夢中

 大雪だったはずの夜は、気がつけばパラパラと窓を叩く雨へと変わっている。隠れていた月も、雲の合間から時折顔をのぞかせている。二人は、終電の時間になっても電車が動かず、結局有隣堂に泊まることとなった。佐々木さんは5冊の本を読み終え、新たに8冊を購入、現在2冊目を読書中である。対して、橋塚はすでに横になり、寝息を立て始めている。


「この横浜の有隣堂の伝説。」

「知りませんよ。」

「夜になるとブッコローが現れるんだって!」


「そんなわけないじゃないですか」僕は鼻で笑う。すると、佐々木さんはほっぺたを膨らめせて、睨んでくる。とても可愛い。


「ブッコローに会った人は、一つ願い事が叶うらしいよ!」


 不貞腐れながらも話し終えた佐々木さんは、ふんと本を持ち上げ顔を隠す。ジーンズとスニーカーの間から見える佐々木さんの足首が、妙に白く見える。


「佐々木さん、ちょっと冷たい反応したからって拗ねないでください。」


 僕は優しく微笑みかける。佐々木さんはわずかに本を下げ、目だけを出して僕をじっと見つめてくる。その目は少し潤み、月の光を反射していて、吸い込まれそうな雰囲気を持っている。


「いつも私が振り回してばかりで、橋塚くん、私のこと嫌いになっちゃったかと思って…」

「何言っているんですか、僕は佐々木さんのためならなんでもしますよ。」

「橋塚くん!私、橋塚くんのことすk…」


 ハックション…!くしゃみで起きたのは、橋塚である。目を開けた橋塚の視線の先には、冷たい表情をした佐々木さんがいる。


「ものすごく気持ち悪く笑っていたけど、どんな夢を見ていたの。」

「……。」


 何も言えない橋塚である。すでに佐々木さんは、読書を再開している。橋塚はトイレに行くことにした。

 ほとんどの帰宅困難者は、それぞれ楽な体勢で寝ているため、フロア全体が薄暗くなっている。トイレの近くまでくると、もちろん人は誰もいない。トイレに入ると、窓に打ちつける雨の音のみが、静かに反響している。


「…ひゃっ!」


 トイレで手を洗う橋塚は鏡を見ると、後ろに大きな影があった。


「驚かないでくださいよ〜」


 橋塚は、あまりの恐怖に後ろを振り向くことすらできない。鏡越しで見えるのは、ギロッとした目から上、2本の角が生えている。


「お、鬼…?」

「嫌だな〜、ミミズクですよ〜」


 橋塚は、全く思考が追いついていない。ミミズクの声が、ボイスチェンジャーのようなものでガラガラになっていて、余計に恐怖心を煽っている。


「さっき佐々木さんと、僕のこと話してたじゃないですか〜」

「さっき…ブッコロー?」

「そうです、そうです、三点倒立しながら聞く話じゃないすよ〜」


 橋塚は恐る恐る後ろを振り返る。鏡越しには大きく見えたが、実際は大きめのダルマくらいであり、動画で見たブッコローそのままである。


「ブッコロー…」

「だから言ってるじゃないですか〜」


 ブッコローの目は相変わらずギロッとしているが、声だけでケラケラと笑っている。


「それで願い事はなんですか〜」

「願い事…?」

「本当にまだ寝ぼけてるんですか〜、早くしないと消えちゃいますよ〜、5、4、3」


 ブッコローは、橋塚のことを完全に無視して話を進める。橋塚は、よくわからないまま、願い事を考える。


「2、1」

「僕の願い事は、佐々木さんと——」


 ハックション…!くしゃみで起きたのは、橋塚である。目を開けた橋塚の視線の先には、眉間に皺を寄せた佐々木さんがいる。


「ものすごく怖がっていたけど、どんな夢を見ていたの。」

「…なんか不思議な夢です。」


 佐々木さんは、大して興味も無いらしくすぐに読書を再開している。


「そういえば、さっきトイレから戻ってきた時、声かけたのに反応なかったけど何か考え事していたの?」

「誰が?」

「橋塚くんよ。」

「え。」


 佐々木さんは、大して興味も無いらしくすでにページをめくっている。橋塚は、窓の外に見える月が、ブッコローのように見えた。

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