど、優しい心はあると、俺は思ってる」


「…………生意気、なのに?」


「まあ、生意気なのは事実だけど……それとは別にだな、ちゃんと優しいやつだって、俺は思ってるぞ」


「……………………」


「……それが、どうかしたのか?」


「……………………」


……この兄は、本当にお節介で、心配性で、お人好しで……。


「………なんで、そんなに、信じて…………くれる、の?」


「信じるも何も、実際目にしたからな」


「……………………」


だんだんと、自分の本心を理解し始めていた。恥ずかしくて……なんだか胸がそわそわするけど、私は勇気を出してこう告げた。


「話を…………聴いて、ほしい」


「…………!」


「こっち、来て……?」


私は、兄を部屋の中に招いた。兄と共にベッドへと腰かけて、私はついに……全て話し始めた。






「…………そうか、なるほどな」


学校でのいじめから友人の本音に至るまで洗いざらい聴いた兄は、眉間にしわを寄せ、眼を閉じて一言、そう呟いた。


「……………………」


しばらく沈黙が続いた後、兄はふいに「……美結」と、私を呼んだ。


「……なに?」


「ごめんな、本当に」


「え……?」


「もっと早く……いじめのこと、気付けられたら良かった。もっと何か……できたかも知れないのに」


「……なんで、そんなことない。いつも……気遣ってくれたけど……私が…………私が………生意気で……無視して…………」


「…………いじめのこと、警察に言ってみるか」


「警、察……?」


「ちゃんとした犯罪として、相談するんだ。学校が取り合ってくれないなら、ちゃんと第三者を介入させるんだ。なぜかいじめって、警察に言うってなると大袈裟に捉える人いるけどさ、俺……決してそんなことないと思うんだ。若いから過ちを犯す……その理屈は分かる。でも若いから過ちを簡単に許される、というのは違うと思う。それは、子どもを甘く見てる気がする」


「……………………」


「それに、これは美結だけじゃない……他の人を守ることでもあると思う」


「他の人……?」


「美結をいじめてきた奴等はさ、たぶん……他の人もいじめてたりすると思う。その人たちも、きっと我慢して、耐えて、辛い想いをしてるかも知れない。警察に相談することは、美結だけじゃなくて、他の人も救うことになると思うんだ」


「……………………」


「だから……美結、相談しに行かないか?俺もついていくよ」


「……………………」


「あ、もちろん。美結がどうしたいかで決めていい。話したくないことを、無理に話すことはない。でも、もし相談する決心がついたら、俺と一緒に行こう?」


「……うん」


私の返事を受けて、兄は……優しく笑った。


「美結、お前は本当に強かったな。とても立派だよ」


「……強くなんか、ないよ。だって、結局家に引きこもって……負けてるじゃん」


「違うよ、勝ち負けなんかじゃない」


「……………………」


「たった一人で、いじめを耐え抜いたこと……それだけでお前は本当に強いよ。いじめをしてきた三人よりも、お前はずっと強い。誰かをいじめて貶める人間と、理不尽を受けても、じっと立とうとしてる人間……どっちがカッコいい?」


「……………………」


私は……今まで自分の中にあった、隠そうとしてきた気持ちが……少しずつ沸き上がってきた。この兄を……私……。


「それからその……メグちゃんって子は……そうだなあ……」


「……………………」


私はもう、自分が生意気だったことをひどく恥じた。メグという唯一の友だちも……私の生意気な性格が災いして仲違いした。いや、もともと私たちの間に、友情なんてなかったのかも知れない。



