新月散歩

磯風

新月散歩

 夜の散歩が好きだ。

 だが、都会や繁華街は明るすぎる。

 住宅街でも、最近はコンビニが煌々と存在を主張している。

 家の窓から漏れる灯りも、いつまでも消えないところが多い。


 田舎の道も街灯が増え、真っ暗なところなど殆どない。

 たまに灯りのない場所があっても、そこは道ではなくて歩くことができない。

 歩けなければ散歩にならない。

 この国の夜は、明るい。


 だが、私が引っ越してきたこの町は夜が暗い。

 素敵だ。

 新月の日なんて、月明かりもなくてとても良い。


 私は今夜も、闇を歩く。

 月もなく、できることなら星明かりも消してしまいたいところだが、そこ迄は望めまい。

 何人かとすれ違う。

 夜中の散歩が好きな人の多い町なのだろうか?

 だが……不思議なことに、みんなサングラスをしている。

 夜なのに、真っ黒な。

 あれではまったく、何も見えないだろうに。


 何度目かの新月の夜、毎回すれ違う、暗い夜に更に黒いサングラスをかけた人々。

 その中のひとりが、私に声をかけてきた。

「あんた、よくそのままで見えるもんじゃな?」

 いや、あなたの方が見えないのでは?

 真っ黒なサングラスは、新月の夜にかけるものではないでしょう。


 私の言葉にその人……よく見えないが、多分老齢の男性は一歩、後ろに下がる。

「……しまった……勘違いしてしもうた」

 勘違い?

「ああ……あんたは『光で見る人々』だな」

 光で見る?

「ふん、やっぱりか。あんた等は、すっかり忘れているんだな。光で見る人々は儂等のことは……見ようとしないものなぁ」


 すぅっと、その人は闇に溶けるように見えなくなった。

 声だけがあちこちから聞こえてきた。


「やだわ、紛れ込んでいたなんて」

「いや、今ここを歩けていると言うことは、元々は俺達と同じなんじゃないのか?」

「だけど、こいつは『闇で見ている』訳じゃない」


 闇で見る?


 光として目に飛び込んでくる形や色。

 光がなければ色はなく、形はぼやけて有るか無いかも解らない。

 今ここを歩いている彼等は、光でなくて闇で見ている?

 光と同じように、闇にも粒子があって波がある?


「ほらね。全然理解していないよ」

「やっぱり、光で見る奴等は闇の存在を考えない。だから無遠慮に、闇に光を持ち込むんだ」

「なんて図々しいんだ! 光の中だけで満足せずに、私達の世界を侵略しているくせに、ここでも!」


 ざわり、と背筋に悪寒が走る。

 怖ろしかった。

 ただ、その暗がりが、なにより怖ろしく感じた。

 あれほど煌々とした夜は嫌いだったのに、月明かりさえ要らないと思っていたのに!


 私は走った。

 足元は見えず、目指すべき明かりも見えない道を、纏わり付いてくる何かを振り払うかのように。

 そして、角を曲がった先で……一本の街灯が見えた。

 そこ迄ひたすらに走って、その光の中へと飛び込んだ。


 辺りには、なんの気配もなかった。



 夜が明けるまで、私は街灯の下にいた。

 すべてが光の中に入り、色と形が目に映る。

 逃げてきた道を、もう一度見た。

 角を曲がって、光の中の田舎道を。


 ただの道だ。

 誰もいない。

 暗闇の中で感じたあれは、ただの幻と空耳……きっと、自分の中の恐怖が作り出したものだったのだと、もう一度街灯の方へと歩き始めた時に……

 誰もいなかったはずの後ろ側から、肩を掴まれた。

 動けない私に、声が聞こえてきた。


「邪魔をしないでくれ。儂等は……闇で見る人々は、最後の散歩を楽しんでいるんだ。もうすぐ……光が溢れてしまうから、ここを離れるまでそっとしておいてくれ」


 肩から手が放され、走り出したいのに足がガクガク震えて動けなかった。

 朝日が私の全身を包み、陽に当たる皮膚の温度が上がっていく。

 なんとか家に辿り着いて、私は……玄関でへたり込んでしまった。


 それから私は、夜に外に出られなくなった。

 闇を歩くことにも、闇を照らすことにも、恐ろしさを感じるようになった。

 夕方も足早に帰宅して、暗くなる前に家に戻り、家のすべての窓と扉にはいくつも鍵をつけ、決して真っ暗にはせずに眠るようになった。


 しばらくして、私が逃げ惑ったあの道の辺りが新しく住宅街として整備されることになり、家が建ち、街灯がたてられ、コンビニができた。

 夜でも少ないながら車も通るから、闇は殆どなくなった。

 あの『声』は、の開発のことを知っていたのだろう。

 だけど……どう考えても、彼等は幽霊とか妖怪なんてものではない。


 闇で見る人々……というのが、本当はずっと昔から存在していて、私達が夜を昼のように照らし始めるまでは時間帯を分け合って同じ場所で生きていたのかもしれない。

 あの声は『忘れている』と言っていた。

 闇の中の人々を光で見る人々は見ないようにしていたから、見えないものだから……記憶からも消していったのだろうか。

 我々にとって、見えないものは無いのと変わらない。

 そういう自分勝手な理論で、彼等の『見える場所』を奪っていったのだろうか。


 光に溢れる私達の世界。

 それは彼等には、何も見えない世界なのかもしれない。

 私達が、闇を見えないように。


 TVでは海外の争いの様子が、今日も流されている。

 侵略戦争だとコメンテーターがセンセーショナルに語り、爆発が起き、町が焼ける映像が時折見える。

 彼等にとっての、彩りの世界を奪った私達。

 こんな風に、自分達の生きる世界を攻撃されたと彼等は思ったのだろうか。

 我々は彼等にとって『侵略者』で、彼等の生きる時間帯を奪ったことに気付いてもいないということなのか。


 暗闇の中の深夜の散歩は、今もどこかで行われているのだろうか。



 ……だが、彼等はどこへ行ったんだろう?

 いくら住宅街になった区画があるとはいえ、まだ真っ暗な道もあるのに……


 光に包まれる、とは……どういう意味なんだろう?


 一瞬、頭をぎった考えを荒唐無稽なことだと否定する。

 今日も早く帰ってこよう。


 明るい内に。

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新月散歩 磯風 @nekonana51

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