《 第4話 脱いだらどうだ? 》
午前中は晴れていたが、午後になると空が曇り始め、ホームルームが終わる頃にはザーザー降りになっていた。
部活に入っている連中はまだそんなに慌てていないが、帰宅部の悠里は憂鬱そうに教室の窓から空を見上げている。
「うわ~、けっこう雨強いよ……」
「降水確率30パーだったのにな」
「そもそも天気予報を見てなかったよ……。どれくらいで降り止むって言ってた?」
「18時以降は70パーだったし、このまま降り続けるかもな」
「そっかぁ……。どうしよ、傘持ってきてないのに……」
「折りたたみ傘もないのか?」
「うん。春馬は?」
「俺は折りたたみ傘を持ってきたぞ。お天気お姉さんのアドバイス通りになっ。てなわけで一緒に帰ろうぜ!」
傘の共有を提案すると、悠里は申し訳なさそうに眉を下げた。
「春馬まで濡れちゃうんじゃ……」
「だからって悠里を置いて帰れるわけないだろ。ほら行こうぜ!」
「うんっ。ありがと春馬!」
一緒に下駄箱へ向かい、クツに履き替えると折りたたみ傘を開く。
以前、俺が忘れたとき悠里の傘に入れてもらったが、あのときは普通の傘だった。
折りたたみ傘を共有するのははじめてだ。このサイズだとはみ出るし、外側はずぶ濡れになりそうだな。
と、悠里はなぜかなかなか傘に入ろうとしない。
「どうした。早く来いよ」
「う、うん。お邪魔します……」
控えめに俺のとなりに立つ悠里。傘が小さいので遠慮しているのだろう。腕と腕に若干の距離がある。
「もうちょい詰めろよ」
「で、でも……」
「いいから詰めろって」
「ひゃあっ!?」
肩を掴み、ぐいっと引き寄せると、悠里が悲鳴を上げた。
ただ引き寄せただけなのに悲鳴を上げるって……。まるで昔の悠里に戻ったみたいだ。知り合って間もない頃の悠里も、身体が触れるたびにこんな反応をしてたっけ。
仲良くなってからは、悠里のほうからベタベタしてくることも珍しくなくなったのだが。まさか記憶喪失じゃあるまいし、どうして俺と距離を取ろうとするんだろ。
もしかして……
「……俺さ、臭い?」
「え? 臭くないけど……」
「ほんとか? 遠慮はいらんぞ。ひと思いに言ってくれ」
「だから臭くないってば。どうしたの急に?」
「いや、もしかしたら臭いが原因で悠里に嫌われたんじゃないかと思って……」
それ以外に距離を取られる理由が思いつかない。
しかし俺の思い過ごしだったようで、悠里は真剣な顔で言う。
「春馬を嫌うとかあり得ないよ。だってボク……春馬のこと、一番好きだし……」
よかった~。親友に嫌われるとか絶望以外の何物でもないからな。
安心したところで、俺たちは学校をあとにした。
濡れないように悠里の歩幅に合わせ、通学路を歩いていく。ほどなくすると雨脚が強まってきた。さらに雨が横殴りになり、瞬く間に服が濡れていく。
「これじゃ傘の意味ねーな……」
「横殴りだとね……。もうクツがびしょびしょだよ」
「服は?」
「けっこう濡れてきた」
「なら俺の家に寄れよ。着替え貸すから」
「いいの?」
「もちろん。全身ずぶ濡れだと電車で居心地悪いだろ?」
「ありがとっ。じゃあ借りるよ」
なんて話しつつも足取りを緩めることなく歩いていき、我が家に帰りつく。
妹はまだ保育園にいるようで、家のなかは静まりかえっていた。
「ちょっと待っててくれ」
一度玄関を離れ、タオルとビニール袋を持って悠里のもとへ戻る。悠里はタオルで足を拭き、びしょ濡れの靴下をビニール袋に入れる。
それから二階に上がり、俺の部屋へ。
タンスから取り出したシャツとズボンを悠里に渡し、俺は部屋着に着替え始める。
パンイチで身体を拭いていると、悠里が着替えを手にしたままおどおどしていた。いつも同じ教室で着替えているのに、なにをためらっているのだろう。
「早く脱いだらどうだ?」
「こ、ここで脱ぐの!?」
「パパッと着替えちまえよ。じゃないと風邪引くぞ」
「う、うう……わかったよ」
俺に背を向け、悠里はのろのろと着替え始める。
スラックスからズボンに穿き替え、ブレザーとシャツを脱ぐと……水が染み込み、体操服がぴっちり肌に張りついていた。身体のラインが浮き彫りになっている。
こうして見ると、やっぱ華奢だな。それでいて胸筋はそれなりに膨らんでるって、どんな身体の鍛え方をしてるんだ?
