5月19日⑦:だから、悠真はやりたいようになりなさい
「・・・」
「・・・悠真」
「ただいま、智春。円佳さんはありがとうございました」
「いいのよ。そうだ、羽依里。貴方が借りている部屋で、お話しましょう?美味しいお菓子、買ってきているから」
「え、でも・・・」
「一緒にいたいのはわかるけれど、これは親子の話し合いだから。ついていかせないわよ」
「うん・・・」
玄関先まで迎えに来てくれた母さんと円佳さん
円佳さんは羽依里と共にそそくさと奥へ行ってしまったので、玄関先に残されたのは俺たち三人だけ
「・・・」
「・・・」
俺と母さんは気まずそうに顔を見合わせる
道中、話したいことをきちんと考えた
まずは言いすぎてしまった事を謝る
それから、円佳さんを始め大人たちから色々な事情を聞いたことを伝えて・・・それから
「智春?」
思考を巡らせている間、ふと父さんの声が聞こえた
父さんが、母さんのことを名前で呼んでいることは知っている
しかし、それは俺と朝の前では出さないことも
「・・・かあさん?」
「ごめんね、悠真。お母さん、言い過ぎちゃった」
耳元で母さんの声が聞こえた
聞き慣れた優しい声。小さい頃から変わらないそれは母さんが発する声で一番落ち着く声だと、思っている
優しく諭すように。しかしそのか細い声は、彼女の強さと弱さを内包した不思議な声
細くて途切れそうな声は彼女の精神と似た部分があるのかもしれない
・・・それでいて俺にまできちんと届く強さがあるのは、不思議な話だ
「・・・だい、じょうぶ。事情は聞いてきたから。俺も、言い過ぎたところがあるし、ごめん」
「謝る必要なんてないわ。全部私が悪いから」
「そんなことない」
「産みたくて産んだんじゃないとか言ったのに」
「十八の時にだろ・・・親の年齢に興味なんてなかったから、こんなに若かったなんて知らなかった」
「今の悠真と同じ時期に妊娠してさ、悠真と一緒に高校三年生をしたって聞いて、どう思った?」
玄関先でこんな込み入った話をするな・・・とは言い難い空気
父さんはリビングに誘導しようと話に入るタイミングを伺っていたが、もう止まれない
ここで終わらせよう
面倒事は、家の中に持ち込みたくない
「年頃の男子高校生に生々しい質問をしないでくれ・・・。でもまあ、大変だったことぐらいはわかる。留年せずに卒業して、ジジイの癇癪にまで付き合ったんだ。母さんは強すぎる」
「・・・引かない?」
「引いてるよ。ジジイの命令に。これは父さんにも言った」
「そっか」
少し、安堵したような声を吐く
抱きしめられているから、顔が見えない
だからこそかもしれない
視線を合わせ、面と向かって言えないことだってある
けれど、肩越しならなんとなく・・・言える気がするから
「母さん」
「なあに、悠真」
「母さんは、俺を恨んだことはある?」
「・・・それは」
「正直に答えないと、このまま高校卒業まで小倉家に転がり込む」
「酷い脅し」
「これぐらいしないと本音は話してくれないと思うから」
「そうね・・・恨んだことはある。どうして私がって・・・」
「・・・まあ、そうだよな。十八歳、色々とやりたい時期に赤ん坊がついてくるんだ。制限が色々あっただろうし」
「うん。けれどね、全部どうでも良くなった」
「自暴自棄になったわけではないよな?」
「そんなことしたら、私は今ここにいない」
体を離し、母さんはやっと俺の顔を見てくれる
眼の前の母さんは、酷い顔をしていた
表情の変化がない無表情。いつも飄々とした空気を感じさせていたそれは、今は崩れ果てていた
「悠真。私は・・・命令された結果だとしても、とっても幸せだった」
「苦労はさせただろ」
「その苦労も、全部まとめて」
「・・・凄いな」
「いつかわかるわよ。どんなに些細なことでも、嬉しくなれたんだから」
ボロボロに泣いた母さんは、小さな頃の俺たちに浮かべていた笑みを浮かべたまま、俺の身体をもう一度引き寄せた
