Ep.108 哀しき復讐鬼
2019年、貴族探偵として名を馳せたウィリアムの没後、彼と入れ替わるようにして日本で探偵事務所を立ち上げ、信頼ある相棒と共に数多の難事件を解決に導いてきた当時16歳の少女・茉莉花心美の存在が世界中に知れ渡ったのも同時期である。杉本の口から知らされたその数奇な運命が、今回の誘拐事件と何らかの繋がりを持っているということは、直感的に理解できた。
「大切な両親と突然の別れを強いられたオリヴィア様もまた、貴方たちと同い年。事件当時はうら若き高校生として平和な学生生活を送る、ごく普通の少女でした。」
脳裏に焼き付いた記憶を懐かしむように、杉本は淡々と続ける。
「オリヴィア様は大好きな母君と、そんな母君が愛する父君の探偵としての雄姿に憧れを抱いていました。その様はまるで、かつて医者を目指して父の背中を追いかけていた私を見ているようで……。」
「けれど、ウィリアムさんは何者かの手によって奥さんと一緒に殺されてしまった。」
「ただ独り、この広いプルンバゴ邸に残されたオリヴィア様は絶望の淵に叩き落とされました。それもそのはず。ウィリアム氏が最期に託した遺言は私しか耳にしておらず、お嬢様の立場からすれば、両親を殺した憎き犯人はもうこの世にはおらず、その小さな身体に抱えた計り知れない怒りも哀しみも、発散できないままだったのですから。」
杉本の話によれば、先代夫婦が殺された事件は、実行犯がその場で凶器のナイフを自らの心臓に突き立てて自害したということで決着を迎え、あっさりと処理されてしまったのだという。しかし、怨恨を動機とする殺人にもかかわらず、事件とは無関係の公爵夫人までが犠牲になったこと、犯人がいとも容易くプルンバゴ邸の警備を掻い潜ったことなど、
「両親を失い、いきなり公爵家の当主として君臨したオリヴィア様のもとには、新当主への挨拶という名目で親戚連中や他の貴族が連日押し寄せてきました。その実、貴族社会に疎いお嬢様を懐柔してやろうという魂胆が見え透いていたので、私が必死になって追い払う毎日でした……。そうして日毎に
「『真犯人は別に居る……』ってやつか。」
「当時のオリヴィア様は学校に通う気力も失われ、私を含む使用人との会話すら拒み、酷い時には自室で独り自殺を試みているところを止めに入ったことすらあります。私は、どんな形であれお嬢様に生きる希望を失ってほしくなかった。それだけなんです……。」
杉本から父の最期を知らされたオリヴィアは、元より探偵を志していたことも手伝って、両親を襲った未解決事件について独自調査を始めた。ところが、かつての父とは違い、名探偵としての才に恵まれていなかった彼女は、事件をどれだけ調べても有力な新証拠ひとつ掴むことはできず、途方に暮れる毎日だったという。
「所詮は噂に過ぎず、手掛かりはウィリアム氏の遺言のみだというのに、オリヴィア様が単独で真犯人を探そうとするには限界があることなど、火を見るよりも明らかでした。そんな時です。お嬢様が日本を震源地に世界中を騒がせている名探偵の出現を知ったのは。」
「それが、私をスウェーデンに連れ去った動機と関係するのね……。」
「何としてでも真犯人を自らの手で見つけ出したい。そう願ったオリヴィア様は、自らを茉莉花心美として生まれ変わらせる計画を立てました。父親譲りの白髪だけをそのままに、何度目かの整形手術により、自らの容姿をほぼ完全に茉莉花様へと近づけたお嬢様は、私を日本へと送り込んで貴方たちの探偵事務所へ盗聴・盗撮器を設置させ、そこから得た情報を基に世界中のメディアへ『我こそが茉莉花心美である』とのメッセージを発信しました。」
結果として、オリヴィアの長年にわたる計画は功を奏した。杉本によればオリヴィアは現在、スウェーデンを偶然訪れた茉莉花心美を名乗り、現地警察の協力を得ながら例の未解決事件の調査に乗り出しているらしい。
「茉莉花様をスウェーデンまでお連れした目的は、オリヴィア様が貴方の名前を騙っている間の行動を制限するため、過去の未解決事件をそれとなく探らせて地元警察の信用を勝ち取るため、プルンバゴ家当主としてお嬢様の不在を外部に悟られないためなど、多岐にわたります。」
