5、明るくなるまでこの義兄弟喧嘩を
「映画の趣味か。お前はブロックバスターばかり観ていたな」
「うるせえよ」
俺は下がって臥龍と距離を取る。マルチバース一危険な龍治だ。ヘマを踏んだら一発でのされる。
「この世にはシネコンで上映がかからない映画の方が多い。それら全てを無視して生きていく気か?」
「デカい映画館で上映されるってことは面白さがある程度約束されてるってことだろ」
俺は横に二歩進み、義兄もそれに倣う。俺たちは円を描くように移動する。
「お前が派手で好きだと言っていたベイビー・ドライバーの監督、デビュー作は劇場未公開だったのを知ってるか? それでも多くのファンが署名を行い、次回作の公開まで押し上げた」
「そういう予備知識の話ばっかするのもうざいんだよ! 観て面白けりゃそれでいいだろ!」
臥龍は溜息をついた。
「安直、安易、安パイ、お前の全てだ。目の前にある可能性を見ずに地続きの人生を送るだけ。今もそうだ。何故多元宇宙とシンクロしない?」
俺は密かに足元を探る。5ポンドの子ども用のボーリングの球が落ちていた。やるしかない。
俺は薄く目を閉じる。多元宇宙の記憶が流れ込む。
胸元から背がざっくり開いたドレスのお袋と半裸の中年が見える。目を背けたいが、脳内に直接上映された。
お袋のピンヒールの足元に何かが転がる。黒くて小さいパイナップルみたいなもの。手榴弾だ。
俺の足が伸び、サッカーボールのように蹴り上げる。これだ。
「説教ばっかしやがって。血も繋がって……ねえくせに!」
俺は片足を引き、足首のスナッブを効かせてボーリングの球を蹴り上げた。
ぶんと唸ったボールはカーブを描いて跳ぶ。
風圧で舞った臥龍の黒髪を球が貫いた。
俺はその隙に接近し、右の拳を振り抜く。手応えなし。拳が宙を掻き、肘に違和感を覚える。
奴は見もせずに、俺の肘に片手を立てていた。
手を払われた衝撃で俺の身体が仰反る。間髪を容れず、臥龍が俺の胸を一突きした。
車に撥ねられたような衝撃。俺はぶっ飛んで壁に衝突した。
「カンフーかよ……」
呻いた俺に、壁際の自動菓子売り機から溢れたストーンチョコやひまわりチョコが降り注ぐ。くそったれ。
臥龍は薄く微笑んでいた。
俺は散乱するカラフルなチョコを掴んで投げつける。もちろん囮だ。
立ち上がると同時に、重心を低くしたまま一気に駆ける。
臥龍が身を屈め、俺の脚を払う予備動作に入る。当然そう来るよな。
俺は黒革の靴底が脚を抉る前に跳躍した。臥龍が目を見開く。僅かに上がった顎目掛けて思い切り太腿で蹴り込んだ。
そのままマウントを取るつもりだったが、弾かれた臥龍はレーンの向こうまで吹っ飛んだ。
衝撃でボーリングのピンが散らばり、上の電光掲示板がピンクの花火を上げる。ストライク。
「フランケンシュタイナー、そっちはプロレスか」
臥龍は薄笑いを浮かべたまま立ち上がり、コートから日本刀を取り出した。
「そんなんアリかよ!」
「兄弟喧嘩は初めてか?」
臥龍が抜刀し、向かってきた。くそ。
俺は転げたピンを取り上げ、何とか刀を防いだ。白いピンが砂糖菓子のように切断される。
「殺す気ねえんじゃねえのかよ!」
「勿論。お前がこの程度で死ぬはずはない」
「向こうの俺はどんなんだったんだよ!」
「勇虎、お前こそどうするつもりだ? 俺をどうやって凌ぐ?」
「……お前に与えた傷はこっちの龍治じゃなくお前に引き継がれるんだよな?」
「そうだ、殺してみるか?」
「殺る訳ねえだろ」
「では、どうやって? 俺は死なない限りこの宇宙への侵攻をやめないぞ」
「くそっ……」
俺は散らばるピンを蹴り上げた。臥龍がそれを纏めて切り裂く。
その一瞬で俺は駆け出した。非常階段に通じる扉を蹴破り、ボーリング場を飛び出す。
扉を閉める寸前、暗いレーンが薄明かりで照らされて舞台のように見えた。こんなところで変な女が急にタップダンスを始める映画があったなと思う。
龍治なら題名をわかるだろうか。
そう思ったとき、鉄の扉が斜めに傾き、白刃が閃いた。
感傷に浸る間はねえ。俺は非常階段を駆け上がった。
真っ暗で音だけが反響する階段を、俺は必死で登る。
すぐ下から革靴でガンガンと段を踏みしだく音が聞こえた。
俺はガタつく手摺に力を込め、引き抜いた。武器にする気はない。奴と正面から戦ってもろくなことにならないからだ。
俺は屋上に続く扉の前に積まれた大量のビールケースや資材を見定めた。これだ。
俺は錆びた手摺をバットのように振り抜き、ガラクタの山をぶっ叩いた。
ビールケースやボーリングのピン、何かの看板が一斉に階下へと降り注ぐ。目を見開く臥龍のデカい刺青が見えた。
狙うは脳しんとうだ。奴が気絶すれば、龍治とのシンクロは解ける。
ガラガラと鼓膜を破るような大騒音の後、辺りが静まり返った。
非常階段の下を覗き込む。暗くて見えないが、何かが来る気配もない。
「やったか……?」
言ってから気づいた。死亡フラグだ。
闇の中に白い花が咲いたように五本の指が広がった。
続いて龍の刺青が見える。
奴は跳躍し、非常階段の手摺を蹴ってこっちまで飛んできた。マルチバースは何でもありかよ。
日本刀が臥龍の眼光を反射する。全力で身を逸らした俺の上を刃紋が掠め、激音が響いた。
非常階段の扉が破れ、暗闇に慣れた目に夜光が一斉に雪崩れ込む。
眩しがってる暇はない。俺と臥龍はもつれあって屋上に飛び込んだ。
屋上には給水塔だけが立っていた。
バグダッド・カフェのポスターみたいだ。龍治が観ていたから知っている。
冷たい春の夜風が全身を襲う。と、思ったとき、頭上に影が降った。
「これでもまだ不殺を貫くか?」
臥龍が俺の前に立ちはだかり、刀を振り上げる。ヤバい。
俺は臥龍の腹を蹴って身を起こす。
ふらついた奴を押し退け、俺は錆びた手摺を握り直す。
臥龍が俺を見る。その目は殺してみろと言っていた。
俺は思い切り手摺の残骸を振り上げた。
「殺ってたまるかよ!」
そして、臥龍ではなく、屋上に聳えるドデカい給水塔に振り下ろした。
これがマルチバースの力だ。
一発で給水塔に穴が開き、とんでもない水流が俺たちを襲った。
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