Ep.82 リモート探偵

「探偵事業にもイノベーションをもたらそうか。」


 およそ1年振りに再び財政難へと陥っている探偵事務所の健全経営に向けて、仕事は可及的速やかに再開したいところではある。だが、肝心の助手兼相棒である堅慎の体調が優れないうちはそれも困難かと思っていたところ、当の彼自身から予期せぬ提案があった。


「イノベーションですって……?」


「あぁ。医療業界も情報通信技術を活用して遠隔診療ができる世の中になっただろ。俺もそこから着想を得たんだ。」


 掠れる声を整えようと咳払いをしてから、堅慎は自らのアイデアを述べる。


「俺たちもあんな感じで、顧客の依頼をオンラインで受注するサービスを展開してみないか。行方不明の人探しとか犬猫の捜索みたいな所在調査は無理でも、浮気にストーカーといった素行調査に組織・個人の信用調査とかは、わざわざ対面で仕事を請け負わなくても出来るものもある。」


「それは、いくら何でも……。何か具体例は?」


「例えば、正月三箇日に日光であった殺人事件があったろ。」


 確かに数か月前、温泉旅行中に遭遇した事件にて私たちは殺人現場を直接見に行くことができなかったため、旅館の従業員に協力を要請してビデオ通話することで間接的に調査することができ、真相究明に繋がった。堅慎が言うには、あの時と似たように探偵依頼をオンライン上で完結させることによって、一刻も早く仕事を再開させると同時に、今後の販路拡大をも目指すという一石二鳥の妙案だという。


「クライアントの中には、何か特別な事情を抱えている人もいるだろ。少しでも早く調査報告が欲しい、いくら探偵といえども個人的な内情を打ち明けるのが憚られる、どうしても自らの手で物事に決着を付けないと気が済まない──などなど、千差万別にな。つまり、その手の客層に狙いを定めて、メリットを感じさせるようなサービスを新設するんだ。」


「確かに面白いアイデアだし、オンライン上でなら今すぐ仕事も再開できて、日中は紫外線で活動しにくい私にとっても好都合だけれど、そんなに上手くいくかしら……。」


 堅慎の考えを纏めると、従来は私たち探偵が依頼人から直接請け負った仕事を完遂して報告するというのが一連の流れだったところを大幅に転換して、問題を抱える顧客の依頼をオンライン上で幇助ほうじょして問題解決に導くということらしい。


「実験的な方策だけど、PCさえあればすぐにでも始められる。初期費用も要らないから報酬設定は控えめにして、初回相談料は無料とでも言って宣伝すれば茉莉花の名に頼らなくても客は付くと思うんだけど、どうかな……?」


「なるほど。まぁ、試す価値はありそうね。」


 色々と粗削りではあるものの、39度を超える高熱に喘ぎながらも事務所の置かれた状況を考えて彼なりに考えてくれたことだ。それを無下にすることなど、できる訳がない。私はベッドシーツに埋もれたノートパソコンを拾い上げ、再びその電源を入れた。



 §



 病床に臥せって身動きが取れない堅慎に、今朝方私が淹れたばかりでまだ温かいジャスミン茶を手渡して、ベッドに潜りながら作業に没頭する。私がいまいち満足できないと感じていた茶を、彼は普段よりも格別に美味しいと言ってくれた。それが堪らなく嬉しくて、破顔するのを止められない。


「な、なぁ心美。お医者さんの話は聞いてたろ……?」


「えぇ。」


「俺は感染症なんだ。一緒に居たら確実に移る。寝室からは出た方が良い……。」


 あくまで私を気遣って遠ざけようとする堅慎の忠告を無視して、私は逆に近くへと擦り寄って甘えるように彼の肩に寄り掛かる。


「多分もう手遅れよ。私が熱を出したその時は、よろしくね。」


 呆れたように溜息を吐く彼の温かみを肌に感じながら、膝の上に置かれたノートパソコンの画面と睨めっこだ。暫く依頼の連絡もなかったことで、危うくその存在を忘れかけていた探偵事務所のホームページを開いて、簡素な文字列の中に新たなる宣伝文句を付け加える。


>非対面型探偵依頼も格安受付中! 初回相談料無料──まずはお電話でご相談を!


