地竜と土竜
[短編] [ミディアム] [ファンタジー度★★★]
フッと目が覚めて、孤独の中にいることに気がついた。重く湿った土の中。その中に伏した己が身は、誰の目につくこともない。情けも容赦も感慨もない冷たさが押し寄せて、この体をすっぽりと覆っている。
(ああ、目が覚めてしまったのか)
そう鼻から息を吐く。己の体内に蓄積された毒が、その息の中にわずかに混じり漏れ出た。かつて破壊と暴虐の限りを尽くした往年の頃、我が爪、我が牙、我が尾を差し置き、最も猛威を振るった我が毒素。しかし、その毒の量はどうにも薄まっているように感じられた。
(封印の眠りにつかされていた影響か……?)
そう一つの可能性に思い当たる。そういえば、あれからどれだけの時が経った?
一枚一枚のフチが鋭い刃のように尖った、岩のように硬く分厚い鱗に覆われた首をもたげて、辺りの様子を見回してみようとする。
……が。
(なに、構うものか。今更なんだと言うのだ。はや、どうでも良いことだろう)
そう思い直し、眼をつむった。巨大な水晶玉の中に黄色の炎が燃えるような両眼を。
このまま、土に還りたい。眠って、眠って。元の土へ、来た場所へ。願わくは、ありふれた他のいきものたちと同じように。
その時。土の中のどこかほど近いところから一つの声が聞こえてきた。
「あれっ、誰かそこにいるのかい?」
「見ないカオだね。……あ、別に
「でもキミ、お仲間だろ? なんだか知ってるにおいがするもの。最近越してきたとか?」
「そこ、土固いだろ?」
「ここら一帯、草の根がてんで育たないんだ。空気も通らないしもちろんミミズだっていない」
「ちょっと困りモンでさ……。ずっと、ずうっと、そうなんだ。ひいじいさんのそのまたひいじいさんの頃からそうだったみたいで」
「今オイラがいる場所は、まだ一応掘れる土なんだ。ちょっと骨が折れるけどね。あ、声の方向で大体分かるよね? キミのいるところからはちょっと遠い場所にオイラ今いるんだけど」
「もし前向きに検討中だったらゴメンね。でも、ここにねぐらを構えようとするのはオススメしないなぁ」
「そうだ、良かったらおいでよ! ちょっと行ったところに、オイラたちの里があるんだ」
「あ、でも、今キミのいるところからまっすぐこっちに来ようとしても、その一帯は掘れる土じゃないから……。ぐるっと回って来るにも遠いし、一度、上に出た方が良いと思うよ!」
「じゃ、オイラは用事があるから、また後でね!」
その声はこれだけのことを一気にまくしたてた。
寝起きのところに、一方的に矢継ぎ早に話しかけられ、口を挟む隙もなく。パチクリと目をしばたく。声の主は良い悪いの返事も待たず、その言葉通りどこかへと行ってしまった。気配が遠ざかって消える。
「……まぁ、仕方あるまい」
そう口の中でつぶやいて、再び眼を閉じ、息を吐く。
もうひと眠りしよう。今のは夢、あれは夢だ。束の間にふと見た夢だ。夢なら、夢のままで。
今貪るのは睡眠だ。肉を喰らう気力は今ない。今貪るのは睡眠だ。昇る日のことなど知らぬ。
そして、もし次に我が目の覚める頃には、あの声の主もとうにこの世にいないだろう。小さき命とは、ありふれた他のいきものたちとは、そういうものだ。
それに。この邪悪なる姿を現し、あのむじゃきな声の主をがっかりさせることもあるまい。我も忘れる。向こうも忘れる。それで良いではないか。
此度は騙すつもりもなかった。ヒトを騙して喰らうというのは、幾度となくした手法だったが、それはすべて初めからそうしようと謀ってするからこそのよろこび。そうでないのは、我が沽券に関わる。
悪しき竜、と指を刺され、そのように生きてきた。
悪しき竜、と剣を刺され、そのように眠っていた。
『悪しき竜、悪しき竜! 毒で地を穢す、悪しき竜!』
そう我を
それとは別に、この耳にうっすらと響き聞こえてくるものもあった。
「かみさま、かみさま。どうか目を覚ましてください」
「土を掘って、一緒に草花を育てましょう」
「毒になんか、負けないで」
「ねぇ、かみさま、かみさま。どうか目を覚まして」
ほうれ、どこの誰だかはてんで知らぬが、呼ばれておるぞ。早く目覚めてやれば良い。この悪性極まる我などではない、望まれて目覚めるべき者よ。……それとも、この我がその者を、いずれかの時に葬ったかな?
