第18話 ベタの水槽
それからずっと、沙凪と彼女は一緒だった。何度かクラスが離れてしまったけど、それでも、放課後いつも一緒に遊んでいた。
深水は学年が上がるにつれ、その存在感を増していった。行事を引っぱるのも、授業中に笑いをとるのも彼。ちょっと偉そうだけど、それすらも頼りがいがあるように見えた。
一方、休み時間に自分の席でひっそりと本を読む沙凪の姿は、クラスではただの風景と化していた。用事がない限りはだれも話しかけてこないし、沙凪も自分から彼女以外に話しかけることもない。それでよかった。授業中に消しゴムかすを集めて練り消しを作る深水の一生懸命な横顔を見ているだけで、沙凪は十分幸せだった。
六年生でまた同じクラスになった沙凪と彼女は、一緒に生き物係をやろうと約束した。教室には大きな水槽があった。担任の先生が趣味で飼っているベタを、教室に持ってきたのだ。柔らかいクシの歯みたいな黒くて長いヒレが背中からお尻、お腹まで生えていて、泳ぐたびにそれがひらひらと揺れてきれいだった。他にも、学校の池から連れてきたメダカや金魚も一緒に飼っていた。その水槽の管理が、生き物係の仕事だ。
だが生き物係を希望する人は他にもいた。深水もそのひとりだ。深水はその魚たちをいたく気に入っていて、勝手にエサをやろうとして先生に止められる姿を何度も見ていた。最終的にはジャンケンで決めることになり、沙凪と深水は早々に負けてしまい、最後まで残った彼女と別の男子が生き物係になった。深水はよっぽど悔しかったらしく、その男子に何度も係の交換を持ちかけたが、あえなく断られた。
朝と夕方にエサをやり、たまに水槽の水をとり替える。それを、彼女ともうひとりの係が一日交替で担当していた。
ある朝、沙凪が学校に行くと教室は騒然としていた。みんな水槽の周りに集まり、何か騒いでいる。沙凪が横から覗きこむと、いつもは水槽の中でゆったりと泳いでいるはずのベタが、腹を横倒しにして水面に浮いていた。黒に白い模様が入ったきれいなヒレが、水面に広がってゆらゆら揺れている。目玉は白く濁っていて、命が完全に抜け出てしまったのだとひと目で分かった。他の魚も、全滅だった。
深水は少しだけ口を開けた状態で固まっていた。目はじっと、水に浮かぶベタを見続けている。
そこへ、彼女がやってきた。事情を知らない彼女が水槽に近づいた途端、深水が叫んだ。
「お前のせいだ!」
教室が水を打ったように静まり返った。深水は目と耳を真っ赤にして彼女を罵倒した。
彼女は状況がうまく飲みこめず、ただ深水の言葉を受け続けていた。
コンセントを調べてみると、ポンプのプラグが抜けて、かわりにヒーターのプラグが入っていた。いくら熱帯魚とはいえ、冬に使うはずのヒーターを晩春に使われては、耐えきれなかったのだろう。
昨日の当番は彼女だった。
彼女はコンセントにはさわっていないと主張し続けた。担任の先生も彼女を擁護した。最後に世話したのが彼女だからといって、必ずしも彼女の責任だとは限らない。もしかしたらだれかが気づかずに挿しかえてしまっただけかもしれない。やったのがだれであろうと、悪意はなかったはずだ。先生はそうみんなをなだめた。
でも、深水が許さなかった。深水の意見はクラスの意見だった。みんな口には出さなかったけど、心のどこかでは彼女が犯人だと思っていた。
沙凪を除いては。
だけどそれは友達だからとか、そんなきれいな理由ではなく、心当たりがあったからだ。
沙凪は、昨日の清掃の時間に黒板の掃除をした。黒板消しをきれいにするため、水槽につながっているコンセントを抜いて、クリーナーのコンセントに差し替えた。しばらくポンプが止まるだけで、すぐに元に戻せば大丈夫だろうと、それくらいにしか思っていなかった。
もしかして、と浮かんだ途端、全身の血がすうっと足元へ下がっていった。
そのまま消えてしまいたかった。
その場では確かめる勇気がなくて、沙凪はじっと汗ばむ手をにぎりしめていることしかできなかった。
自分がどうしようもないちっぽけな存在に思えた。
沙凪は未だに、そのことを彼女に言いだせずにいる。
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