「強硬手段に走ったのは、オリヴィアの探偵への憧れと、両親の命を奪った真犯人を自らの手で捕らえることへの執着心ってことね。」
「そうだったと思います。少なくとも、最初は。」
意味深長に呟く杉本は、床に視線を落として絞り出すように言葉を紡ぐ。
「今のオリヴィア様を突き動かしている原動力は、犯人への憎悪と復讐心です。」
「どういうことだ……?」
「そのままの意味です。オリヴィア様にとって、もはや茉莉花様の探偵としての名声になど興味はなく、一刻も早く黒幕を捜し当て、復讐を果たそうとしている。それがお嬢様の真なる動機です……。」
オリヴィアの誘拐の動機は、未解決事件の真犯人への復讐──遂に明かされたその真実に、俺も心美も、開いた口が塞がらなかった。
「復讐って、親の
「その通り。そのためにオリヴィア様は、自らの手を汚そうとしています。私は修羅の道へ堕ちようとするお嬢様を止めてあげたかった。かつてウィリアム氏が私にしてくれたように、法の裁きによる救済はこの世にあるのだと、正義はまだ死んでいないのだと教えたかった……。」
「だから列車では、俺たちを殺そうとしたってのか。」
「貴方たちを逃がしたところで、この土地の人間は皆がプルンバゴの血統に従っています。オリヴィア様の意思が変わらぬ限り、必ず茉莉花様を邸館へ連れ戻そうとする以上、貴方たちを殺してお嬢様に復讐を諦めるよう誘導するしかありませんでしたので……。」
少しだけ申し訳なさそうに俯く杉本には、憐みや呆れ、怒りに同情といった様々な感情が複雑に渦巻いている。だが、そんな杉本のような人間にすら救いの手を差し伸べるのが、長年の相棒にして俺の愛するたったひとりの名探偵・茉莉花心美なのだ。
「今からでも遅くないわ。」
「えっ……?」
「私がウィリアムさんの意思を継ぎましょう。彼だって大切な愛娘を残酷な殺人犯にしたくはないでしょうし、私ならオリヴィアよりも先に真犯人へ辿り着き、彼女の復讐を止められるかもしれない。」
心美の突飛な提案は、言うまでもなく杉本の動揺を誘った。彼女にとって、その提案に乗ることは即ち、恩義あるプルンバゴ家の末裔・オリヴィアの命に背くことになるからだ。
「で、できません。私はウィリアム氏に救われたあの日から、この地に住まうどのスウェーデン人よりも、プルンバゴ家へ忠義を尽くすことを固く誓った人間です。それが例え復讐であろうと、殺人であろうと、私にオリヴィア様を止めることなど──」
「だったら、貴方の大切なウィリアムさんの言葉を思い出しなさい!」
心美の放った喝は、きっと杉本の脳裏に眠る在りし日の美しい記憶を呼び覚ましただろう。
──No matter what the circumstances, criminals must be judged equally. As a detective, I want to give you a second chance at life.
(どんな事情があれ、犯罪者は等しく裁かれなくてはならない。私は一介の探偵に過ぎないが、君に人生をやり直す機会を与えたいんだ。)
「両親の死に囚われて暴走するオリヴィアを止めて、彼女に正しい人生をやり直させる機会を与えられるのは私たち以外に居ないでしょうね。それでもまだ、私たちをここに閉じ込めて、ウィリアムさんの一人娘が孤独に地獄へ堕ちていく様を見届けるつもりかしら!?」
その決定的な一言が、杉本の氷のように冷え切った心を再び解かしてみせた。
「お願いします……。オリヴィア様を、お嬢様を助けてあげてください!」
号泣しながら膝から崩れ落ちる杉本と晴れて和解することができた俺と心美は、2019年以来、スウェーデン史上最大と称される究極の難事件へと挑むこととなる。茉莉花の名を騙るオリヴィアよりも先んじて真犯人に辿り着き、彼女の復讐を止めることができるのか、俺たちは今までにない緊張感を味わいながら、急ぎ事件の調査に着手するのだった。
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