三輪

私の友達は、本だけだった。

毎日、家にまっすぐ帰ってはあっさりとした食事を済ませ、本を読んだ。大学を挟んで家の反対側にある大きな市の図書館は、オアシスだった。クラスメイトも先生もそこには誰もいなかった。

時間は一度も狂うことなく、平等に流れていった。

振り返るような記憶も無く、部屋に蔓延する寂しさにもだんだん慣れてきた。

気がつくと季節は秋で、大学は大学祭の準備をする熱気が漂っていた。夏はもう終わり、風は冷たくなってきているのに、門をくぐると不思議にもわっとしていた。ただ、クラスの模擬店に参加せず、サークルにも入っていない私の周りの空気だけは季節通りのそれだった。

大学祭期間中、授業は休講となる。私はどうしようもなく暇を持て余していた。本を読んでいても、開け放された部屋の窓から大学祭の楽しそうな音が入り込んでくる。

家から大学までは、自転車で3分ほどの距離だった。

さっきから地面を伝って響いてくる音が気になって、本に集中できない。ステージではきっと軽音楽部やダンス部とかがキラキラと光を振りまいているのだろう。諦めて、栞を挟む。そして柄にもなく少しうきうきしながら自転車を漕ぎ、大学に向かった。正門に着いたとき、部屋で聞こえた音がまだ構内に響き渡っていた。自転車を止めて、音の鳴る方へ進んでいく。そこはメインステージで、案の定軽音学部が大きな音で聴いたこともない曲を演奏していた。私は恐る恐るステージの方へ近づいていった。近づくにつれて、ギターを弾くその人から目が離せなくなった。世界を見下したような目。その目と目が合った気がした。

彼の足下付近に、サークル関係者だろうか、大勢の人が集まっていた。手を上げて思い思いに揺れている。あれが乗っている、というのだろうか。わたしにはわからない。それでも彼らはとても楽しそうで、しかしそれが見えているはずの彼はにこりともせず、全曲を演奏し終え、ステージを降りていった。

なんとか、話しかけないと、そう全身が言っていた。

もう金木犀の香りが漂っている秋空の下で、私は額に汗をかいていた。人混みをかき分けて、ステージの裏へ向かった。ステージ上にいたときと変わらず、彼は人に囲まれていた。

「ステージ上の環さんと目が合った気がする!!」

「やっぱり超かっこいい!」

と、周りにいる人達はは口々に言っていた。

それでも彼は少し照れたようにうつむくだけで、首の後ろをかいていた。初めて見る私は、反応が悪いな、と感じたけれど、どうやらこれはこれでファンにはたまらないらしい。しばらくして、「じゃあ、またサークルで。」と言い、他のメンバーと彼は―どうやら環さんというらしい―はさらに奥の楽屋らしき場所へはけていった。チャンスだ、と思った。まだ周辺に残っていたファン達の鋭い視線を受けながら、私は勢いよく楽屋の中に入っていった。何も考えていなかった。何も、考えられなかった。目当ての人はバンドメンバーと話しもせず、もくもくとギターをギターケースにしまっていた。中にいたメンバーたちは、突然の予期せぬ来訪者に、驚きを隠せていなかった。

「た、たぶん好きです。」

ギターを片付ける彼の手は止まり、彼の少し生気の戻った目が私のことをじっと見ていた。自分でも何を言ってしまったのか、わからなかった。でも、何も間違っていなかった。初めての、一目惚れと告白だった。

「はーい、片付け終わったら早く出てね。次の人達来るから。」

楽屋係の人が入ってきて、私達に声をかける。メンバーたちはひとまず私のことは置いておいて、彼らは手早く片付けを進め、出る準備をしている。出た方がいいのだろうか。立ったまま、いたたまれなくなった私は落ち尽きなく、その様子を見ていた。

「一緒に出よう。」

それに気がついた彼が、私に小さくそう言った。とても優しい目をしていた。係の人に従って、楽屋を出た。彼と私は少しの間、うつむきあっていた。他のメンバーは気を利かせてくれたのか、もう少し離れた違うところにいた。

「あの、私、佐藤楓(さとうかえで)と言います。突然、色々すみません。」

何か言わなくちゃ、と思い、飛ばしていた自己紹介をした。彼はまた首の後ろを掻きながら、私に倣った。

「環純(たまきじゅん)です。」と。

そして、今日はもう出番はないので、よかったらと自転車置き場の方を見遣った。そう言いながら、彼の手は今度は耳に触れていた。その仕草がたまらなく好きだ、と思った。

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