5月19日⑥:ちょっと心に残っているのかも

真弘君が、小倉家を出たと連絡を入れてくれた

私はそろそろと思い、智春がいる寝室の扉を開ける

そこには、子供が書いたと思われる大きくて形になっていない文字が書かれた手紙を読む智春が立っていた


昨日に比べたら、色々と落ち着いている彼女は私が部屋に入ったことすら気がついていない様子

ただ夢中に、子供たちの贈り物を大事に胸へ抱いていた


「座ればいいのに」

「落ち着かなくて」


気持ちはわかる

私だって、あの電話で多少は改善されたけれど・・・羽依里と話すのが気まずいなと考えていた時期はある

電話はかけられたけれど、やはり最初は怖かった

話始めも、娘に話すだけなのに・・・とても緊張したもの


「何を見ていたの?」

「悠真と朝がくれたプレゼント。なんでもない日でも、色々としてくれてたなって」


彼女の足元には大きなダンボールが二つ置かれている

それぞれ「悠真から」「朝から」と書かれている

もちろん、そこから見えている箱の中身はぎゅうぎゅう。新しい箱の用意を考えるほどに


「色々あるのね」

「うん」

「智春のお気に入りは?」

「一番は決められない」

「そうね。ごめんなさい。私もそんな質問をされて、答えられる自信なんてないわ」

「円佳も、羽依里ちゃんから色々貰ったの?」

「ええ。でも、今は難しくなっちゃったみたいだから。智春に比べたら、量が少ないけどね」

「量は比較するものじゃないよ。全部同じぐらい大事で、思いが込められているものなんだから」

「そうね」


手紙の中には「お母さんいつもありがとう。俺はお母さんのことめちゃくちゃちょうちょう大好きだぞ!」と大きな文字で書かれていた

しかも似顔絵付きだ。俺という一人称からして悠真君が書いたものだろう


「悠真は、いつも手紙に似顔絵を添えてくれるの。あの子は昔から絵が得意だから」

「へぇ。今は?」

「今は照れくさいのか全然。けどね・・・」


円佳はスマホの画面を私に見せてくれる

そこには、ノートによだれを垂らしている悠真の居眠り姿

そしてそのノートの上には、土岐山の風景と羽依里が描かれていた


「構図とか考える影響かわからないけど、今も絵は描いてるみたい」

「・・・そっくりね」

「うん。この後起きた悠真にこれはなにか聞いたんだけど・・・」

「聞くのね・・・」

「いつか、撮りたい風景だって言っていたわ」

「そっか」


オリバーがかつて傷つけた男の子は、今は少しずつ前を向いてくれている

もう一度、人物写真が撮れる日も遠くないだろう


「そうだ。朝ちゃんは?朝ちゃんはどうなの?」

「朝は「自分には美的センスがないから」って書いてくれなかったなぁ・・・」

「低学年か、幼稚園か。それぐらいの時期に、お母さんお父さんの似顔絵を描きましょうっていう時間、なかったかしら」

「最近はないのよ?悠真の時期はあったけど、今の御時世、色々なご家庭があるから。いつの間にか消えていたわ」

「へぇ。じゃあ朝ちゃんには」


描いてもらっていないのね、という前に、智春はそれを私に差し出してくれた

絵の具とクレヨンで描かれた、子供らしいタッチの女性と女の子

立っている女性の手にはハサミと櫛。美容師の智春だろう

手前に座る女の子は朝ちゃんかしら


「コンクール提出用のだけど、一回だけ描いてくれた。宝物」

「タイトルは?」

「私の格好いいお母さん。仕事中の私が好きなんだって」

「そう言われるの、なんかいいわね」

「どうして?」

「だって、私は仕事をしているところ、見せられないから」

「ああ・・・そうだよね。そう思うと、仕事をしている背中を見せられるって、貴重なのかも」

「そうよ。今のうちに見せつけておきなさい。あっという間に還暦よ」

「円佳がいうと重いなぁ・・・」

「でしょう?先輩社会人の言う事は聞いておきなさい。損はさせないから」

「うん」


傍に寄り添って、帰りを待ちわびる

不思議な境遇の女の子と出会って、そこからお隣同士の付き合いをして、子供たちも含めて交流をして、十七年

なんだかんだで長い時間が経過していたらしい

それもそうか。もう、子供たちも成人に近くなった訳だし


「ねえ、円佳」

「なに、智春」

