5月20日⑥:身体、預けてもいいんだぞ

旧校舎に立ち入るのは初めてだ

古びた校舎の廊下を進みながら、私は悠真へ声をかけた


「悠真」

「どうした?」

「・・・私ね、あの時起きてたから。どういうことか知っているんだよ」

「・・・あの時っていつのことだよ」

「四月。私が倒れた時の事・・・言わないなら、聞くよ」


その日、悠真が何を話していたのかはきちんと覚えている

寝ている間に打ち明けたはずなのに、私が既に知っていたことへ若干の驚きこそあったけれど、すぐに諦めたように息を吐いた


「・・・そっか。起きてたか」

「撮れないんだよね、私だけ。どうしても・・・」

「・・・ああ。カメラを向けるだけで、手元がブレて、シャッターを押す指が動かなくなる」


改めて、きちんと事実を聞かされる

わかっていたけれど、ショックというか・・・申し訳無さで心臓が痛くなった


「今も・・・なのかな?」

「試さないとわからないけど、今はやるべきことがあるから・・・」

「そうだよね。今は、これ以上具合が悪くなることはできないよね」

「ああ。だから今度時間を作って欲しい」

「もちろん。何だって協力するから」

「無理のない程度にな」

「わかってる・・・ひゃあ!」

「羽依里!」


少しだけ油断した

廊下の床が脆くなっている場所があって、そこを運悪く踏み抜いてしまったらしい

衝撃でバランスを崩し、転んでしまいそうになるが・・・


「っ・・・!」

「・・・ん」


彼の右腕が素早く伸びて、私を抱きとめてくれる


「・・・大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫」

「怪我は?」

「ないよ。悠真が、その・・・抱きとめて、くれたから・・・」

「心臓は?平気か?」

「びっくりしたから、少しだけ・・・休ませて」

「ああ」


そのまま体勢を直し、私はなぜか悠真の太ももの上に座らされる

床ほどではないけれど、硬くてどこかやわらかい膝

緊張もあるけれど、どうしてだろうという疑問のほうが心の大半を占めていた


「きつくない?」

「平気。旧校舎の床、あまり綺麗じゃないんだ。捺さくれとかある部分もあったりする。だから、そのまま座らせることは・・・流石にな」

「そうなんだ。ありがとう、悠真」

「いいって」


平気そうな顔をしているが、気がついている

先程とっさに私の身体を引いたのは右

治ったばかりの、右腕なのだ

掴むのはともかく、私の身体を引っ張るのにはそれなりの負担があったはずだ


「腕、平気?右腕で引いていたから」

「大丈夫だ」

「格好つけなくていいから」

「・・・実のところ少し痛んだ。けどしばらくしたら落ち着くから。大丈夫だよ、気にしないでくれ。今は、自分のことだけ」

「ありがとう・・・すう」


何回か深呼吸を繰り返して、時間を過ごす

あまりゆっくりしてられないことはわかっているけれど

私の状態が普通になるまで、彼が動かないのもわかっている

なるべく早く回復できるよう、落ち着いた体勢で休むのが今の私の最善なのだ


「身体、預けてもいいんだぞ」

「ではお言葉に甘えて」


肩に頭を付けて、そのまま彼へ体重をかける

うっかり眠ってしまいそうな温かな感覚を覚えていると、ふと、廊下の先から足音がする

目立つように、あえて鳴らすように繰り出されるステップ

しかしどこかその音には気品が混ざっている気がする

誰だろう、顔を確認するために顔をあげると、そこには見知った女子生徒

クラスにいた女の子だ。確か名前は・・・


「おやおや、五十里君。お楽しみのところだったかい?」

「岸上か。すまないな、時間」

「いいよ。それより白咲君は平気かい?」

「廊下を踏み抜いて驚いてしまってな。今は休憩中だ」

「そうか。確かにこの旧校舎は演劇部以外は立ち入らないし、極めつけはオンボロだものなぁ・・・」

「直さないのか?」

「練習にはちょうどいいんだ。それに、慣れればこの床も楽しいものだよ。まあ、来客を招く分には、最悪すぎるからね。怪我はないかい?」

「自己申告と、ぱっとみた印象を信じる限り、怪我はないようだ」


「なるほど。問題は彼女の持病の方だけか。薬を飲むほどではないのかな?」

「みたいだな。まあ、そのあたりは羽依里の自己判断に任せているから」

「確かに、第三者ではわからないことも多いからね。そこは彼女の判断に任せようじゃないか」


岸上・・・岸上。ああ、あの岸上さんか

同じクラスの岸上恵理子きしがみえりこさん

整った容姿に男子にも負けず劣らずの高身長。いつも堂々とした振る舞いをした彼女は、どうやら演劇部だったらしい

なんか、しっくりくるな・・・


「そうだ。仮眠用のソファが部室にある。撮影中は白咲君をそこでやすませてはどうかな?彼女も横になったほうがいいだろうからね」

「いいのか?」

「もちろん。私は先に戻り、部長に話をしておこう、君は白咲君とゆっくりおいで」

「助かるよ」

「・・・ありがとう、岸上さん」

「僕は当然のことをしたまでで、お礼を言われるようなことは何もしていないさ。また落ち着いたら話そう」


そう優しく告げてくれた後、岸上さんは駆け足で部室がある方向へと戻る

そして悠真は・・・


「羽依里、おんぶしようか」

「・・・大丈夫?」

「これぐらいは。演劇部の部室までもう少しだし、短時間程度なら右腕も文句は言わないだろう。ただ、落ちないようにしがみついてくれ・・・とだけ」

「わかった」


その後、悠真からおんぶをされた私は、彼の背中の上で演劇部までの道のりを進んでいった


「・・・こんなに大きくなったんだね」

「ん?」

「なんでもない。悠真、無理しないよう、気をつけてね」

「ああ。もちろんだ」


一回り大きい背中へしっかり抱きついて、落ちないように身体を固定し続ける

悠真の耳が赤くなっていることは、気がついていたけれど

あえて、黙っていた

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