奇妙な同盟
Ep.109 4年越しの未解決事件
これまでの数日間、何としてでも誘拐犯の魔の手から逃れようと必死に藻掻いていたにもかかわらず、プルンバゴ家令嬢の真意を知り、復讐心に燃えるオリヴィアの暴走を止めるべく今度は彼女を追う立場になろうとは、思いも寄らなかった。
皮肉の効いた運命の悪戯に立ち向かわんと、俺と心美は、名探偵を騙る偽物を巡って奇しくも利害の一致した杉本と共に、オリヴィアの父に当たる先代当主・ウィリアムとその妻が犠牲となった未解決事件の真相に挑むため決意を固めた。
「杉本さん、教えて。オリヴィアは今どこに居るの?」
「そうだ。急いで彼女を説得して復讐を思い止まらせないと、取り返しのつかないことになる!」
その場で泣き崩れる杉本の細い身体を抱え起こした心美は、今頃両親を
「残念ながら、私にオリヴィア様の居場所は分かりません。分かるのは、お嬢様が茉莉花探偵の権威を利用して真犯人の存在を声高に主張したことで、警察当局へ例の未解決事件について再捜査をするよう焚き付けたことだけです……。」
「でも、貴方は実際にオリヴィアと連絡を取り合っていたじゃない。だからこそ、私の言葉を彼女に伝えることができていたんじゃ──」
「仰る通り、私は茉莉花様とオリヴィア様の橋渡し役を担っていましたが、お嬢様自身の行動について逐一報告を受けていた訳ではありません。」
「それじゃあ、今からでもオリヴィアに連絡して、彼女の居所を聞き出せないか……?」
俺の提案に、杉本は渋い顔で難色を示した。
「それは、難しいでしょうね……。今までオリヴィア様の行動を詮索してこなかった私が今更になって問い質そうとすれば、きっと怪しまれてしまいます。お嬢様に探偵としての才は芽生えなかったと言いましたが、それはあくまで先代・ウィリアム氏や茉莉花様と比べればの話。決して一筋縄でどうにかなる方ではありません。」
「そうか……。」
オリヴィアは若かりし頃から日本人の杉本と面識があり、事件発生前は貴族家の箱入り娘ながら外国の文化に興味を抱く普通の女の子として、よく杉本から母国での思い出話を聞き、日本語を学んでおり、ものの数年で日本人顔負けの語学力を習得したらしい。地頭の良さは幼少期から傍でオリヴィアを見守ってきた杉本も認めるところで、頭脳戦で簡単に上手を取れる相手でもなさそうだ。
「それに、オリヴィア様が茉莉花心美の名を利用した一番の目的は、両親を死に追い遣った事件がまだ終わっていないことを世に知らしめ、警察当局に捜査協力を求めることでした。つまり──」
「つまり、その目的が達成された今や、犯人逮捕はオリヴィアの執念次第であって、
「率直なところ、今頃は躍起になって両親の仇を捜し求めているであろうオリヴィア様に私から連絡したところで、もう返事すらあるかどうか……。」
オリヴィアが心美の姿を真似ていたのは、解決済みとして処理された事件を再び蒸し返し、真犯人が別に居ることを訴えるための説得力を欲してのことだ。望みが叶い、復讐心に囚われるがままに動く哀しき獣となったオリヴィアにこちら側から接触を図るのは、もはや容易ではないだろう。
「まあいいわ。だったら、この私が天才探偵の名に懸けて、正々堂々とオリヴィアよりも先に事件の真相に辿り着くまでよ。」
「ああ、そうだな。そしたら世間もどっちが本物の茉莉花心美かって、思い知ることになるだろうぜ。」
「水を差すようで恐縮ですが、果たしてそのようなことが可能でしょうか……。事件発生以来、4年間にもわたって国内最大の未解決事件と称されてきたのには、それ相応の理由があるのです。」
依然として不安そうな顔つきのまま、涙を拭って腫れた瞼を隠すように目を伏せる杉本は、先代夫婦が無惨にも殺害された事件当時の様子を事細やかに説明し始めた。
「事件後、私はその場に居合わせた唯一の人間として、警察の事情聴取を受けました。無論、ウィリアム氏の遺言についても言及しましたが、犯行現場の一部始終は全てプルンバゴ邸の監視カメラに捉えられていたことに加え、殺人犯の動機も明確で、第三者の関与が疑われるような証拠は何ひとつ見つからなかったことから、私の証言は揉み消されてしまいました。」
「それは、お気の毒ね……。」
杉本にとっては酷な話だが、捜査当局の立場からしてみれば、現場で自死した殺人犯の身元は明らかで動機も十分、証拠は出揃っているとなればそれ以上の情報など必要ないと考えるのは、不自然な発想ではなかろう。
