第9話 暑い夜に
梅雨入りの声はまだ聞かない。日中はもうまるで夏である。
シャツを透過する日差しの強さがジリジリと肌を焦がすようだ。
夕暮れ時になると、爽やかな風が細い道を吹き抜けていく。
最近は日暮れるとやや涼しさが増すが、今日に限っては、肌にまとわりつくようにじっとり暑い。
終業時間直前のトラブル電話のおかげで、その対応に2時間を費やしてしまった。
会社を出るときに若手に捕まり、軽くのつもりがつい閉店まで飲んでしまった。
自宅近くのバス停で最終バスを降りたときは、既に腕時計は0時30分を過ぎていた。
アルコールの飲み過ぎのせいもあり、やたら喉が乾く。自宅までほんの8分程度なのに、我慢しようと思うと余計に乾く。
自宅までの途中に自販機がある。個人所有の自販機で、最近ちょっと変わった飲み物が入っている。
変わったと言っても昔に流行った飲み物で、ある程度の年代の者からはむしろ懐かしがられている。
ドクターペッパー、コーラに似ているがちょっと癖がある。癖があるから癖になる。好んで時々飲む。ポケットから120円を探しだして急いだ。
薄暗い街路灯の下で、埃かぶりの自販機がぼんやりと立ちすくんでいる。
急ぎ足で近づき自販機の前に立つ。左の一番上にドクターペッパーがある。売り切れは赤い売り切れランプ。在庫がある場合は青ランプが灯る。
見たことがない白いランプが灯っている。なんだろう?白ランプなんて見たことがない。
壊れちゃったかな?何か古そうな自販機だし、でも このドクターペッパーが飲みたい。
とりあえず120円をコイン投入口に。他のすべての飲み物は青くランプが点灯した。
ドクターペッパーのみ、相変わらず白いランプが点灯している。
ボタンを強く押した。ガコンと自販機の内部で振動と音がした。
安心して下の取り出し口に手を差し込む。真ん中、右左、無い。手応えが無い。
ふざけんなよ!何なんだよ!
頭に血が上り、ボタンを機関銃のように連打する。
下の取り出し口に手を突っ込む。無い!
先ほどの振動と音は?なんだったんだ?
怒りが汗に変わる。
取り出し口に差し込んだ左手の手首に、ひんやりしたものが巻きついた。
ふっと下を見る左手の手首を、白い手が掴んでいる。
自販機の下、地面との隙間から、髪の長い女性の顔、目から上だけ のぞいている。
自販機と地面との隙間から、顔の半分と右腕が延び、左手の手首を掴んでいる。
美しい女性であった・・・・・
じっと見ていた・・・・・
半分腰を抜かして、叫ぶ声もでないまま手を振りほどき自宅に走った。
自販機と地面との隙間は10㎝もない。その隙間に人間が入れるはずなどない。
青白い顔、氷のように冷たい瞳。
左手首を掴んだ冷えきった白い指。
黒い長い髪が、広がっていた。
自販機の下から暗い道路に放射状に。
翌日の朝、自販機はいつもと同じに突っ立っていた。通りすぎる時、チラッとのぞいた自販機の下には何もなかった。
もう夜には、自販機で飲み物を買わない。
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