「こんな感じかしら。」


「ん、いいんじゃないか。」


 日頃から事務方の作業を担っている堅慎のお墨付きをも得ることができた。一体このホームページが幾人の目に留まっているのかは想像が及びもつかないが、振り返ってみれば菊水家の猫捜しやアイーシャの犯行予告状事件の際も、この連絡先を通じてアプローチがあった。後は糸を水面に垂らして獲物が掛かるまで精神を研ぎ澄ませる釣師のように、虎視眈々と依頼が舞い込んでくるのを期待しながら座して待つのみだ。


 その時、朝食も食べずに色々と落ち着かない午前中を過ごしていたので、ふと口寂しい感覚に襲われてPCの画面右下の時計に目線を移すと、時刻はそろそろ正午を迎えようとしていた。


「もうこんな時間なのね。堅慎は、お腹減った?」


「まぁ、それなりには。」


「今から作ると遅くなっちゃうから、出前でも頼もうかしら。喉の痛みはどう?」


「咳き込みさえしなければ。だから、今は大丈夫だ。」


 食欲は十分で、かつ喉の調子も良いとあれば、粥のような流動食でなくとも大丈夫か。ある程度バランス良く栄養が摂れる料理を注文するべく、今度はフードデリバリー・サービスのウェブサイトを開いた。



 §



 それから1時間弱──堅慎と一緒に注文した料理が届く頃には、午前中の診察にて医師から処方された解熱鎮痛薬が入った小包が早くもポストに投函されていた。行儀悪くもベッドの上で昼食を済ませてから、同封されていた用法・用量が記載された添付文書に従って薬を飲ませると、程なくして彼の苦痛に歪んだ表情は幾分和らいだ。


「おぉ、身体の節々と喉の痛みが噓みたいだ。」


「また氷嚢を作ってきてあげるから、ゆっくりお休みなさい。」


 空になった容器などのゴミを片付けるついでにキッチンへ向かい、氷嚢に角を取った氷を詰める。何はともあれ、堅慎が少し元気を取り戻したみたいで良かった。いくら一過性の症状とはいえ、1週間も患難に苛まれる彼の哀れな姿は見るに堪えない。


 寝室に戻る途中の廊下に面している洗面所の明かりがついていたので、立ち止まって照明のスイッチを切ろうとすると、ベッドから身を起こして自力で歯を磨いている堅慎の姿があった。


「堅慎、ダメじゃない。ちゃんと寝てなきゃ。」


「悪い、動けるうちに身綺麗にしておこうと思ってな。」


 歯ブラシを咥えながら器用に喋る堅慎は、含嗽がんそうと洗顔を済ませて気持ち良さそうにタオルで水気を拭う。そんな彼をベッドに連れ戻して、再び熱を測るために体温計を手渡して横たわらせる。


「もう、そんなに私とのね。」


「は、何言って──」


 とぼけ顔をした堅慎の荒い吐息が感じられる距離まで近づいて、私は欲張りな彼の唇に優しく接吻する。清涼感のあるスペアミントのほろ苦くも仄かに甘い香りが鼻腔を擽って通り抜け、実に気分が良い。


 ──ピピピッ……。


 計測終了の電子音が鳴り響くのを合図に、私は彼の手から体温計を取り上げた。そこに表示されていたのは"39.4"という無機質な数字の羅列だった。


「熱、上がってるわよ……。やっぱり無理しちゃダメだからね。」


「どう考えても、心美のせいだよ……。」


 理不尽な文句を言う堅慎の額に伝わる汗によって張り付いた前髪を丁寧に除けて、そっと冷たい氷嚢を置く。顔を真っ赤に染めて目を逸らす彼の肩まで布団を掛けて、私はしたり顔で部屋を後にした。

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