「凶器となった刃物には、夥しい量の血液と指紋が付着していました。そして、それらは全て犯人と、執拗な攻撃によって命を落としたウィリアム氏のものでした。ウィリアム氏は最期まで襲い来る犯人に抵抗していたことが、カメラの映像から分かっています。」
「そう……。」
「当然、犯人に繋がる証拠となり得るものは、とっくの昔に警察が回収していってしまったので、お見せすることは叶いません。現場に残されていたものはそれだけです。ただひとつを除いて。」
「他にまだ何かあるのか……!?」
4年前、既に解決済みとして処理されてしまった事件に関連する物証など、残されているはずもない。含みのある言い方をする杉本に対し、俺は驚きと期待が半々といった心境で聞き返す。すると、目の前の彼女は黒い革手袋を嵌めた右手をそっと差し出し、不満げな目線を寄越した。
「そろそろ返して頂けませんか。あれから煙草も吸えなくて困り果てていたんです。」
「え、ああ……。」
杉本が何の話をしているのか、理解するのに少しだけ時間を要した俺は慌ててポケットを
「ご覧ください。この紋章に見覚えは?」
「この絵柄は……!」
杉本の手に渡ったのは、列車で彼女と敵対した際に奪ったままだった金属製のライターだ。今まで気にも留めなかったが、ライターのボディに刻まれた模様を見せつけるように掲げる彼女に言われるがまま注視すると、そこにはオリヴィアのデスク近くに落ちていたシーリングスタンプの底面に彫られていた、プルンバゴ家の家紋と思しき特徴的な花の絵柄があしらわれていた。
「お察しの通り、これはプルンバゴ家が代々受け継いでいる、爵位継承者のみが使用することを許された由緒ある家紋です。」
「これが、事件現場に……?」
「今際の際、ウィリアム氏は遺言と同時に私の両手へこのライターを握らせました。それが何を意味するのか、私如きには到底理解が及びませんでしたが、警察に明かしてしまえば、きっとこのライターも証拠品として押収されてしまう。それが受け入れられなかった私は、このライターをウィリアム氏の形見だと思い、これまで肌身離さず持ち歩いてきました。ですが──」
そう言うと、杉本は漸く取り戻したライターを再び俺の手に握らせ、どこか吹っ切れたように呟いた。
「貴方たちなら、この事件を解き明かしてくれるかもしれない。ウィリアム氏が私に託したこのライターは、何かの手掛かりになるかもしれません。」
「良いのかよ。恩人の形見なんだろ……?」
「丁度私も、そろそろ禁煙を始めるべきかと思っていたんです。いつまでも大切な家族の死に縋って、立ち止まっている訳にはいきませんから……。」
両手に握り拳を拵え、声を震わせながらも言ってのけた杉本の目からは、もう涙は零れなかった。
「それに、本当に良いのかと問いたいのはこちらの方です。岩倉様。」
「どういうことだ?」
「どういうことも何も、私は茉莉花様と同時に、貴方を殺そうとした張本人ですよ。今まで打ち明けてきたことは全て作り話で、実は裏でオリヴィア様と結託し、貴方たちを都合良く利用するための算段を立てているだけかもしれない。いつまた寝首を掻かれるか知れたものではない。そうはお考えになりませんか。」
杉本は至って真剣な表情で続けた。
「私はオリヴィア様の意向に従い、自らの身勝手な目的のために貴方たちを日本から誘拐した、紛うことなき犯罪者です。それでも、私のことが信用できますか。」
「何が言いたい……。」
「貴方たちには、この場で私を殺し、ここで見聞きしたことを全て忘れ、プルンバゴ邸を脱し大人しく日本に帰国するという選択肢もある、ということです……。」
杉本は、俺がオリヴィアのデスクの引き出しから手に入れた小型の銃に視線を移す。だが、俺はその銃を心美に預け、彼女は弾倉が空であることを確認してから、銃のグリップ部分を杉本に向けて手渡した。
「生憎だけれど、私たちは復讐なんてものに興味はないわ。それに、これから未解決事件に立ち向かおうって時に、唯一の情報源を殺す訳ないでしょうが。」
「そうだぞ。ただ、言っておくが俺たちも慈善事業者じゃない。今回の件は、事件解決の依頼料に誘拐の迷惑料も上乗せして、報酬はたんまり弾んでもらう。精々オリヴィアのことより、自分の懐事情の心配でもしておくんだな。」
杉本柴麗という女に思うところは山ほどあるが、彼女もまた大切な家族代わりの恩人の死と、その一人娘の復讐心の板挟みとなっていた哀れな被害者と言えるのかもしれない。後のことなど想像もできないが、今はとにかく目先の事件に取り組むことが先決であり、他のことに頭を悩ませている余裕などないのだ。
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