《 第6話 リップクリームの行く末 》

 その日の放課後。


 晴れ渡る空の下、俺と悠里は肩を並べて下校していた。我が家へ通じる道をスルーして駅方面へ足を進める。


 駅に用事があるわけじゃない。家と駅とは徒歩5分も離れてないので、晴れの日は駄弁りがてら、いつも駅まで悠里を見送っているのだ。


 いつものようにゲームだったり漫画だったりクラスの奴の話だったり、とりとめのない会話をしていると、道の向こうに駅が見えてきた。


 その手前のコンビニを見て、悠里が思い出したように言う。


「そうだ。コンビニに寄らなきゃだった」


「なに買うんだ?」


「リップクリームだよ。こないだなくしちゃってさ」


「あー、わかる。リップクリームってすぐどっか行くよな」


「机の上に置いてても、油断するとすぐ転がっちゃうんだよね。で、新しいの買ったタイミングでひょっこり出てきたりしてさ」


「あるあるだな。俺もこないだ部屋でリップクリーム見つけたよ」



 3日前のことだ。悠里を雨宿りのため部屋へ招き、ココアを飲んで見送ったあと。妹が帰ってくる前に宿題しようと筆記用具を取り出すと、消しゴムがベッドの下へと転がり込んだ。それを取ろうとしたところ、リップクリームを見つけたのだ。



「ちょうど買おうと思ってたタイミングだったからラッキーだったぜ」


「春馬もリップクリーム使うんだね。学校じゃ塗ってるところ見たことないよ」


「それは悠里が個室しか使わないからだ」


「どういう意味?」


「トイレに行ったついでに塗ってるんだよ。リップクリームって人前で使うのなんか恥ずかしいからな」


「春馬って変なところで恥ずかしがり屋だね。どんなの使ってるの?」


「これだ」


 ちょうど持ってきていたので、ポケットから取り出して見せてやる。薬用っぽさのない、可愛い系のデザインだ。


 俺のリップクリームを見て、悠里がちょっとテンションを上げる。


「ボクのと同じだっ。いいよねそれ、イチゴの香りがして」


「そうなんだよ。イチゴの香りがするからさ、ひょっとしたら女子がキスをせがんでくるかもと思って買ったんだ」


 悠里が苦笑する。


「イチゴの香りにそこまでの魅力はないんじゃないかな……」


「やるだけやってみたかったんだよ。それに魅力はあったっぽいぜ。妹がかなり気に入ってたからな」


「チューされたの?」


「されてない。じゃなくて、リップクリームをぶんどられたんだよ。これでイチゴのお姫様に変身するんだってはしゃいでたぜ」


「あー、それは取り返しづらいね」


「だろ? だから譲ってやることにしたんだが、すぐに飽きたっぽくてさ。だったら返してもらおうと思ってリップクリームどうしたのかたずねたら、わかんなーいって言われたよ。まさかベッドの下に落ちてるとはな」


「本人なりに返そうとした結果なのかもしれないね。でも、ベッドの下にあったってことは、ほこりっぽかったでしょ? よく使おうと思ったよね」


「それが不思議なことに、全然ほこりがついてなかったんだよ」


「ほこりが……」


 突然、悠里が黙り込む。


 悠里は怪談話が苦手だし、俺の不思議体験にぞっとしてしまったのかも――などと思っていると、おずおずとたずねてきた。


「あ、あのさ、確認なんだけど……そのリップクリームを見つけたの、いつ?」


「3日前だ」


「そ、そう……。ボクがなくしたのも3日前なんだけど……。ブレザーのポケットに入れてたのに、家に帰ったらなくなってて……。てっきり乾燥機にかけるときに紛失したんだと思ってたんだけど……」


 それは妙だな。



「乾燥機にかけるときチェックしたけど、ポケットのなかは空っぽだったぞ」


「じゃあ脱いだときに落ちたんだよ! そしてベッドの下に転がっちゃったんだ!」



 あー、じゃあこれ悠里のか。半年前に紛失したのに新品同然だったから、おかしいとは思ってたんだ。


「悪い。俺のだと思ってた」


「も、もしかして、使った……?」


「まだそんなには」


「そ、そう。使いはしたんだ……」


 悠里の顔がじわじわと赤みを帯びていく。顔に血が上るほど怒るって……そんなに気に入ってたのか?


「悪かったよ。お金は払うから許してくれ」


「い、いいよ、お金は」


「けどさ、大事なものなんだろ?」


「300円くらいだし、そんなに大事ではないけど……。そのリップクリーム、どうするの?」


「もちろん悠里に返すけど、どうせ捨てるなら俺が処分しとくぞ」


 親友とはいえリップクリームの貸し借りはしない。他人が使ったものだと抵抗感があるだろうし、返してもそのままゴミ箱行きだろう。


「じゃ、じゃあボクが処分する! 責任持って処分するから!」


「わかった。ほんと悪かったな」


「いいっていいって。悪気があったわけじゃないもんねっ」


 俺が罪悪感を抱かないようにしているのだろう。悠里は明るく声を弾ませ、捨てるはずのリップクリームを大切そうにポケットに入れる。


 そうこうしている間にコンビニにたどりつき、ふたり揃って入店。悠里はゴミ箱をスルーして日用品コーナーへ足を運んだ。


「ゴミ箱あっちだぞ」


「ここで買ったものじゃないし、家のゴミ箱に捨てるよ」


「しっかりしてるな。んじゃ俺立ち読みしてるから」


 悠里が買い物をするあいだ、漫画雑誌を立ち読みして待つことに。目当てはリップクリームだけらしく、3分もせずに歩み寄ってきた。


 雑誌を棚に戻す。


「さて行くか」


「まだ途中なら切りのいいところまで読んでいいよ」


「いいよ。真剣に読んでたわけじゃないし」


「え? その雑誌、春馬の好きな漫画が載ってなかった?」


「サイボーグメイドのこと?」


「そうそれ。あ、ボク単行本派だからネタバレ禁止ね」


「しないって。てか最新話どころか最新刊すら読んでないしな」


「飽きちゃったの?」


「じゃなくて、お金がないんだよ」


「そうなんだ。貸してあげよっか?」


「そりゃ嬉しいが、そろそろ抜き打ちで持ち物検査がありそうなんだよな……」


「あー、去年もこれくらいの時期に抜き打ち検査あったもんね……。同じ先生だし、あり得ない話じゃないか」


「だろ? てなわけで、これから読みに行っていいか?」


「えっ、ボクの家に来るの?」


 悠里は戸惑っている。


 知り合って1年以上経つが、俺は高峯家へ遊びに行ったことはない。


 放課後に寄るなら帰り道にある俺の家。休日出かけるなら娯楽施設だ。悠里の家は選択肢には入らなかった。


 もちろんそれは行きたくなかったからじゃない。目的があれば話はべつだ。


「家族に迷惑か?」


「ううん。お父さんは帰り遅いし、お母さんも働いてるから18時までは誰もいないけど……往復の電車賃、漫画代を超えちゃうよ?」


「それはいいよ。一度悠里の家に行ってみたいと思ってたし、ちょうどいい機会だと思うことにするぜ。だめか?」


「ううん。ちょうど掃除したばかりで部屋も片付いてるし、来たいなら来ていいよ」


「よっしゃ。そうと決まれば早く行こうぜっ!」


 はじめてのお宅訪問。これを機に、さらに友情が深まりそうだ。


 そうして悠里と肩を組み、俺たちはコンビニをあとにした。

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