4月29日:俺の母親は、どこへ行ったんだ・・・?

風情を感じる日本屋敷

日当たりの良い畳張りの部屋が、俺の自室


その部屋は、普通の子供部屋というわけではなくて・・・少し、古めかしい部屋

机も、よくある学習机ではなくて文机

座布団の上で正座して、今日もまた大量に出た課題を目標分だけ消化していく

今日は少し捗る。目標より多めにこなしておこう

しばらくシャープペンを走らせ続け、日のあたり方が変わった頃


「んー・・・そろそろ休憩かな」

「なおちゃん、そろそろお昼ご飯にしない!?」

「いきなり開けるな母さん!それと、なおちゃんって呼ぶな!」

「いいじゃない、なおちゃん。ね、どうする?今日のご飯。何がいい?」

「・・・別に、母さんの作ってくれるものなら何でもいいよ。俺、母さんが作るご飯大好きだし」

「嬉しいこと言ってくれるね、なおちゃん。自慢の息子だよぉ!」


年頃の、息子を「尚介」ではなく「なおちゃん」と呼びつつ、抱きついてくるのは「笹宮尚美ささみやなおみ

行動も外見も、何もかもが若く見えるが・・・これでも俺の母さんだ


こうしてスキンシップは激しいが、母さんなりに俺を大事にしてくれているのは理解できている

俺もまた、母さんのことが大好きだ

スキンシップは・・・年頃としては控えてほしいのだが、まあ贅沢な悩みとして受け入れておこう


「あ、でも、いつも家のことで大変だよな。せっかくだし、俺が作るよ」

「え、いいの!?優しいなぁ、なおちゃん」

「いつも学校で忙しいし、これぐらいは」

「気持ちだけ受け取るね。なおちゃん、今年は受験生だし、部活も頑張っているでしょう?お休みの日ぐらいはゆっくりしてね」

「・・・ありがとう、母さん」

「いえいえ」


そう言えば、尚美・・・なんだよな

遠足の日、悠真のお父さんが言っていた事

人違いだと思っていた

けれど、落ち着いて考えたら・・・その尚子って人も、尚介って息子がいるんだよな

悠真の同い年。俺と同じ名前。そんな条件を満たす人間が近場に何人もいるわけがないと思う

いる可能性もあるけれど・・・


けれど、尚子という名前を聞くたびに俺の中で何かが引っかかる

心の中に、違和感ができるのだ

尚子という名前を聞くたびに、何か思い出してはいけないことを思い出してしまいそうな、背筋が凍る感覚を覚えるのだ


「なあ、母さん」

「なに、なおちゃん」

「母さんは、五十里写真館に行ったことある?」

「あるよ。中学生の時だけどね」

「この前、悠真のところに遊びに行った時にさ、店主さんに会ったんだけど・・・」

「真弘さん?元気にしてた?」


なんで、その名前が店主として出てくるんだ?

だって、母さんが中学生だったら・・・単純に考えて、悠真の両親も同じぐらいだろう?

だから店主は悠真のお爺さん、祖父である人物の名前が出てこないとおかしいのだ

なぜ母さんは嘘をつく?

なぜ母さんは隠し事をする?

わからない、わからない。なにもかも、わからない


「うん。真弘さん・・・元気にしていたよ」

「そっか。あの時は俊哉としやさんも元気でね」


そういえば、母さんは父さんのことをいつも名前で呼ぶ

どんな時も「あなた」とか「お父さん」とは言わずに「俊哉さん」と名前で呼ぶのだ

それが当然なのだろうと思って、何も考えてこなかった

けれど、今は

それすらも違和感の一つとして心に残る


「その時、俺もいた?」

「うん。なおちゃんはたしか・・・」


その返答で、母さんはおかしいことを俺に教えてしまったことを自覚したのだろう

口元を押さえて、俺を見たこともないような目線で見てくる


「・・・おかしいだろ、母さん」

「なおちゃん」

「母さんが中学生の時に俺がいた?それじゃあ、色々と辻褄が合わないだろ・・・」

「違うの、なおちゃん。いや、違わないんだけど、これには事情が」

「尚子さんって人が、関係あるのかよ」

「・・・なんで」

「何か知っているんだな!?」

「そ、それは・・・その」

「・・・言えないこと?」

「言えないと言うか、その」


歯切れが悪い

こんな風に、追求から逃げようとする母さんは初めて見た

いつも明快。悩み事なんてないように笑い続ける母さんがこうして顔を申し訳無さそうに歪ませる姿は、見たくなかった


「母さん」

「なに、なおちゃん」

「・・・母さんは、本当に俺の母さん、なんだよな?」


そうであって欲しい。そうであって貰わないと困る

たとえ父さんがロリコンとか、そういう扱いになっても、母さんが母さんでいないと・・・

俺はっーーーーーーーー!


「・・・違うの。私は、なおちゃんの、本当のお母さんじゃないの」

「・・・じゃあ、誰なんだよ」

「言えない」

「・・・尚子って人か?」

「・・・なんで」


真弘さんが言っていたことは間違いがなかった

真弘さんが知る「尚介」という少年は俺のこと・・・

そして俺と一緒に写真を撮った人物は、尚子さんという俺の、本当の母親だったのだ

父さんは父さんなのだろう

じゃあ、目の前にいる彼女は一体なんなんだ?

笹宮尚美という女性は、俺とどういう関係なんだ?


「なおちゃん、あのね」

「・・・あんたは、一体何なんだ」

「私は、ちょっと複雑なんだけど・・・」


頭の中で、声がする

なおちゃん、なおちゃんと呼ぶ声が

小さい俺の手を優しく握る茶髪の女性を、俺は見たことがないはずなのに、どこかで覚えている


写真は確か、四人で撮った

若かりし真弘さんの足元には、俺達の様子を伺う白銀の男の子・・・小さい頃の悠真がいた

その隣には、そんな悠真が動かないように手を握る金髪の女の子・・・多分、羽依里もいたんだ

俺たちは、互いに覚えていないだけで・・・小さい頃に出会っていたんだな


しかし、その後の光景は全部赤に染まっている

なんだろう。靄がかかって上手く思い出せない


記憶の中にある、不思議な形をした影

見てはいけない。思い出してはいけない

頭の中の警鐘を無視した先に映った光景は


「・・・」

「なおちゃん」

「ごめん、吐きそう」

「なおちゃん!?」


頭の中に映ったのは、全身が歪み、血に沈んだ女性

見たことがない。映画でもそういうのでも見たことがない光景

なんなんだよあの光景は・・・!

トイレに駆け込み、嘔吐をした後・・・追ってきた「母さんと思っていた人」の横を無言で通り過ぎて、洗面所へ向かう


口を軽くゆすいで、そのまま自室に戻る

襖一つ。鍵もかけられない部屋に戻って、唯一と言っていい落ち着ける場所

押し入れに滑り込んだ俺は、暗闇の中で静かに考える


「俺の母親は、どこへ行ったんだ・・・?」


鍵をかけられた記憶の蓋は開き、俺は思い出すべき人物の影を追う

笹に被った雪解けの日は、もう遠くない

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