「ごめんね、悠真。弱いお母さんで」
「精神的なのは仕方がない話だろ・・・てか母さんは強すぎるんだって。今まで俺に家庭問題を悟られないように振る舞ってさ」
「そんな事ない。後ろで限界を超えて、その度にお父さんにも迷惑をかけて・・・」
「そう見せないことも、大変だと思うけど」
母さんの背中を何度か叩いて、終わってほしいことを無言で伝える
伝わってくれたのか、やっと母さんは俺から離れてくれた
・・・別に嫌な訳では無いが、恥ずかしいといえば恥ずかしいのだ
「そろそろさ、この話はおしまいにしよう。母さん」
「いいのかな、これで」
「いいんだよ。長引かせる話でもないから」
「そうね。終わったことだもの。いつまでもうだうだ言う前に、今を見据えないとね」
一回背伸び
そうすることで、母さんは目元こそ赤いが普段通りの母さんに戻ってくれた
これからも、母さんの負担は多くなるだろう
ジジイが何度も母さんを呼びつけては、俺たちや父さんのことで説教をする・・・なんてことはこれからもある話だ
・・・これ以上は、流石に母さんが
「悠真」
「ん?」
「何を考えているかわからないけれど、自分を犠牲にするやり方だけは絶対にやめなさい。どうやっても末路は私と同じことになる。悲しむ人が出てくる」
「・・・」
「私は大丈夫。後数年だろうし、最近は説教の威力も弱くなってきたのよ」
「でも、やっぱり怖いものは」
「母としては、あんなジジイの世迷言説教より、息子が我が身を犠牲にして私を守って、欲しい物を手に入れられないほうが怖いわ。だから、もう少しだけお母さんは防波堤を続ける。だから、悠真はやりたいようになりなさい。そうできるよう、お母さんもお父さんも頑張るから」
「・・・ありがとう、って言うべきなのかな」
「言うべきよ。それが正しい表現なのだから。どうしてもと言うなら、お礼はそうね。将来、温泉旅行でも奢って頂戴な」
飄々と、表情一つ変えずに、羽依里と円佳さんの部屋へと向かっていく
「もう終わったわー」
「かっる・・・さっきまで凄く不安そうにしていたのに、いつの間にかいつもの智春ね・・・」
「いつも通りじゃないと悠真が怖い怖い言うから・・・」
「言ってない言ってない」
全てが解決したわけではない
これからも、下手を打てばまた母さんの精神はアンバランスになって、今日みたいなことが起こるだろう
それでも母さんは、前に立つことを選んでくれた
俺がやりたいように、できるように
「・・・」
俺がやりたいこと
それは一体何なのか、具体的にはわからない
「悠真」
「羽依里、おまたせ」
心配そうに顔を覗かせた羽依里は、ゆっくりと俺の方へ歩いて、いつも通り隣に立ってくれる
その距離感に安心感を覚えたのは、言うまでもない話
「無事に終わって安心した。けれど、表情が重いよ。何かあったの?」
「んー・・・俺がやりたいことってなんだろうなって」
「難しい質問だ」
「ああ。後で、話を聞いてもらえるか?一人で考えたら、収集が付かなくなりそうだから」
「もちろん」
親の後をついて、俺たちもリビングへ向かおうとする
しかし、俺は肝心なことを忘れていた
そう。そもそも・・・彼女がここに来た理由は
「ところで悠真君」
「ひゃ・・・ひゃい・・・」
「お家のこと、落ち着いたわよね?じゃあ次は私とお話しましょうか。具体的には将来に関わるお話。いいわよね!?」
「はい!」
「あ、忘れてた」
「・・・円佳さん、この為に帰国したのか」
「お母さん・・・わざわざこの為に帰国したの・・・!?」
嫌な空気を吹き飛ばしてくれた円佳さんに、俺は引きずられてリビングに連行される
あの日は、ヤケだった
けれど今は?
リビングに到着する短い時間で、思考を巡らせる
その答えだけはもう、決まっていた
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