『優しさの欠片もない』


『マジで、新しい学校とかでいじめられてたりしないかな?あの生意気っぷりはいつか絶対痛い目みるとと思う』



……ダメだ、頭の中で何回もリピートされる。その度に、胸がズキズキと痛くなる。


「……私、メグが憎い」


「……………………」


「友だちだと思ってないなら、初めから……そう、言ってほしかった。変に期待させないでほしかった。メグが、憎くて、憎くて、憎くて……」


「……………………」


「……そして、メグを憎むこんなクソみたいな自分が、もっと憎い……」


私は太ももに置いている手を、ぎゅっと握りしめた。自然と歯が噛み締められて、心の中は……もう、自己嫌悪で埋め尽くされた。


「私がバカだっただけじゃん……。私が、メグの気持ち考えてなくて、自分勝手で生意気で……最低で…………勝手に仲良しだって思って……」


「……それを知れただけでも、お前は立派さ。相手を恨むだけで終わらずに反省できる美結は……ちゃんと、優しいよ」


「優しくない!!私は優しくない!!」


「……………………」


「ううううううううううう……!!」


私は腰を曲げて、手で顔を覆った。手が涙で濡れていくのが、気持ち悪かった。


心の中が、ぐちゃぐちゃだった。いじめられた悔しさ、苛立ち、恨み、悲しみ、苦しみ……。

そして、友情が本当はなかったことに対する……虚無感と憎しみ、自己嫌悪……。


そして、絶望。


本当に絶望する瞬間って、こんな感じなんだと、頭の片隅で思った。


言葉で言い表せないほど、胸に大きな穴が開いた感覚。そして、その穴がどんどん大きくなって……次第に自分そのものを、消してしまうような気持ち…………。



「……たすけて」



私は、本当の本当に追い詰められた人間は、こんな言葉を無意識に溢すんだなと、その時理解した。


「……美結」


兄の声が、耳に届いた。


そして、私の握りしめる手に……そっと、兄が手を被せてきた。


「……………………」


この時私は……自分でもびっくりするくらい、胸が高鳴った。比喩じゃなくて、本当にドキッと心臓が揺れて……


……兄の手が、優しく私の手を包む様を見て、どんどんと兄のことが……愛おしく感じてきた。


「……………………」


……いや、本当は私、きっと前から……この人のことを、好きになりたかったんだと思う。


いつも気にかけて、ご飯を作ってくれて、薬をくれて、何かあったら心配してくれて……そして……



『俺がこんなにお節介なのは、お前が本当は良いやつなのを知っているからだ。』


『俺は、優しい人間が、優しい気持ちでいられる世の中であってほしいと、常々思っている。』


『だから、お前にも優しい出来事があってほしい。』



私のことを……こんなにも、信じてくれて……。


なのに私は、この人が冴えないから、60点くらいの容姿だからって理由で邪険にして、見下して、生意気に接して……。そして、この人に心配されると、自分のランクが落ちるって……心のどこかで、そんな失礼なことまで考えてた。だから、兄に対して好意を持ちたいと思っていた気持ちを、無理やり蓋をして、誤魔化して……。


私も結局、湯水と一緒だ。イケメンでランクの高い彼氏と、愛のない付き合いをしてた湯水と……。


「……………………」


でも、もうそんなこと止める。本当に、私のことを想ってくれる人が誰か、分かったもん……。


「美結……俺、お前のために何かできることあるか?」


「……………………」


「なんか、小さなことでも良いからさ、なにかできることがあったら遠慮なく……」


「……………………」


……私は今、してほしいことがあるんだけど……言葉にするのが、ちょっと恥ずかしい。


だから、一度ベッドから立ち上がって、自分の勉強机に向かった。そして、ノートを少し千切って、そこにしてほしいことを書いた。


その切れ端を……私は兄へ持っていった。


「……………………」


兄はそこに書かれている文字を見て、目を大きく見開いた。そして、きゅっと眉間にしわを寄せて……眼に涙を浮かべた。


「……美結、おいで」


でも、私の方へ顔を向けた時は……すっごく優しくて、暖かい笑顔だった。両手を広げて、私を……待ってくれて……


「……………………」


私は、兄の胸に飛び込んだ。そう……私があのメモに書いたのは、たったの五文字。




『だきしめて』




「……………………」


兄は、私のことを強く優しく、抱き締めてくれた。私はもう、いろんな感情が沸き上がってきて、恥ずかしげもなく……声を上げて泣いた。


「う……ううあ、うあああ……」



うわああああああああ!!



……お兄ちゃん、ありがとう。


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