春の夜空の間を駆けて
[短編] [ミディアム] [ファンタジー度★★☆]
「『牡羊座』と『おひつじ座』は違うんだって」
夕食の席で、少年はチーズオムライスを頬張りながら言った。
リビングダイニングに置かれたテレビは、明日の天気を告げている。どうやら、ここ最近しばらく続いていた快晴は一度雨で途切れるが、その後またすぐに晴れに戻るらしい。
「口の中の物を飲み込んでから喋りなさい?」
母親にたしなめられ、少年は肩をすくめてごくんと喉を鳴らすと続けた。
「先生が言ってたんだ。今くらいの季節に生まれた人の星座は『牡羊座』だけど、空の星座の『おひつじ座』は、今くらいの季節じゃあ夜には見えないんだって。ええとなんだっけ、コヨ、コ……、暦とか、そういう色んな考え方が昔と今とじゃ違うからなんだって」
「へ~ぇ、知らなかったなぁ」
父親がそれにのんびりと相槌を打つ。少年は相も変わらず声を弾ませて続けた。
「あのキーホルダーを見て、そう教えてくれたんだ。あの、アーミラリ天球儀を」
そう言って少年は後ろを振り向く。母親から「夕食後にやるのよ」と一旦ソファに置かれたドリルと筆箱。その筆箱につけられた、ひとつのキーホルダーの方を。
深緑色に輝く大きく透明なビーズ。金属光沢の輪っかが複数、それを守るようにぐるりと周りを覆っている。そうして成された球を、うやうやしく載せる四本脚の付いた台座。それが、古い商店街のこぢんまりした雑貨屋にひっそりと置いてあった、〝アーミラリ天球儀〟と名の付いたキーホルダーだった。
「『この世界』とは違う『こことは別の世界』があるんだって」
夕食の席で、少年はチーズを乗せたパンを頬張りながら言った。
みなで囲む焚き火は、ぱちぱちと軽快な音を鳴らして揺らめいている。晴れ続きで乾いた薪は良く燃えるのだ。この先は一時だけ雨の訪れがあるだろうと、村のまじない師は今日予言した。
「食べるか喋るか、どっちかにしなさい」
父親にたしなめられ、少年は肩をすくめてごくんと喉を鳴らすと続けた。
「先生が言ってたんだ。僕らは『マホウ』を使うけれど、その世界では『カガク』ってものが発展したんだって。ええとなんだっけ、コヨ、コ……、暦とか、そういう色んな考え方がこっちとあっちじゃ違うからなんだって」
「へぇ~、不思議なお話ねぇ」
母親がそれにのんびりと相槌を打つ。少年は相も変わらず声を弾ませて続けた。
「あの星見台で見てたら、そう教えてくれたんだ。あの、アーミラリ天球儀を」
そう言って少年は後ろを指差す。小高い丘の上に経つ背の高い建物。そのてっぺんの部屋に置かれた、ひとつの大掛かりな天体模型の方を。
深緑色に輝く大きく透明な鉱石。金属光沢の輪っかが複数、それを守るようにぐるりと周りを覆っている。そうして成された球を、うやうやしく載せる四本脚の付いた台座。それが、古くからずっとあの星見台で使われてきたという、〝アーミラリ天球儀〟と名の付いた魔法具だった。
同じ空に昇る天の星から、違う暦を人々は選び取り、同じであった世界は、違う二つの世界に分かたれた。それはかのアーミラリ天球儀によってのみ、ひそやかに伺い知ることのできるささやかな物語。
良く晴れた日の夕方には、少年は
その晴れ続きの春の日々の中で一晩、雨の降った日があった。
「先生、僕、夢を見た。誰かが泣いているんだ。夜の草原の中で静かに、でもどこかちょっとだけ安心して笑っているみたいに」
雨上がりの日、学校の理科室。少年は先生の前でぽつりつぶやいた。まだ若いというのに白髪の混じった髪をした白衣姿の先生は、セルフレームのレンズの奥の目を穏やかに細めて言う。
「非科学的なことだけどね。夜の草原の夢は、悪いものじゃあない。きっと何か、君に伝えてくれているんだよ。大丈夫。君は進んで行けば良い」
雲の晴れ間から差し込む光。それを受けアーミラリ天球儀は、目を伏す少年の視線の先で、静かに深緑色の光をきらめかせていた。
「先生、僕、夢を見た。誰かが笑っているんだ。夜の草原の中で静かに、でもどこかちょっとだけ悲しくて泣いているみたいに」
雨上がりの日、星見台のてっぺん。少年は先生の前でぽつりつぶやいた。高齢ではあるが未だ背筋の伸びた白いローブ姿の先生は、丸い片眼鏡のレンズの奥の目を穏やかに細めて言う。
「古い魔法の言い伝えでね。夜の草原の夢は、悪いものじゃあない。きっと何か、君に伝えてくれているんだよ。大丈夫。君は進んで行けば良い」
雲の晴れ間から差し込む光。それを受けアーミラリ天球儀は、見上げる少年の視線の先で、静かに深緑色の光をきらめかせていた。
そうしてその日も少年は草原を駆ける。雨上がり。空のすっかり晴れ渡った日の夕方。一人は羊の群れ、もう一人はサッカーボールを追って。
草原の向こうに太陽が沈んでから少し経ち、西の空の低いところに星のまたたきが見え隠れするようになってきた。
(そろそろ家に帰らないと)
少年は帰り支度をし、いつもの草原を後にしようとした。空気は澄みきって、今夜は満天の星の予感。それは、どこかで見たことがあったような光景だった。
「ああっ!」
少年は、その夜になりゆく空の下で声を上げた。彼の目が何かを見つける。少年はそのまま、草原にぽつんと建つ小さな小屋へと駆け込んだ。
日の沈んだ草原に訪れた夜。その中でぽうっと光るように白い、ふわふわとした体の動物。
「ああ、ああ……」
少年は一歩二歩、その動物の元に歩み寄った。そうして小屋の中、そろそろと膝をかがめる。
「お前は、あの空に行くんだね」
家の近くに建てられた看病用の小屋。その屋根の下、木の柵の内側。病気をしていた年老いて体の縮んだ老羊の、温度を失っていくその白い体を抱きしめて。少年は笑うように泣いた。
「よろしくと、伝えておくれ……」
「君は、あの空から来たんだね」
公園の中に建てられた休憩用の小屋。その屋根の下、段ボールの中。生まれたばかりのような小さな小さな子犬の、じんわり温かいその白い体を抱きあげて。少年は泣くように笑った。
「まかせてって、伝えたいな……」
日没後の数時間だけ、『牡羊座』の季節の空に『おひつじ座』が現れる。
その春の星々の並びの中を、ひとつの流れ星が今、ふたつの世界の空を駆けていった。
同じ空に昇る天の星から、違う暦を人々は選び取り、同じであった世界は、違う二つの世界に分かたれた。小高い丘の上に建つ星見台のてっぺん、あるいは筆箱についたキーホルダー。それはかのアーミラリ天球儀によってのみ、ひそやかに伺い知ることのできるささやかな物語――
お題:指定の「魔法のお守り」をテーマにした短編(ノベルアップ+企画)
お守り・「アーミラリ天球儀 ~暦の計算にも用いられた天球儀。星たちの動きを見ることで今生きている世界線とは別のパラレル世界を調べられる魔法具~」
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