《 第13話 なぜか可愛く見えてしまう 》
その日の昼下がり。
「よーし、それじゃあペアを組んでストレッチを始めろ!」
体育館に男教師の声が響き、生徒たちは各自ペアを作っていく。
ペアでのストレッチ運動はいつものことだ。直前に喧嘩でもしていない限り、普段組んでいる奴とペアになる。どうやら穏やかな学校生活を送っているようで、みんなスムーズにペアを組んでいく。
「春馬ー、ペア組も~」
「組もうぜっ」
こちらへ歩み寄ってきた悠里といつものようにペアを組み、さっそくストレッチを開始する。
まずは脚のストレッチから。俺がその場に仰向けになると、悠里は慣れた手つきで右足首を掴んできた。
「行くよ?」
「ああ。ゆっくり頼む。ふぅう~……」
深呼吸に合わせて、悠里が俺の右脚を90度まで上げていく。それが終わると次は左脚を上げる。
入学間もない頃はこんなふうに上がらなかったし、そこらじゅうから『痛い痛い』『ぎぶぎぶっ』と悲鳴が響いていたけれど、いまとなっては慣れたもの。1年以上もストレッチをしているため、俺たちは身体が柔軟になった。おかげで怪我もめっきり減った。
「痛くなかった?」
「全然。次は悠里の番な」
「うん。お手柔らかに」
そう言って、悠里がその場に仰向けになる。俺は悠里の細い足首を掴み、深呼吸に合わせて上げていく。
この姿勢が恥ずかしいのだろう。入学当初は顔を赤らめていた悠里だが、すっかり慣れたのか脚を上げても平然としている。
「んぅ~……も、もうちょっと上げていいよ。……んっ、……んっ、……んん~っ」
脚を上げていくたびに喘ぎ声が漏れる。
その声を聞いていると、心がざわざわしてしまう。
……まただ。またドキッとしちまった。こないだ悠里を家に泊めてから、こいつを見る目が変わってしまった。ベッドでの一件と、そのあと見た妙にリアリティのある夢のせいで、ふとした瞬間に可愛く見えてしまうのだ。
もちろん可愛く見えるからって惚れてしまったわけじゃない。そもそもぶっちゃけ入学して間もない頃も可愛いとは思ってたしな。
男だと頭のなかではわかっていても、ほかの奴らと接するように悠里に絡むことはできなかった。
そう考えたのは俺だけではないようで、クラスメイトも悠里に絡むのをためらっているようだった。
そのせいで悠里はいつも孤立していた。
悠里が孤独を望んでいるならまだしも、いつも寂しそうにしていたし……さすがにずっと孤立させたままなのはかわいそうだ。
そんなときゲーセンで悠里に話しかけられ、俺たちが仲良くなったのを皮切りに、ほかの男子も気兼ねなく悠里に声をかけるようになった。
ひとりまたひとりと友達が増えるにつれ、悠里は明るくなっていったし……ここで俺が距離を取れば、昔みたいに寂しい思いをさせてしまう。
当時と違ってほかにも友達がいるが、俺にとって悠里がそうであるように、悠里にとっての俺も親友なのだから。
だから俺は、悠里を見る目は変えたくない。
当時はスキンシップを重ねるうちに可愛さに慣れてきて、ドキッとすることもなくなった。
可愛さにドキドキするのはいまだけだ。普段通りに接していれば、悠里を見る目も元通りになるだろう。
「ね、ねえ春馬? そろそろ下ろしていいよ……?」
「あ、ああ、すまんすまん」
脚を下ろし、次のストレッチに移る。
悠里と背中合わせに立ち、腕を組むと、悠里を背中に乗せてぐいっと持ち上げた。
「んあぁ~……も、もうちょっと曲げていいよ。……あっ、あっ、あぁ~……」
くそっ。可愛い声を出しやがって。声変わりどうなってんだよ。
喘ぎ声にドキドキしつつ悠里を下ろすと、今度は俺が背中に乗る。
「せーのっ、よいしょっ! ――ううっ、重いよぉ」
「無理だけはするなよ?」
「ちょ、ちょっと下ろすね……」
下ろしてもらい、悠里の呼吸が整うのを待ち、次のストレッチに取りかかる。
そうして普段通りにストレッチをしていると、ホイッスルの音が響いた。男教師のもとへ集合する。
「よし! それでは各自ペアを組み、10分間パスの練習をすること! 終わったらAチームとBチームで試合だ!」
俺はカゴからバスケットボールを取り、4メートルほど距離を空けて悠里とパスの練習をする。ほかのペアはもっと距離を取っているが、悠里はこれくらいの距離じゃないとボールが届かないのだ。
「ねえ、けっこう上手になったと思わない?」
チェストパスをしていると、悠里が得意げに話しかけてきた。
「けっこうパスが鋭くなってきたな」
「だよねっ。これならもうちょっと距離を取っても届きそうだよ。1メートルくらい離れてみていい?」
いいぞ、とお互いに2歩離れ、チェストパスを続行する。
「どんな感じ?」
「さっきと勢いそんなに変わらないぞ。コントロールは気にしなくていいから、もうちょいスピード出してみろ」
「わかった! ――やっ!」
「おっ、いい感じだな」
「でもちょっと逸れちゃったよ」
「多少はしょうがねえよ。これくらいなら余裕でキャッチできるしな。試合中にこのパスが出せれば活躍できるんじゃね?」
「ほんとにっ? やったぁ!」
