Ch.6 内閣総理大臣暗殺事件

Ep.66 運命的な巡り逢わせ

 紆余曲折を経て無事に事務所兼自宅の一軒家に帰って来ることが出来た俺たちは、今まで以上に深い絆で結ばれた。寝ても覚めても、すぐ傍に愛おしい彼女の笑顔があるというだけで俺の日常はこの上なく満ち足りている。それに加えて、探偵事務所の財政問題はここ半年間で大きく改善され、今年から発効しているスパイ防止法の影響によって日本の治安は一層向上して生活の安全も守られるようになった。──これ以上、何も求めるものはない。


「あ、心美ちゃんズルい! それ私が取ろうと思ってたのに!」


「ふふん……! 早い者勝ちなんだから、恨みっこなしよ!」


 そんなことを考えている間、郊外の長閑な土地にひっそりと佇む平穏な事務所の中で、心美と共にビデオゲームに興じながら一際大きな声を出して騒ぎ立てているのは、以前に猫捜しの依頼を持ち掛けてきた元衆議院議員・菊水次郎の娘で、心美の友人・菊水陽菜だ。


 彼女は今年度を以て大学を卒業し、周辺に新しく支社ビルが建設予定だという世界的にも知名度の高い有名な警備会社に就職が決まったため、俺たちの事務所近辺に単身引っ越して来たらしい。まさかあの天真爛漫で幼気な印象を与える陽菜が俺たちよりも年上だったとは思いも寄らなかったが、こうして律儀に新年の挨拶も兼ねて、引っ越しの報告に出向いてくれる辺りは立派な大人である。


「あ、堅慎! お茶のおかわりをお願いできるかしら……?」


「はいよー……。」


 友人との真剣勝負に夢中な心美のため、仕方なくキッチンに向かって水道から給湯機に水を汲んで電源を入れる。折角だからと、陽菜が持って来てくれた菓子折りを添えて茶器を盆に乗せていると、その様子を近くの冷蔵庫に寄り掛かって腕組みしながら見つめている人影に気付いて飛び上がる。


「よ、ケンシン! すっかり尻に敷かれてるみたいだね。幸せそうで何よりだよ。」


「あ、アイーシャさん!? いつからそこに──」


 最後に会った時よりも少し伸びたブロンドのボブヘアをわざとらしく靡かせて、悪戯を成功させた子供のように無邪気な笑顔を浮かべるのは、オーストラリアで国内シェアNo.1を誇る世界有数の警備会社・GBSを設立した才女であるアイーシャ・アンダーソンだった。

 

「外から大声で呼んでも反応なくて、鍵も掛かってなかったからお邪魔させてもらったよ。日本の冬は寒くて敵わないから、待ち切れなくてね。あぁ、安心して。はちゃんと知ってるから。」


 そう言って靴下を履いた片足を持ち上げてアピールするアイーシャに対して、開いた口が塞がらないまま呆然と立ち尽くす俺は、目の前の人間が本当にあのアイーシャなのか、何度も目を擦って確かめながら話し掛ける。


「い、いやいや。普通にインターフォンを押してくれれば気付きましたよ……?」


「あぁ、そう? 悪いね、そこまで日本の仕来しきたりには明るくないんだ。」


 流暢な日本語を披露しておきながら今更何を言うのかと、俺は呆れて溜息を漏らす。そうこうしているうちに沸いた湯を80℃前後になるまで冷ましながら、改めて不敵な笑みを浮かべる眼前の美女に問い質す。


「そもそも、アイーシャさんはどうして日本に? いえ、それ以前に何故俺たちの事務所の場所を……?」


 待ってましたと言わんばかりに、アイーシャは胸を張って答える。


「驚くなかれよ……? 君たちのおかげで、業界における我が社の地位と名誉は大復活を遂げ、この度満を持してGBSは海外に支部を創設することと相成りました!」


「そ、それじゃあ、まさか。」


 彼女のこれから言わんとするところに何となく察しが付いた俺に対して、彼女は嬉々として指を鳴らす。


「流石は名探偵の相棒──いや、今はパートナーと言った方が良いのかな……? お礼にもならないけど、外国に支部を作るならまずは日本の市場発展に貢献したいと思ってさ。君たちの事務所の近くに支社ビルを建設させてもらう予定だよ。あそこに居る彼女は、我が支社における優秀な従業員第1号!」