思い返せば、この声がずっと聞こえていたような気がする。封印の眠りの、まどろみの中で。
ああ、心底
……楽しかったんだと思う。嬉しかったんだと思う。あのむじゃきな声の主、小さき命。それにあんな風に、屈託なく話しかけられて。これっぽっちも恐れられることなく。
だから、夢なら、夢のままで。
「あれっ、まだそこにいたのかい?」
なので、再びそのむじゃきな声が耳に届いてきた時には驚いた。
(まだこの時間に、我の意識は存在しているだと? いったい何の必要があって?)
「オイラの用事、終わったよ」
「里までの道、分からなかった? あっ、もしかして、オイラを待っててくれたとか?」
「ヘヘッ、じゃあ一緒に行こう! 案内は任せて。まずは地上に上がろう。そこで会おうよ!」
「こっちこっち。上がって来てよ! 来て来て!」
声はまたこちらの返事も待たずに、ぐんぐんと上の方へと上がっていく。スピードは速いが、進む距離は小さい。己の
嗚呼。呼ばれたのならば。ならば、ならば。
「……まぁ、仕方あるまい」
そう口の中でつぶやいて、再び眼を閉じ、息を吐く。
顔を上げる。首をもたげる。そうして土を掻く。昏き地の底、その奥深くから。
悪しき魔が、這い出るぞ。這い出るぞ! 呼び出したのは、お前なのだから!
――後悔しても、もう遅い!――
ボコッ。〝魔〟が這い出るには、多少まぬけな音がして。
「うわぁあ~っ!」
〝魔〟が這い出たにしては、
「なんだ、早く言ってよー! いたずら好きなんだなぁ、もう」
「キミ、かみさまだったんだねぇ!」
(何を、言っているのだ?)
声のした方を見下ろす。己の鼻先から遠くあるいは近く。
そこにいたのは、とんがった鼻をぴこぴこ動かし、つぶらな目でこちらを見上げ、大きな爪の生えた両手を万歳の形に上げた、黒い毛に覆われたまあるい頭の、小さき命。
(どうして、どうして、そのような言葉を、眼差しを。我は悪しき竜で、毒をもたらす者で……)
陽はさんさんと降り注ぐ。そのまばゆくもやわらかい、あたたかな中で。小さき命の、歓喜の声が響いた。
「ねぇ、かみさま、かみさま、とちがみさま! オイラの呼びかけに応えてくれたんだね?」
「あっ、かみさまが出てきたところ、土が耕されてる! これでここにも草木が育つね!」
「嬉しいなぁ、嬉しいなぁ!」
その光の中で思い出した。かつての己を。やってきた外敵を駆逐せんと毒に身を染める以前の、遥か遠き昔のことを。
水晶の眼からじわと涙が滲んだ。そのまま溢れて零れる涙。その落ちる先には、小さき命。
(ああ、それにはまだ毒が!)
降りかかるのを防ごうと手を伸ばす。しかし愚鈍な我が巨体は、それに到底間に合わない。
ぱしゃ。小さき命のまあるい頭は、落ちた滴を撥ね返した。雫が落ちてきたことに驚いたように、前足でぱたぱたと頭をはたく。
彼が払った涙は土に染み込んだ。そこからひとつの芽が顔を覗かせ、そっとその葉を広げる。
「わぁっ! すごいや、すごい! かみさま、すごーい!」
小さき命が、そのまた小さき命のすぐ横で、元気よくぴょんぴょんと飛び跳ねた。
その光景を、どこか信じられない気持ちで呆然と眺めて。
それから、鱗に覆われた首を動かし、辺りの様子を見回してみる。そうして吐いた息には、かつて猛威を振るった毒はもう含まれてはいなかった。
(ああ、春が来たのだな)
この場所から遠く、あるいはほど近く。山に、里に、野に。そこに広がる景色は、草の芽生えにつぼみの膨らみ。
それは、永い眠りから何もかもが目覚めゆく季節のことであった。
お題:明るい話(物理的な意味ではなく)※原文ママ
一言:二〇二四年の四月四日は、二十四節季の「清明」にあたります。「清明」とは「
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