情報化社会の弊害

Ep.87 バラバラ猟奇事件の妙

 カーテンの隙間から差し込む夕陽が照らす事務所のリビングにて、足元から鳥が立つように鳴り響いたベルの音──その呼出に応じて受話器を取った堅慎から取り次いだ電話の主により発せられた物恐ろしい言葉の数々に、私は混乱を禁じ得ない。


「血塗れ!? 包丁!? 一体どういうことなんですか……!?」


「わ、私にも訳が分からないんです! 猛烈な鉄臭さが鼻を衝いて、異臭の源を辿っていったら赤黒い血の海があって、あちこちに肉片が散らばってて──」


 恐怖に支配されて過呼吸気味となっている女性の悲痛な叫び声から伝わるのは、おどろおどろしい猟奇事件の気配だった。──それにしても、また殺人事件が起きたとでもいうのか。一体いつから日本は頻繁に重大事件が発生する治安の悪い無法国家になってしまったのかと、私は深い溜息を押し殺しながら、慌てず騒がず冷静に返答する。


「とにかく、まずは落ち着いてください。何やら尋常ならざる状況に置かれているものかと存じますが、犯人がまだ付近に潜伏しているかもしれません。まずは静かに危険を回避できる場所まで避難して、ご自身の安全確保を最優先に。」


「っ、分かりました!」


 私の助言に従って現場を脱出しようとしているのか、電話越しには鉄扉てっぴが開閉するような甲高い金属音の次に、女性の乱れた息遣いと激しい足音が伝播でんぱする。当然と言えばその通りだが、どうやら事件現場は屋内だったらしい。女性が走って移動している間、ソファに座ってこちらの様子を心配そうに見守っていた堅慎と目を見合わせた私は、何が起きているのか皆目見当が付かないと肩を竦めた。



 §



「とにかく、直ちに警察へと通報するべきでは……?」


 暫くして、何処ぞに消えたかも分からない犯罪者から身を隠すべく喧騒のちまたへと飛び込み、雑踏の中を歩きながら漸く呼吸を整えた女性に対して、私は至極真っ当に、一般常識に照らして最も合理的だと考えらえる対応を提案する。しかし、何故か電話口の女性の反応はかんばしくない。


「それが、警察はちょっと……。だからこそ、手当たり次第に相談できそうな電話番号を検索して、最初にヒットしたこちらにお電話をさせて頂いた次第で……。」


「はぁ……。」


 きな臭い話ではあるものの、元より私たちがオンライン上での電話相談を受け付け始めたのも、特別な事情によって既存のライフラインを頼ることが難しい人が一定数存在するであろうことを想定しての事である。その上、先の総理大臣暗殺未遂事件により一般国民の間で警察組織の信用が失墜していることも鑑みれば、おいそれと国家機関に助けを求めたところで早急な解決は期待できないという考えを持った市民が居ることも理解できる。それに、折角のクライアント候補に対して、必要以上に私情を詮索しようとするのは藪蛇やぶへびになりかねない。


「なるほど、承知致しました。しかし、当方は初回相談無料となっておりますが、事件解決に向けて何らかの技術的介入が必要となる場合は、別途料金が発生致します。それでも警察ではなく、我が探偵事務所に依頼をご希望ですか。」


「お金に糸目は付けませんから、とにかく助けてください……。」


 わらにも縋るように哀願あいがんする女性だが、私としては特に断る理由もないので、安藤から受託している現在進行中の依頼とダブルブッキングとなってしまうことを覚悟の上、快く承諾することにした。そこで、固定電話のスピーカー機能をオンにして、近くで様子を窺っている堅慎にも聞こえるように会話を進める。


「勿論です。我々探偵には職務上の守秘義務がありますので、私を信頼して事情聴取に応じて頂きたいのです。」


「はい……。」


「死体を発見した当時の状況を詳しく教えてくださいますか?」


 これまでの数分間で電話相手の女性から聞き及んだ断片的な情報から察するに、事件現場の状況は凄惨を極めていたらしい。私が事の仔細しさいについて説明を求めると、女性の息遣いはあからさまに荒くなっていくので、余程の恐怖に怯えているものと思われる。