どこを重点的に鍛えるかはひとそれぞれなので口出しする気はないが。
「ついでに体操服も脱げば?」
「こ、これは脱がないっ!」
「濡れたままだと風邪引くぞ」
「だとしても脱がないからっ」
「どうしてそう頑ななんだよ」
「だ、だって……もし胸を見られたら、変な空気になるかもだし……」
変な空気って……胸筋の見栄えを気にしてるってこと? どんな形をしてようと、友達の体つきを笑ったりしないのだが……。
「悠里の胸、そんなに変な形をしてるのか?」
「べ、べつに変っ……じゃないと思う。普通っていうか、お椀みたいな形だし……」
「へえ、いいじゃん」
「春馬は……お椀みたいなのが好きなの?」
悠里の声が、ちょっとだけ明るくなる。
「まあな。ネットで動画を漁ってるときも、そういう形の胸を見たらすげえって思うもん」
「ふ、ふーん。動画でもそういうの見るんだ……本だけだと思ってた……」
「むしろ動画がメインだな。たまに飯食いながら見たりするぞ。で、母さんに怒られたりな」
「そりゃそうだよ!?」
「ご飯を食べるときはスマホから手を離しなさいって」
「注意するのそこ!?」
「父さんは新聞読みながら食べるのにズルいよな」
「比較にならないよ!?」
母さんと同じようなことを言う悠里だ。スマホ片手に食事するのは行儀が悪いけど新聞は仕事の一環だから良い、というのが母さんの理屈だった。
「せっかくだし一緒に見てみるか?」
「い、いいよボクは!」
「ひとりでするときの参考になるかもだぞ」
「そ、そういうのは参考にしないからっ!」
「独学でしてるのか?」
「言わないっ! この話題おしまい!」
筋トレの話題を強制終了させて、ぶかぶかのシャツを羽織る悠里。
ボタンを閉めると、赤らんだ顔をこっちに向けてきた。
「服ありがと。洗濯して返すから」
「そのまま返してくれてもいいけど」
「やだよ。ぜったい汗の臭いがするもん」
「汗の臭いを気にするわりに、ずっと体操服を着てるんだな」
「えっ? も、もしかして汗臭かった……?」
汗臭くはないぞ、と告げると、悠里は安心したようにため息を吐く。
窓の外は相変わらず土砂降りだった。雨が窓を打つ音が、部屋のなかにまで響いている。
このまま帰すのはかわいそうだな。
「雨脚が弱まるまで家にいるか?」
「いいの?」
「もちろん。このまま外に出たらずぶ濡れだからな。ココアでも飲む?」
「ありがと。いただくよ」
「んじゃ持ってくるから適当にくつろいでてくれ」
そう言って悠里が脱いだ服を掴むと、ぎょっとされた。
「な、なにしてるの!?」
「なにって、乾燥機にかけようかと思って。このままカバンに入れたら、教科書とか濡れるだろ」
「い、いいよ、そこまでしなくて……汗臭いかもだし」
軽く臭いを嗅いでみる。
「うわあっ!? どうして嗅ぐの!?」
「さっきから臭いを気にしてるから安心させてやろうと思って。臭くなかったぞ」
そう告げて、真っ赤な顔の悠里をその場に残し、俺は脱衣所へと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます