第19話 博物館の嘲笑
彼女はどんどんクラスの中から浮いた存在になっていった。初めは深水の怒りに触れないように、少し距離を置いているだけだった。それがだんだん当たり前になり、半年もするとだれも彼女に話しかけなくなっていた。
それでも沙凪は、彼女と一緒にいた。休み時間には彼女と話をし、放課後も一緒に遊んだ。初めは、もしかしたら自分も標的になってしまうのではないかと心配していた沙凪だったが、そうはならなかった。どうやらクラスメイトたちの目には、友達がいない寂しい者同士が一緒にいる、程度にしか見えていなかったらしい。ようするに、みんな沙凪には興味がなかったのだ。
「ふたりは親友なんだから」
彼女は口ぐせのようにそう言った。沙凪にだけはどんなことも話してくれた。
今日こそは本当のことを言おう、と毎日思っていた。だけど結局、言えないまま別れてしまう。時間が経つほど、ますます言いだしにくくなっていった。今まで黙っていたと知れば、彼女はきっと傷つくし、怒る。唯一の友達を失ってしまうのが怖かった。
そんなことをしているうちに時間がすぎ、いつしか沙凪自身もそのことを思いだすことはなくなっていった。
けれど彼女の総スカンは、中学校に上がっても続いた。
他の小学校から来た子たちは、初めは彼女と普通に接した。だが事情を知る生徒から話を聞くなり、彼女と距離を置いた。中には面白がって賛同する者もいて、事態はさらに悪化していった。
それは三年生になっても休むことなく続いた。
修学旅行の二日目は班ごとに京都巡りをするはずだったが、大雨で中止となり、かわりに博物館へ行くことになった。ショーケースに並んだ文化財をひとつひとつ熱心に眺める彼女につき合って歩くのは、沙凪にはどうしようもなく退屈だった。どれを見ても同じに見えたし、古いだけでちっとも価値のあるものには見えない。
ただひとつ、人魚が描かれた日本画だけは妙に記憶に残った。妖怪か何かのように不気味に描かれており、筆先でなでただけのひょろひょろとした線と、紙のシワがあいまって、おどろおどろしかった。
博物館見学が終わると、隣の食堂で昼食をとる。時間が余れば下の階にある売店を見にいってもいいことになっていた。
買い物をしている時、沙凪は何人かの女子生徒たちが外へ出ていくのを見かけた。なぜそんなことを覚えているのかというと、その子たちが彼女の無視を扇動していたグループだったからだ。
沙凪と彼女がおみやげを買って食堂に戻ってくると、イスの上に置いてあったはずの彼女のカバンがなくなっていた。母から譲り受けた革の学生カバンで、普段もサブバッグとして学校に持ってきているほど気に入っていたものだ。ふたりであちこち捜し回ったが見つからず、担任の教師が博物館の職員に、盗難かもしれないと報告した頃、他の見物客によってようやく発見された。
カバンは博物館正面の道路に打ち捨てられていた。雨にぬれていて、おまけに車に踏まれたらしく、ひどく形が崩れ、持ち手の金具が壊れていた。
あの子たちだ。
沙凪はさっき見たものを彼女に伝えた。彼女は、やっぱり、という顔になって、その女子グループのもとへ向かった。
「私らがやったって証拠、あんの?」
リーダー格の女子生徒は待ってましたとばかりにそう言った。後ろにいた取り巻きたちがこらえきれずに笑いだす。
彼女は辛抱強く問い詰め続けるも、リーダーは長くて黒い髪の毛をいじりながら「だから、証拠は?」と繰り返すだけだった。絵の具のチューブからだしたそのままの黒みたいな色の髪で、蛍光灯の下でもほとんど光らず、その根性の悪い笑みと相まって気味が悪かった。
担任教師が来ても、状況はよくならなかった。取り巻きたちが口をそろえて「みんなでずっと一緒にいた」と証言したのだ。証人があっちは複数人、こっちはひとり。教師の頭の中の天秤が傾いていくのが目に見えるようだった。
結局、担任教師は女子グループを解放した。
正直、予想通りの展開だった。この手の問題は、確固たる証拠がなければ教師の介入は期待できない。彼女もこういう経験は初めてではなかったし、ダメ元で言ってみただけのところがあった。
だけど、そのあとに続いた言葉には、耳を疑った。
「そもそも、なぜカバンから目を離したりしたんだ」
彼女も私も、驚きで何も言えなかった。
犯人を特定することができず、すっきりしないのはわかるが、そこで原因を被害者に求めるのは違う。なぜ今、そんな言葉が出てくるのか、理解に苦しむ。
けれど、担任教師は「貴重品からは目を離すな」ということを、言葉を変えながら何度も繰り返した。めんどうになった彼女が「わかりました。気をつけます」と言うと、満足したように去っていった。
遠くの席から、クスクスと笑う声が聞こえた。
それ以来、彼女は抗議をやめた。けれど決して屈しなかった。壊れた持ち手を修理して、少しふやけた革のカバンで登校し続けた。それからは、どんなことをされても決して教師に相談しなかった。
彼女は、嫌がらせのすべてを「仕方ないな」のひと言で片づけるようになった。真っ向から戦いを挑んでも、こちらの手札は限られているし、手札を切ることはかなりの体力を必要とする。だから彼女は長期戦を覚悟した。相手が飽きるのを待ったのだ。
自らがつらい状況であっても、彼女は沙凪が困っている時は必ず力を貸してくれた。もしかしたら、沙凪を助けることで自分の自信を保っていたのかもしれない。
実際、彼女はとても頭がよかったし、大抵の運動は軽くこなせた。小さい頃からクラシックバレエを習っていて、その美しい姿勢から、気品や育ちのよさがにじみ出ていた。どんな目にあっても常に背筋をぴんと伸ばして歩いていた。
その自信にあふれた姿が余計に同級生たちの反感を買っていることに、彼女は気づいていたのだろうか。
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