「ゆっくりで構いませんから。まずはお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 徒に緊張感を煽ったところで、人混みの中で彼女が下手に目立って結果的に警察の厄介になってしまうかもしれない。それは彼女にとっても、私たちにとっても決して望ましいことではない。まずは雑談がてら彼女の名前を聞くことでアイスブレイクを図るべきだろう。


「すみません。私は、佐倉さくら実千瑠みちると申します……。」


 適当な場所で立ち止まったのか、ぱたりと足音が止んだところで名乗った佐倉は、何処か幼さの残る声色から受けた第一印象そのままに、齢18歳のうら若き少女だという。今年度になってめでたく都内の有名大学へと入学したばかりの彼女は、夕闇に包まれた黄昏時の学校帰り、殊勝にもアルバイトの面接を受けるため職場へと赴く最中だったとのこと。しかし、何故か予定通りの時間にもかかわらず関係者が不在だったらしく、不審に思って屋内へと足を踏み入れた。──そして異臭と血痕に導かれるまま、不幸にも事件現場との遭遇に至ったという訳だ。


「それは、災難でしたね……。」


「うぅ……。」


 新大学生の佐倉にとって、壮絶な受験戦争を潜り抜け、充実のキャンパスライフに心躍らせていた矢先の出来事だ。その辛労は察するに余りあろう。


「辛いことを思い出させるようで申し訳ありませんが、兎にも角にも、まずは死体の第1発見者として知っていることを事細やかに教えて頂きたいのです。」


 すると佐倉は、どういう訳か何かを言いたそうにしているものの、それを言葉にできない歯痒さを表すようにもごもごと口籠る。数秒後、受話器を介して絞り出すように彼女の口から発せられた内容は、思わず自分の耳を疑うものであった。


「死体は、ありませんでした……。」


「え……!?」


「とても生臭くて、辺り一面には肉片やら内臓やらが飛び散っていて、傍らには大きな包丁が……。」


「つまり、犯人は証拠隠滅を図るために死体をバラバラに切り刻んだ挙句、それを何処ぞに持ち去ったと!?」


 私の示した結論が遠からず的を射ていることは、佐倉の啜り泣く声が証明していた。


「正確には、死体を処理している途中だったと思うんです。黒いゴミ袋が幾つも乱雑に放置されていて、中身は分からなかったけど恐らくは……。骨は細かく砕かれていたのか、それらしい白い破片も散乱してました……。」


 想像を絶する佐倉の証言に、私はもとより、隣で会話に耳を澄ませていた堅慎も開いた口が塞がらない様子だった。


「心美、これは流石に探偵事務所うちにはどうしようもないだろ……。」


「そうね……。」


「それに、佐倉さんの話が正しければ、今なら殺人現場に犯人へと繋がる証拠が残されてる。そして犯人は、必ず証拠隠滅のために現場に戻って来るはずだ。通報するなら、今しかない。」


 佐倉によって暴露された凶悪犯の蛮行は、物理的に手の届かない場所に居る私たちの手には負えない。にわかには信じ難い世紀の猟奇事件が現実に差し迫っているのだとしたら、その犯人が野放しになっている現状は、日本に住まう全ての国民にとっての危機であり、一刻を争う憂慮すべき事態である。


「佐倉さん、やはりここは私共の出る幕ではないかと。もし貴方の方から電話するのが憚られるということであれば、事件現場の住所を教えて頂いた上で私が代わりに通報することもできますが──」


「決してそういうことではなくて……。お願いです、何も聞かずに助けてください。」


 頑なに警察の介入を拒む佐倉に一抹の違和感を覚えるも、彼女にその気がないのであれば私がどれだけ捜査機関への通報を推奨しても意味がない。ここは彼女に対して第三者の力を頼るように説得を続けるよりも、大人しく依頼を受け入れて犯人逮捕に向けて知恵を絞る方が賢明だろう。そんなことを考えながら私は、苦虫を嚙み潰したような顔で当惑している堅慎と共に、この怪事件へと立ち向かうことを決意した。

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