 驚くべき新事実を平然と言ってのけるアイーシャの指差す方を見れば、心美と楽しくゲームに熱中している菊水陽菜が居た。就職先が警備会社とは聞いていたものの、まさかそれがアイーシャの経営するGBS社だったとは、誰が予想できただろうか。


「今は良い時代だよねぇ。インターネットを駆使すれば、オンライン上で世界中のあらゆる垣根を越えて、越境的に優秀な人材をスカウトできる。面接は日本語が話せる私が担当したんだけど、彼女に志望動機を聞いたら『茉莉花探偵に憧れて人助けを志すようになった!』とか言うもんで、詳しく掘り下げたらココミが共通の知り合いだって判明してね。」


「だから、うちの場所も分かった訳ですか。」


「悪く思わないでね。従業員の情報は、会社のものでもあるからさ。当然悪用はしないから、そこは安心してよ。」


 その点については、死線を共に潜り抜けた無二の友人として、アイーシャのプロ意識に全幅の信頼を寄せているので、特に心配していない。


「実際、彼女はとても優秀でね。一度説明したことは一言一句聞き漏らさず正確に理解するから、物覚えが良い。ココミほどではないけど、実践的なレベルで英語も話せるから本社の人間ともコミュニケーションが取りやすい上に、明るく愉快なムードメーカーときた。正直、ココミの存在とは関係なく、どの道採用していたと思うよ!」


 経緯を説明する中で陽菜について語るアイーシャの話を聞いて、俺は友人が能力を高く買われて素直に褒められていることが自分事のように嬉しかった。いつも通り、濃い目の茶を好む心美のために急須の中に茶葉を5グラム入れて、少しだけ温度の下がった熱湯で抽出する。遠路はるばる嵐のようにやってきた客人のため、俺は盆にカップを1つ足して心美の待つリビングへと足を運んだ。


「堅慎、遅かったじゃな──」


「ハロー! ココミー! 会いたかったわよ!」


 俺の紹介を待たずして、アイーシャは陽菜と肩を並べてソファに座っている心美に飛び付き、再会の喜びを全身で表現する。


「ハローじゃないわよ! 一体どうして貴方がここに──ていうか、鬱陶しい……! 一旦離れなさいよ!」


「あ、アンダーソンCEO……!?」


「こら、ヒナちゃん。私のことはって呼ぶのが採用条件だったはずでしょ!」


「なんだその仕様もないパワハラ……。」


 女三人寄ればかしましいとは言うが、これは近所迷惑で通報されてしまうかもしれない。そう思った俺は、何とか間に入って場を収めるべきかと逡巡する。だが、彼女たちも暫く振りに運命的な再会を果たしたことで、積もる話もあるだろう。場を白けさせるのも野暮かと考え直して、飲み頃のジャスミンと茶請の菓子が乗った盆をテーブルに置いて部屋を去ろうとすれば、心美に腕を掴まれて呼び止められる。


「折角4人揃ったんだから、ゲームで対戦でもしましょうよ!」


「い、いやでも、俺はそろそろ夕飯の支度が──」


「今日くらい出前でも取ればいいじゃない。貴方たちも食べていくでしょ?」


 心美の提案に、皆一様に歓喜の声を上げて賛同する。


「流石はココミ! オーストラリアに来てくれたら、いつでも結婚してあげられるのに──」


「しないわよ! 馬鹿な事言ってないで、行き遅れないうちに貴方もい人を見つけられるように努力しなさい!」


 冗談を言い合いながら心美の身体に抱き着くアイーシャを見て、俺は思わず再び溜息を漏らしてしまう。


「パワハラの次はセクハラか……。アイーシャさんの春は当分先だな。」


「そんなぁー。こんな美貌を兼ね備えた兆単位の年商を上げてる大企業の創始者なのに……。」


 とはいえ、確かにアイーシャは客観的に見れば、誰もが羨むスタイルと経済力を併せ持つ魅力的な女性だ。そのことを自ら誇示しようとするのが玉にきずだが、実際のところは引く手数多なのだろうと容易に想像できる。


