水無月の章:夏の訪れと思い出の写真
5月20日①:これぐらい、させてくれると嬉しいわ
朝六時
「ん・・・」
身体を起こそうとすると、いつもとは違う重みを感じる
具合が悪いとか、そういうものじゃない
「すう・・・」
「ああ、羽依里か・・・」
いつの間にか。普段と違う体勢で寝苦しかったのかわからない
けれど繋いでいたはずの両手は解け、今は羽依里が俺を抱きまくらにして眠っていた
もちろん、シロマも一緒
左手はシロマ。右手は俺の手を握り・・・穏やかに寝息を立てている
思えば、昨日が特殊なだけで・・・普段の羽依里はお世辞でも寝相が良いとは言えない
「昔に比べたら、可愛い方か」
小さい頃、互いの家に行き来して・・・互いの家で眠る機会は少なくなかった
しかし・・・いつ、どこで寝ても、俺は羽依里から蹴られて、布団から追い出されていた
まあ、そんな思い出も・・・俺にとっては大事な思い出の一つだ
「追い出されなくなったと思ったら、今度は抱きまくら」
長く伸びた金の糸を指で掬いつつ、彼女をゆっくり移動させた
今度は枕の上で、眠る彼女の頬を一瞬だけ撫でた後・・・俺は一階へと向かう
母さんに頼み事をした後、もう一度ここに来よう
その頃にはきっと、彼女も目覚めているだろうから
・・
一階に降りて、いつも通りリビングに向かうと、そこには円佳さん
「おはよう、悠真君。早いのね」
「おはようございます、円佳さん」
「・・・昔からだけど、真弘君同様、寝癖酷いのね」
「まあ、そうですね。ところで円佳さんはなぜ台所に?お客様なのに」
「一宿一飯の恩義よ・・・いきなり転がり込んで、何もしないで過ごすのは流石にね。だからご飯ぐらいは用意させてもらっているわ。お母さんのご飯がいいだろうけど、今日は我慢して頂戴」
「いえ。円佳さんのご飯、昔から美味しいですし・・・それに、羽依里が喜ぶと思いますよ。お母さんのご飯が久しぶりに食べられるんですから」
子供としてはやはり母親が作ってくれるご飯が一番好きだ
うちの母さんはよく焦がすけど・・・そういうところを含めて、全部が好き
俺の嫌いなものはチョコレートだけ。普段の食生活には何ら影響がないのもあるだろう
毎日きちんと食べ終え、安心と嬉しさを滲ませた顔をする母さんを見るのも・・・嫌いじゃない
円佳さんが用意してくれるご飯は、完璧の二文字がついてくる
しかし俺は知っている。円佳さんは料理が凄く苦手
料理どころじゃないな。家事全般が苦手だ
バリバリの仕事人間である彼女は、羽依里が産まれてから料理を始めたそうだ
料理雑誌を片手に四苦八苦・・・という姿は羽依里には見せず、いつでも彼女の前では「何でもできるお母さん」を演じていた
指先に巻いた絆創膏を格好いいと思う反面、あの円佳さんにも苦手なところがあるんだなと思わされたのは懐かしい話だ
「・・・そうよね。思えば入院してからずっと手料理をあの子に食べさせていないわ」
円佳さんは突如、自分の頬を両手で叩く
「急にどうしたんですか」
「今夜の飛行機で向こうに戻るから、今日だけでも気合を入れて用意しなきゃって思ってね。気合を入れたところよ」
「そうですか」
「ええ。ありがとう、大事なことを思い出させてくれて」
「どういたしまして」
「それと一緒に聞きたいことを思い出したんだけども」
「なんでしょう」
「昨日、羽依里が部屋にいなかったのよね。どこにいるか、知っているかしら?」
「俺の部屋です」
きちんと正直に答えておく
下手に誤魔化して、後先面倒なことになるのは避けたい話だから
「・・・まあ、昔から羽依里は悠真君が一緒だと安心して眠れているみたいだから。難しい年頃なのに、あの子へ気を遣ってくれてありがとうね」
「お気になさらず」
だって、それだけではないのだから
一緒に眠るのは羽依里の為だけじゃない
俺の為でもあるのだから