「正直なところ、聞いていい?」

「何を聞くのかわからないけれど、いいわよ」

「・・・私と出会わなければ、面倒事に巻き込まれなかっただろうなって考えたことあったりする、よね?」

「正直なところあるわよ。けれど、私は後悔なんてしていないわ」


何もかも同じとはいい難いけれど、それでも私達は同じ日に母親になった

私の両親は既に亡くなっている。頼れる両親というのは・・・イギリスにいるオリバーの両親だけなのだ

二人は遠方にいる上に、日本語が話せない。日本に呼び出すことも、頼ることも出来ない

そんな私が頼ることが出来る「他人」というのは、智春ただ一人だけだったのだ


今回だってそう。心臓に病を患った娘へ、最初で最後の「普通の高校生活」を送らせるために、彼女に無理難題を依頼した

リスクや苦労の多い話だ。お隣さんだからと言って引き受けたくない

断られるのも承知で依頼すると、彼女はすぐに快諾してくれた。もちろん、真弘君に相談した上でだ


・・・優しい人達なのだ。ただただ、周囲の環境に恵まれなかった優しい人達

それは十七年間付き合っている最中に理解できていた

だからこそ私は・・・二人の為にできることをしたかった

お隣さんで、同じ苦労を理解し合える存在で

何よりも幸せになって欲しい、頼れる大人がいない年下の友達の為に


「だって、家も性格も面倒な女に振り回されてさ。今日だって予定が」

「それは貴方の息子に振り回された結果よ。智春は悪くないわ」


あの衝撃的な宣言を聞いたら、どうしても駆けつけたくなる話

けれど、今日でよかったのかもしれない

予定は大幅に狂っているけれど

私は、あの日智春と出会った時に考えたことを

彼女の大事な友人として、彼女自身が前に進む手助けを・・・やっとできるのだから


「親子共々ごめんね?」

「気にしないで。それにねぇ・・・私としては複雑な反面、嬉しかったりするのよ」

「まあ、分かるかも。うちの息子をこんなに好きになってくれる素敵な女の子が現れたぞ!って。まあ、今回の場合は最初から隣にいたんだけど」

「それは言えているわね」


私も智春と同じ

彼の冷静さを欠いた際の言動は物申したい時があるけれど・・・

普段はしっかりしていると、羽依里や定期的に検査結果を教えてくれる主治医の先生が言っていた


「私達がいない時、彼がずっと支えてくれているって羽依里から連絡をもらっているわ。いつもありがとう」


彼女を抱きしめて、改めてお礼を告げた

智春や真弘君、そして悠真君と朝ちゃんは、私達家族を色々と手助けしてくれている

そのお礼を、きちんと伝えたかった


「いえいえ。こちらこそ勉強嫌いな悠真の成績が上がったのは羽依里ちゃんのおかげです。ありがとうございます」

「え・・・羽依里からずっと一位だって」

「羽依里ちゃんの隣にいても問題ない男になりたいんだと。円佳に言う話でもないと思うんだけど、無理してる時もある」

「・・・そこまでするのは」

「小学生の時にね「なんでお前みたいなやつが羽依里ちゃんと一緒にいるんだ」って、裏で結構言われていたみたいだから・・・ちょっと心に残っているのかも」

「あぁ・・・」


確かに昔の悠真君は少し人見知り気味だった。朝ちゃんほどではないけれど、よく智春の後ろに隠れていたっけ

人気者の羽依里と、人見知りで人付き合いが少なかった悠真君

その関係性をとやかく言われたり、からかわれたりする

学校でも一緒に遊びたいのに、悠真が避ける。学校から帰ったら一緒に遊んでくれるけれど、それだけじゃ嫌なのに・・・と、かつての羽依里が愚痴をこぼしていたことがあった


「羽依里ちゃんには言わないでね。心配かけるだろうから」

「うん・・・けれど、無理はしないよう、伝えてもらえるかしら。私としても、そんな無理をしなくたっていいと思うから」

「ありがとう。伝えておくね」


話が一段落した瞬間、遠くから玄関が開く音がした

真弘君と悠真君、そして羽依里が帰ってきたのだろう


「・・・」

「大丈夫よ、智春。きちんと出迎えに行きましょう」


不安そうに顔を俯かせた彼女の手を引いて、私は歩き出した

私達の「大事」が待つ、玄関へ

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