5月20日⑩:泣いているところ、初めて見たなぁ・・・
「なんとなく、変な感じはしていたわ」
先に切り出したのは、円佳さん
俺と藤乃は顔を見合わせて、彼女から放たれる話が何なのか・・・静かに身構えた
「藤乃ちゃん、ご両親の話題になると顔がひきつっていたの。緊張なのかなってポジティブに捉えていたけれど、作り笑いが正解だったみたいね」
「・・・笑顔、下手になったかな」
「ご両親、挨拶に伺ってもいらっしゃらなかったから忙しい人かな・・・なんて考えていたけれど、他にもなにかありそうね」
「・・・それは」
「別に言いたくなければ話さなくていいわ。けれど、これだけは覚えておいて」
そう言って円佳さんはメモに自分の電話番号とトークのアカウントを記し、藤乃に手渡す
「何かあれば、必ず力になるから」
「円佳さん・・・ありがとうございます」
「私も、相談ぐらいしか乗れないけれど・・・何かある前に頼ってくれると嬉しいな」
「羽依里ちゃんもありがとう。助かるや」
「さて、ちょうどご飯も来たことだし・・・気持ちを切り替えていこう」
ちょうどやってきた食事を店員さんがテーブルに並べてくれた
それぞれが頼んだ湯気立つそれに、目を輝かせて眺める俺たちに、円佳さんが景気のいい声をかけてくれる
「さあ、若人!たんとお食べ!」
「「「いただきます!」」」
「美味しい?」
「美味しいよ、お母さん。一口食べてみて?凄く美味しいから!」
「いいの?ありがと。じゃあ羽依里は私のを一口」
「やった!」
親子は和やかな食事を眼の前で繰り広げてくれる
その様子を、藤乃が羨ましそうに見ていたのを・・・羽依里も円佳さんも見逃さない
「藤乃ちゃんも交換しようか」
「私のもどうぞ!」
「あ・・・うん。じゃあ私も二人に、どうぞ!」
それぞれの皿を移動する、それぞれの食事一口分
和やかな会話にまた一人混ざり、俺も自然と笑みが溢れてしまう
「悠真」
「ん?」
「悠真も一口交換しよう?」
「いいのか?」
「もちろん。はい、どうぞ」
「ありがとう。じゃあ俺のも・・・と、いいたいところだが、少し辛味が強くてな。羽依里には食べさせられそうにない。ごめんな」
「ううん。いいよ。気を遣ってくれてありがとうね」
それぞれが食事を摂りつつ、他愛のない会話を繰り広げる
学校生活はどうだとか、趣味は何だとか
最近、何かいいことがあった話だとか・・・ごく普通の家庭で繰り広げられる、何でもない会話を俺達は繰り広げていった
・・
話が一段落する頃には、既に円佳さんも搭乗口に向かわないといけない時刻になっていた
「・・・楽しかったわね」
「そうだね」
「まずは悠真君、藤乃ちゃん。今日はありがとうね。これからも、羽依里のことをお願いします」
「こちらこそ。羽依里は俺たちに任せてください」
「私も今日はありがとうございました。円佳さん、体調にお気をつけて」
「ええ」
俺たちは軽く挨拶をした後、互いに目配せをして少しだけ距離を取る
最後の時間は、親子二人にしてあげたいから
「羽依里」
「・・・うん」
「大丈夫。次は八月に帰国予定だから」
「うん」
「それからね。九月以降は国内で仕事をすることになったわ」
「本当?」
「ええ。寂しい思いはさせるだろうけど。こうして外国に出ることはなくなるわ」
円佳さんの手が、羽依里の目元へ伸びる
彼女の目元に浮かんだ涙を指先ですくい取り、円佳さんは安心させるように羽依里へ微笑んだ
「詳しい話は電話で話しましょうね」
「うん」
「羽依里、まだまだ寂しい思いをさせるけれど・・・」
「大丈夫。悠真や藤乃ちゃん、学校の皆がいるし、おじさんもおばさんも朝ちゃんもいる。毎日が楽しいから、大丈夫」
「そう。わかったわ」
「お母さん」
「なあに?」
「いってらっしゃい」
「ええ。行ってくるわ。体に気をつけてね」
「うん。お母さんも、お父さんも」
親子の距離が、少しずつ離れていく
名残惜しそうに背中を向けて、円佳さんは搭乗口の奥へと向かっていった
振り返らない。手も振らない
だって、今振り返ったらきっと・・・円佳さんは羽依里に「情けない姿」を見せてしまうから
「・・・お母さん、肩震えてる」
「羽依里」
「泣いているところ、初めて見たなぁ・・・」
大粒の涙を浮かべて、羽依里は円佳さんの旅立ちを見送る
一時の別れ。八月にはまた円佳さんはここへ戻ってきてくれる
それでも、離れ離れになるのはやはり寂しいようで、羽依里はそのまま俺の胸の中へ静かに顔を埋めた
静かに肩を震わせて、声も出さずに泣く彼女の背を優しく撫でる
「寂しい気持ちはよくわかるよ。俺もそうだったから」
「・・・」
「今の俺はクッションだぞ、羽依里。音も何もかも吸い取れるやつな」
だから、思う存分に泣いてくれ
寂しがる小さな彼女を抱いて、落ち着くまでしばらくの時間を過ごしていく
しばらくして、遠くから飛行機の離陸音が聞こえてくる
泣き声もなにもかもかき消したそれを聞き終えた後、俺たちは空港を後にした
・・
空港から最寄りのバス停に戻るまでの間
泣きつかれた羽依里は、そのまま眠ってしまった
「寝ちゃったね」
「ああ。寂しかったんだろうさ」
「そうだよね。ああして見送りに行くのも、初めてだっただろうし・・・具合、平気かな」
「気分的にはよくないけれど、体調面では平気だと思いたい」
「だね」
バスに揺られつつ、帰り道を辿っていく
実際に家に戻れたのは夜十時
羽依里は起きなかったのでそのまま寝かせ、俺と藤乃はそれぞれの生活に戻っていく
そして、あっという間に次の日がやってきた
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