「ダメですよアイーシャさん! 心美ちゃんは私のものですから!」


 身体を密着させて甘えるアイーシャを牽制するように、陽菜は心美の腕を引いて主張する。おそらく、今までの俺だったら、ずっと孤独に過ごしてきた心美が友達に囲まれて慌てふためいている微笑ましい姿を遠巻きに見ているだけで満足していただろう。だが、長い時を心美と過ごして積年の恋心を燻ぶらせていく中で次第に欲張りになっていった俺の心は、定位置である彼女のすぐ傍を奪われ、笑い合っている光景を見るだけで、その相手が例え子供や同性の人間だったとしてももやが掛かる不良品になってしまった。


「心美は、俺のものだよ。」


 3人の喧騒に掻き消されてしまうくらいの小さな声で呟いた俺は、強引に心美の隣を陣取って、ビデオゲームのコントローラーを握る。そして、目を丸くして沈黙する3人によって静寂を取り戻した室内に響き渡るように、高らかに宣言する。


「この勝負で、勝った奴が夕飯のメニューを決めるってことで!」



 §



 ちなみに、結果は惨敗だった。そもそも、俺は人生においてビデオゲームなるものに触れた試しが一度もない。おそらく、心美も境遇は俺と大差ないだろうが、彼女は陽菜と同じで物事の飲み込みが早く、何でも卒なくこなしてしまう天才肌だ。悔しいことに、まるで歯が立たなかった。


 勝ったのは、このゲームを持参してきた張本人である陽菜だった。勝負を挑んだ後になって後悔しても遅いのだが、良く考えればゲームの持ち主である彼女に対して勝ち目が薄いことくらい容易に想定できたはずだ。俺は自分の浅慮を嘆きながら、陽菜の注文した豪勢な海鮮丼を頬張るのだった。



 §



 夕食を終えて一息ついた後、思い出話に花を咲かせて穏やかな時間を過ごしていると、窓の外から見える景色はすっかり黒く染まってしまった。頃合いを見計らって、陽菜とアイーシャはそれぞれ席を立った。


「そろそろおいとましようかな。あんまり遅くなり過ぎると、1人暮らしの身としては夜道が怖いからね。」


「私も行くよ。GBS支社ビルの竣工しゅんこうまでは日本に滞在する予定だから、何かあったら連絡してよ!」


 玄関まで廊下を歩きながら別れの挨拶をする陽菜とアイーシャを見送るために、俺たちも後に続く。楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうものだと、しめやかな空気が流れる。隣を見遣れば、心美も俺と同じような気持ちなのか、名残惜しそうな表情をしている。


「心美ちゃん、今日から私たちはご近所同士だよ。今度は是非うちにも遊びに来てね。流石にこんな立派な事務所より広くはないけど……。」


「私も仕事で定期的に日本まで出張することになるだろうから、実質隣人みたいなもんだよね! これからも末永くよろしく頼むよ……!」


 近く再会を誓い合った俺たちは、笑顔のまま手を振り合って軒先で解散した。室内に戻った後、心美は後片付けに勤しむ俺を率先して手伝ってくれる。ここ最近、心美と一緒に暮らす中でこうしていると、何だか本物の夫婦みたいだと考えるようになってしまった。成人年齢を迎え、法律的には結婚も出来るようになった。互いに親は居なくなってしまったため、特段誰かに許しを請う必要もない。互いに婚姻関係を望めば、それを実現するための障害は一切ないという現実が俺の心を一層掻き乱す要因となっていた。


 とはいえ、俺と心美が明確に好意を伝え合って正式に交際を開始したのは、ほんの1か月前の話だ。急いては事を仕損じるというように、焦りは禁物だとも考える自分が居る一方で、途方もない歳月を共に過ごしてきた彼女とであれば、すぐにでも関係を進展させたいという思いもある。実に複雑な心境だ。


「ぼーっとしちゃって、どうしたの?」


「ん? あぁ、いや。何でもないよ。」


「そう……?」


 このように、心美はいつも俺の微細な変化に気付いて労ってくれる優しい恋人だ。それは裏返せば、常に俺のことを見てくれているということだ。心配せずとも、俺の心が彼女のものであるように、彼女の心もまた、俺のものだ。焦る必要なんて、何処にもない。俺はもう少し余裕を持った方が良いかもしれない。──当時の俺は、そう悠長に構えていた。

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