「しかし、悠真君。その・・・羽依里は」
「どうしました?」
「あの子、寝相凄いでしょう?大丈夫?今日は蹴り入れられていない?」
「そんなことはありませんよ」
「そう・・・よかった。けれど、もしもまた蹴られたら、そろそろ怒っていいからね?貴方、羽依里から蹴られようが全然怒らなかったし、風邪を引いても文句一つ言わなかったでしょう?」
「そう、ですかね・・・」
思い返すと、寝相に関しては喧嘩に発展するどころか文句一つ言った記憶がない
まあ、俺としては「そんなこと」程度なんだよな
別に蹴られてもいい。布団を奪われてもいい
文句を言って羽依里とつまらない喧嘩をして、一緒にいられなくなるよりはマシだから
「そうよ。親としては喧嘩の一つ二つしてほしいぐらいよ」
「んー・・・あんまり、喧嘩とかしたくないんですが」
「闘争心皆無なのは相変わらずねぇ・・・そういう争いごとを好まない穏やかな性分も、あの子が傍にいて安心する要素の一つなのかしら」
「だといいのですが」
争いごとは苦手。喧嘩だけじゃない。競争とか・・・そういうのはあまり好きじゃない
必要と思うことがない限り・・・何もしたくはない
そういう部分がいいところと評価されると同時に
そういう部分が、弱点なんだろうと思う
「悠真、交代」
「ああ。今行く」
寝癖を整えられた父さんに声をかけられて、俺は店の方へ向かう
ああ、そうだ。母さんに頼み事をしないといけなかったんだ
朝の忙しい時間だけど、髪を切って欲しいと
・・
朝六時半
五十里美容院に、朝からハサミの音が小さく響く
「どういう心境の変化?あんなに嫌がっていたじゃない」
「まあ、寝癖を整える時間をカットする意味もあるけど、一番はもう前髪で、何も隠さないようにしようかな、と」
「うん。いいと思う。悠真も色々変わりたい年頃なのね」
「そういうものかね・・・」
「それと、これ。切っても大丈夫だと思う?」
「平気よ。むしろなんでそこだけ色が違うのか分からなかったし・・・色が違うのも違和感しかないわ。切っちゃって、白銀一色にしちゃいましょう」
「ああ」
唯一存在した、茶色い髪
それから、整える前まで長く伸びて目を覆い隠していた前髪
今まで残していた、残すべきではないものを母さんに切り落としてもらう
「しかし、なんで白銀なのかしらね。うちの血縁者には、こんな髪色の人いなかったわよ」
「だよなぁ・・・」
「まさか羽依里ちゃんに合わせて変化を・・・?」
「まさか。そんな訳ないだろ」
前髪が目に入らないよう、目を閉じたまま話を続ける
確かに血縁者に白銀の髪を持つ人はいなかった。誰に似たんだろうな、本当に
「はい、悠真。前髪は整えたわよ」
「ん・・・寝癖、整えなくても目が見える」
「普通にしていたら格好いいんだから。母親から見ても整っていると思うわよ」
「茶化すなよ・・・」
「あら。モテることぐらい知っているわよ。中学時代は変なものも混ざったチョコレートだって頂いていたじゃない」
「思い出させないでくれ・・・あれだけは藤乃と「嫌な思い出」として処理してるんだから」
「そう。それは申し訳ないわ。後、これだけど」
「長いのは残しておいて欲しい」
「なんで?邪魔でしょう?」
「長くしすぎて、なんかないと落ち着かない」
「あぁ・・・それは重大ね。わかったわ。後は軽く整えて・・・これでどう?」
鏡の前には、普段寝癖を整え終わった後の俺
しかしその髪の量はかなり減っており、もっさり感が消えている印象があった
「朝からありがとう母さん」
「気にしないで。これぐらい、させてくれると嬉しいわ」
後片付けを始めた母さんに、学校に行く準備をするよう促されてリビングへと戻った
朝から変化を得た一日は、ここから始まっていく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます