5月21日①:今の私には、それは十分すぎることだよ

朝、目が覚めると・・・そこは悠真の部屋


「おはよう、羽依里。よく寝てたな」

「おはよう。悠真・・・」


しかし悠真は既に起きており、机に向かって何かをしていた

なぜかメガネを掛けている。始業式の日もかけていたあのメガネだ

普段とは違う彼は嫌いではない

けれど・・・視力はよかったはず

かける意味を、見いだせない


時計を確認すると、まだ朝の四時らしい

こんな朝早くから、悠真は何をしているのだろうか


「どうした、羽依里」

「・・・まだ起きられてない。側にいて」

「もちろん。おいで、羽依里」

「ん・・・」


普段はこうして甘えることなんて出来やしない

膝の上に腰掛けて、肩に頭を預ける

とても心地が良い。もう一度寝てしまいそうだ


「ところで、何をしてるの?」

「勉強。テスト近いし」

「頑張りすぎ」

「それでも、頑張らないと」


部活に勉強に、仕事・・・それから私の相手まで、色々な事を完璧に成し遂げている

頑張りすぎだと思う。頑張りすぎてまた体調を崩さないか心配だ


「無理はしないでね」

「ああ。もちろん適度に」


頬に熱を覚えた。悠真の手が私の頬に触れているらしい

心地の良いぬくもり。彼が自発的に私の肌に触れてくれることなんて、滅多にない


「顔色はいいな」

「顔色を見るだけ?」

「顔色を見たかったのもあるけれど、羽依里の顔を近くで見たかったって言ったら、どうする?」

「・・・素直に照れる」


肩に顔を埋める

見えていない今なら、少し笑っても気づかれないはずだ

そんな事を言うなんて。びっくりしたけれど、とても嬉しい


「えへへ・・・」

「何か面白いことを言ったか?」

「ううん。照れるけど嬉しいなって」

「そうか。ところで羽依里。具合は平気か?」

「平気だよ?」

「昨日、空港から帰ってからずっと眠り続けていたから心配だったんだ。体調はいいみたいで安心したよ」


確かに昨日、お母さんを見送って・・・帰りのバスに乗ってからの記憶が曖昧だったのだが、まさか寝ていたなんて

しかも今の時間まで

今の、今まで?


「っ・・・!」

「どうした」

「お風呂、入ってない・・・!」

「シャワーでいいか?」

「なんでもいいから、身体を洗わせて・・・!」

「了解。じゃあ下に行こうか」


机から離れた悠真は、机の上に広げていたテキストを閉じて、学校の鞄の中に入れ込んだ

それから二人で一階に向かう


「・・・ところで、なんでメガネ」

「まだコンタクトしてないから。乱視なんだよ」

「そうだったんだ。知らなかったな」

「あえて言わなかった。症状は軽いし、あまり気にしないでくれ」

「うん」


自室から着替えを確保した後、私はお風呂へと向かう

その手前の洗面所までついてきてくれた彼は、そのまま外で待っていてくれるらしい

私は素早くシャワーを済ませ、生乾きの髪とともに再び彼の元へ戻った


「おまたせ」

「待ってない。このまま店の方に行こう。髪を乾かさないと」

「部屋のドライヤーがあるよ」

「もう少し強力なのを拝借しよう」

「・・・?」


・・


少し大きな送風音

大きな業務用ドライヤーを携えた悠真は、私の髪を丁寧に乾かしてくれていた


「加減はいかがですか?」

「気持ちいいよ」

「そうか。ところで羽依里さんや。髪型のリクエストはありますか?」

「え?あ・・・そうだね・・・今日はそのままで」

「了解」


あっという間に髪を乾かし終わった後、悠真はドライヤーを棚の中に収納し、そのまま櫛を手にとって私の髪を手入れしてくれる


「痛かったら言ってくれよ?」

「大丈夫。悠真は無理やり櫛を通したりしないってわかっているから」

「信頼してくれているわけだ」

「誰よりも信頼しているよ」

「そっか・・・なんか照れるな」


鏡に映った悠真の表情は、なんとも言えないような嬉しそうな顔

私に見えているなんて露ほどにも考えていないようで、溶けきった顔に私も笑みが溢れてしまう


「どうした?」

「鏡、映ってるよ」

「・・・鏡?」


少しの間、悠真は目の前の鏡を凝視した

私が言っている意味を理解するまで、何度か頭を捻り・・・言葉の意味に気がついてくれた後は、複雑そうに両手で顔を覆ってしまう


「やってしまった・・・」

「可愛いと思ったよ」

「そりゃどうも・・・」


「可愛い」は流石にアウトだったみたいで、鏡越しに不貞腐れた悠真が映った

それからも彼は髪を整える作業を続けてくれる

しばらくすると、彼から「終わった」と声をかけられた

鏡の前には、普段の私が映っている


「ねえ。悠真」

「んー?」

「普段の私がいる」

「そうだな」

「悠真、髪のお手入れ上手だね」

「そうか?」

「沢山練習した?」

「少しはな」

「努力家だね、悠真。そういうところ、凄く格好いいと思うよ?」


可愛いは禁句

言われて嬉しいのは間違いなく格好いい

それぐらい、私には手に取るように分かる話なのだ

もちろん、今の私は思っていないことをストレートに伝えるほどの余裕というものが存在しない

色々と抑えていた分、歯止めが利かないのだ


「そんなこと言っても、何も出てこないぞ」

「悠真の嬉しそうな顔は出てくるよ」

「・・・それでいいのか?」

「今の私には、それは十分すぎることだよ」


朝の、誰もいない美容室

髪の手入れを終えた後は、少しだけ大好きな貴方に伝えたいことを伝えていく

まだまだ伝えたりないけれど、たくさん伝えたいことがあるのだから


今日もまた一日が始まっていく

一緒に楽しいものにできますように、そう願いながら私は彼との朝を過ごしていった

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