くそっ。ぴょんぴょん跳ねて喜びやがって! 可愛く見えないように真顔で喜んでほしい――
「――んぎっ!?」
突然、顔面に激痛が走った。足もとをバスケットボールが転がる。
俺としたことが、ぼーっとしてボールを取り損ねてしまった。
「ちょっ、春馬!? だいじょうぶ!?」
「お、おう。平気――」
どろっとしたものが鼻から出てきた。
悠里がぎょっと目を見開く。
「鼻血! 鼻血出てるよ!」
大慌てで駆け寄り、ポケットからハンカチを取り出すと、躊躇なく俺の鼻に当ててきた。
「お、おい、ハンカチが汚れるぞ」
「そんなのどうでもいいよ! これ、ボクのせいだよね? ごめんね、変なところに投げちゃって……」
「い、いや、悠里のせいじゃ……俺がキャッチできなかったのが悪いんだから」
「ううん、違うよ。ボクが調子に乗ってスピード出し過ぎちゃったんだ……。それでコントロールが乱れちゃって……」
「だから俺のせいだってば」
頼むからそんな顔しないでくれ。可愛いんだよ、眉を下げたその顔が。
と、騒ぎを聞いて先生がやってきた。
「どうした桜井」
「ボクの投げたボールが顔に当たって鼻血が出たんです……」
「保健室行くか?」
「いえ、平気です。それよりトイレ行ってきていいですか?」
「もちろんだ。鼻血が止まるまでは休んでいろ」
ハンカチで鼻を押さえたまま、トイレへ向かう。トイレットペーパーを鼻に詰め、悠里のもとへ戻る。
「すまん。ハンカチ汚しちまって。洗って落ちるといいんだが……」
「ハンカチなんてどうでもいいよ。それより鼻、折れてない?」
「折れてねえよ。鍛えてるからなっ」
「ふふ。鼻ってどうやって鍛えるの?」
冗談だと受け止めてくれたようで、悠里はクスッと笑う。
ああちくしょう! 可愛い顔やめろって! 1週間くらい真顔で過ごしてくれ! そうすりゃ慣れるから!
「よし、試合を始めるぞ! AチームとBチームはコートに集合!」
「行ってくるね」
「おう。頑張ってな」
悠里はチームメイトとコートに入る。俺が欠けているためCチームの男子がひとりそこに加わり、ホイッスルとともに試合が始まる。
バスケだろうとサッカーだろうと、授業のチームメイトは自分たちで決めていい。俺はどの種目でも悠里とチームを組んでいるため、こうして悠里のプレイを客観的に見るのははじめてだ。
わかっちゃいたが、悠里はかなり小柄だ。おまけに華奢でもある。デカい男連中に囲まれている姿を見ると、まるでライオンの檻に迷い込んだウサギのよう。可愛さが際立って見えてしまう。
と、悠里がこぼれ球を拾った。ドリブルで進み、チームメイトにパスをするが……俺の顔面にぶつけたせいで萎縮してしまったのだろう。勢いが弱く、届かなかった。
こぼれたボールを相手チームが取り、ゴールを決められてしまう。
その後も悠里は活躍できず、試合終了のホイッスルが響くと、とぼとぼとこちらへ歩み寄ってくる。
「全然活躍できなかった……」
「そうか? けっこうボール拾ってただろ」
「だけどパスが通らないんじゃ意味ないよ……」
「あの勢いじゃな。練習のときみたいにスピード出せよ」
「でも、コントロールが悪いから……」
「そんなことないって。さっきのは俺が集中してなかったせいもあるから。だから、次の試合では俺に思いきりパスしてくれ。ぜったいキャッチしてみせるから」
「う、うん。わかった。やってみるよ」
そうして悠里を慰めつつ、俺たちは試合を観戦。ほどなくして鼻血が止まり、俺は試合に参加する。
相手チームがこぼしたボールをノーマークだった悠里が取り、すかさず俺にパスをまわす。
勢いよく飛んできたボールをキャッチすると、ドリブルで一気に進んでシュートを決めた。
「ナイスシュート春馬!」
「ナイスパスだ悠里!」
パチン、と悠里とハイタッチ。いまので自信が出たのかその後も悠里は鋭いパスを飛ばしてくる。それをすべて受け止めてゴールを決め、俺たちのチームが勝利した。
「ボクも得点に絡めたよ!」
「練習の成果が出たな!」
上機嫌そうな悠里とともに休憩し、集合がかかり、今日の授業はお開きとなった。そして教室に引き返し、制服に着替えていると――
「あっ」
と、悠里が慌てたような声を出す。
「どうした?」
「制汗スプレー買うの忘れちゃってた……。春馬の貸してくれない?」
「いいぜ。ほらよ」
「ありがと」
悠里はスプレーを受け取ると、控えめにシャツをめくり、胸の奥へスプレーを噴射する。
「きゃあっ!?」
可愛い悲鳴が響き、クラスメイトが一斉に声のしたほうを振り向いた。
「なんだ高峯か」
「女子がいるかと思っちまったよ」
「ほんと良い声してるぜ」
そう言ってクラスメイトは着替えに戻るが……あの可愛い悲鳴を聞いてよく平気でいられるな。
「これ冷感タイプだったんだ……あー、びっくりした……」
我慢するように唇を噛みしめてスプレーを噴射する悠里。
そんな悠里を見ないようにしつつ、俺はさっさと着替えてしまうのだった。
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