Ep.90 反省と報酬

 事件解決の翌朝──すっかり熱も下がり、完全に体調が元通りとなって元気一杯の堅慎が見ている前で、私は探偵事務所のホームページに掲載していたオンライン上での探偵依頼を募集するための電話番号を粛々と削除していた。


「折角堅慎が提案してくれたのに、本当に良いの?」


「身体の調子も万全になったし、仕事はやっぱり対面じゃないとな。今回の事件みたいに、不測の事態にも対応できないようじゃ探偵は務まらないだろ。」


「それもそうね。情報化社会の発展も一長一短、オンライン上でやれることにも向き不向きってものがあることが分かっただけで、今回は良しとしましょう。早いところ次の仕事を探さないとね。」


 ──ピンポーン。


 堅慎と他愛ない話をしていると、不意に事務所のインターフォンが鳴るので、病み上がりの彼に代わって私が玄関へと足を運ぶ。


「はーい。」


「速達で荷物が届いております。」


「玄関前に置いといて頂けますか。」


「承知しました。それでは。」


 十中八九、私は堅慎から感染症の元となる病原菌を移されているはずだ。何も知らない配達員の健康を害さないためにも、私は直接荷物を受け取ることなく、配送トラックが走り去って行く音を確認してから玄関を開けて小包を拾い上げ、リビングに戻る。


「何か通販で注文したのか?」


「いいえ。多分安藤さんに貸し出していた機材が返却されたんだと思う。」


 乱雑に紙製の小包を開封すると、私の予想通り、中には尾行調査に使用した小型カメラやヘッドセットが入っていた。


「あら……?」


 中身が空になったことを確認するため小包を逆さにすると、見慣れない1枚の紙切れが落ちてくる。


「よいしょっと。」


 ひらひらとリビングのカーペットに舞い落ちた紙を堅慎が拾い上げると、そこには依頼人・安藤本人の手書きと思しき文章がしたためられていた。


「岩倉探偵事務所様へ。この度は私のとんだ勘違いによってお騒がせして、誠に申し訳ありませんでした──」


 堅苦しい文面には、不倫の事実がなかったことで安藤夫婦は見事復縁するに至ったことが回りくどく綴られていた。しかも、事前に口頭で取り交わしていた成功報酬に係る契約を遵守して、昌は所定の口座に報酬を振り込んでくれたとのことだ。オーストラリアでの事件以来、気付けば半年近く探偵として収入の無かった私たちにとって、当面の活動費を確保できたことは正直言って大助かりだ。


「だって。願ってもないことだわ。」


「本当だな。最初で最後のリモート探偵も、何だかんだ言って成功だったのかもしれないな。」


 律儀にも約束を守ってくれた安藤夫妻の幸せを願いつつ、感謝を込めて手紙を折り畳む。すると、何やら裏面にも同様に手紙のような文章が書かれていることに気が付く。


「こっちは佐倉さんからだ……。」


 初回相談は無料との触れ込みで依頼を募っていたため、佐倉から電話が架かってきた時には私たちの連絡先も報酬の振込先も伝えなかった。しかし、当の佐倉は自身の言葉足らずが招いた誤解によって事を大きくした責任を感じているようで、その場に偶然居合わせた安藤夫妻と共に気持ちばかりの報酬を口座に振り込んでくれたらしい。そして喜ばしいことに、叔母である有名シェフ・飯島幸子の店に見事採用され、今夏から働くアルバイト先も無事決まったとの報告が綴られている。


「それは……。本当なら受け取る訳にはいかないんだけど……。」


「まぁ、良いんじゃないか。きっと佐倉さんも高級料理店で働くんだから、アルバイトとはいえ俺たちなんかよりも余程実入りが良いはずだ。それに、彼女の個人情報も知らない以上は、返金する方法も分からないしな。」


「それもそうね。ありがたく頂戴しておきましょうか。」


 情けは人の為ならずと言うように、今まで自分自身が納得できない中途半端な仕事に対価を受け取らないようにしてきた私たちだが、依頼人が満足できる結果を提示できたのだとしたら、偶にはそれに見合った報酬があっても良いだろう。それに、正直なところ、私たちも善人ぶって報酬を辞退できるほど、現在の事務所の財政事情は芳しくない。今回は大人しく、心優しい依頼人たちの好意に甘えることにしよう。


 そんなことを考えていると、突如として私の頭には、まるで大口を開けてアイスクリームを頬張った時のように突発的な頭痛が走った。


「あれ、おかしいな。起きたばっかりなのに、とっても眠い……。」


 朝目覚めてから1時間と経っていないにもかかわらず、猛烈な眠気と共に私の脳内はふわふわとした浮遊感に苛まれ、眩暈によって平衡感覚が失われる。無意識のうちに全身から力が抜けてゆき、体重を支えられなくなった足から崩れ落ちるように倒れてしまう。


「心美!?」


 私の異常にいち早く気が付いてくれた堅慎が、咄嗟に私を抱き留めてくれるので、角張ったテーブルとの衝突は免れた。しかし、微睡みの中に取り残された意識は徐々に薄れていく一方で、最終的に私はそのまま彼の腕の中で眠りに落ちてしまったのだった。



 §ide Change.

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