Ep.116 禍福は糾える縄の如し

 プルンバゴ邸の放火事件は、立ち昇る煙に断続的な銃声もあったことから地元の消防局が迅速に駆けつけ、予想外の雷雨の助けも借りつつ、周辺の森林火災に発展する前に鎮火活動が間に合った。俺と心美、オリヴィアの3人は邸館を脱出する際に多かれ少なかれ火傷を負うことになったものの、大事には至らなかった。


 俺が隠し部屋から持ち出した生前のウィリアムによる疎明書類と証拠の数々は、プルンバゴ邸の焼け跡から発見された数多くの銃殺死体と併せて、ヨーテボリの公爵家前当主であるアドルフ・コーネルを一連の未解決事件における真犯人として手配するには十分だった。その結果、オリヴィアを茉莉花心美本人だと錯覚して協力関係を結んでいた警察当局の捜査網から逃れる術もなく、程なくして逮捕されたアドルフは極刑に処されるだろうというのが世論の大勢だ。


「復讐を成し遂げられなかったこと、後悔してるかしら。」


「いいえ。父も母も、杉本も、私が大切に想っていた人は皆が理性的な解決を望み、私が笑顔で暮らしていけるようにと願ってくれた。それなら、私は皆の願いを尊重し、未来を見据えて生きていくだけよ。」


「吹っ切れたんだな。ご両親も杉本さんも、きっと今のオリヴィアを見たら喜ぶだろうさ。」


「ちょっと、勝手に私を亡き者のように扱わないで頂いても?」


 その時、不満そうに文句を言いながら横目でこちらを睨む重傷人と目が合った。


「悪いな杉本さん。でも本当に、生きててくれて良かったよ。」


「間一髪、金属扉に隔たれた隠し部屋に身を隠して火の手から逃れることができました。感動的な今生の別れも、私が死に損なったことでとんだ尻切れ蜻蛉になってしまいましたね。」


「そんなこと言わないで頂戴。瀕死の状態で病院に運ばれてきた貴方の手術が無事に終わった後、オリヴィアってば人が変わったみたいに夜通し泣き続けてたのよ。」


「貴方の方こそ余計なこと言わないで! プルンバゴ家現当主としての威厳が損なわれるでしょうが!」


「あのー、病院ではお静かに願います……。」


 杉本の病室を訪れた看護師に注意され、すごすごと身を縮ませるオリヴィアを中心に笑い合った俺たちの間に、誘拐犯とその被害者という当初の構図は影も形もなくなっていた。



 §



 後日、首都・ストックホルムに位置するアーランダ国際空港より東京行きの便を待っていた俺と心美は、渡航費を全額負担してもらうことで和解したオリヴィアと、松葉杖に身体を預けながら歩く杉本に見送られ、出国の準備を始めていた。


「本当に良いんですか。私から持ち掛けたにもかかわらず、依頼達成の報酬は不要などと。」


「これから半焼したプルンバゴ邸の修繕費だったり、家の再興だったりで何かと金も入用だろ。外国の貴族に恩を売っておけば、困った時に何か役立つかもしれないからな。」


「あくまで打算的にという訳ですか。ふふっ、貴方たちらしい。」


「お好きに解釈してもらって結構よ。ただ、もう二度とこんな厄介事に無理やり巻き込まれるなんて御免だからね。」


 冗談を交えながら、来たる別れを少しだけ名残惜しむように見つめ合った後、飛行機の搭乗時間の終了が間近に迫っていることを告げるファイナルコールが空港全体に反響する。


「ヤバい。時間だ。急がないと。」


「それじゃあ、そろそろ行くわね。」


 踵を返し、早足でボーディングゲートを目指し歩き始めると、背後から人目を憚らず大声で呼び止めるオリヴィアの声が耳に届いた。


「待って!」


 彼女にとっても予想よりかなり大きな声が出てしまったようで、特徴的な外見により通行人の衆目を集めると、貴族家の暗殺、逮捕に始まり、スウェーデン史上最大の未解決事件が日本の探偵・茉莉花心美の手によって収束したという報道の効果もあってか、尋常ならざるどよめきが起こった。


「私、やっぱりいつか貴方を越えることのできるような名探偵を目指すわ!」


「はあ……?」


「そして、私を地獄から救ってくれた貴方に、必ず恩を返すわ! 借りっぱなしは性に合わないの!」


 そしてオリヴィアは、空港の照明を反射して鈍く光る謎の物体をこちらに向けて投げ渡した。


「おっと。ん、これ……。」


「我が父の遺した唯一の形見だとでも言えば億は下らない代物だけど、売り払ってはダメよ。いつか必ず返してもらいに参上するわ。」


 それは、今は亡き名探偵・ウィリアムの遺品であるライターだった。おそらく、オリヴィアも彼女なりに復讐の連鎖を止めた心美へ恩義を感じ、再会を誓うという意味で何よりも大事な家族の形見を寄越したのだろう。


「心美の背中を追いかけるための発信機ってとこか。相変わらず粘着質な貴族様なことだ。」


「ふふっ、そうね。」


 満更でもなさそうに爽やかな笑顔を見せた心美と、彼女の背中が見えなくなるまで手を振り続けたもうひとりの心美。だが今の俺には、ふたりの顔貌はそれぞれ似て非なる大輪の花のように映った。

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