Ep.62 チェックメイト

 猛吹雪が窓を叩く音と暗黒が支配する旅館の廊下にて、俺は背後に何者かの気配を感じ取って咄嗟に振り向く。そこに立っていたのは、新町の同僚・木本だった。


「あ、貴方は……。」


「恭介の奴、茉莉花さんが部屋に来てたなら起こしてくれれば良かったのに、薄情者ですみません。何かご用がおありでしょうか……?」


 愛想笑いを浮かべながら、そう言って後ろ頭を掻く木本に対して、俺はまだ彼らに対して確認していなかったことを思い出して、質問する。


「昨晩の間、木本さんと新町さんはずっと一緒に居たんですか?」


 木本は一瞬だけ考え込むような素振りを見せたかと思えば、はっきりと返答する。


「うーん、何と言ったら良いのかなぁ。俺は停電の直前まで寝ていたんですけど、恭介はトイレか何かで部屋を出てたらしくて、大きな物音が聞こえてきた時に目を覚まして暗闇の中であいつの名前を呼んでも返事がなくて、俺ひとりだったんです。」


「ほう……? 続けて頂けますか?」


 思い掛けず木本の口から飛び出した新事実は、松原殺害の犯人を炙り出すための有力な証言だった。


「その後すぐに恭介は戻ってきて、外の様子を確認するため一緒に部屋を出たんです。ただ、松原さんの死体が見つかった大浴場であいつ、言ってたじゃないですか。停電に驚いて廊下に出たら、女湯から物音が聞こえたって。確かにその時もあいつはそんなこと言ってたんですけど、俺にはそんな音聞こえなかったって言うか……。」


「ちなみに、貴方と新町さんは喫煙者なんですか?」


「えぇ。もう煙草も無くなっちゃったんですけどね。もしかして、臭いました……?」


「いえ。そういう訳ではありません。貴重なお話、感謝します。」


 わざわざ俺たちの後を追いかけて重要な情報を提供してくれた木本に謝意を表して、再び歩き出す。心美は彼の証言から確信めいたものを感じ取ったようで、何か考え込むように上の空で歩を進める。


「心美、何か分かったのか……?」


「結論から言って、もはや犯人は分かったも同然ね。問題は彼の犯行手段や動機の詳細がいまいち見えてこないこと。そんな状況で彼を殺人犯に指名したところで、白を切り通されるだけだわ。」


 そう言って頭を抱えながら廊下を進む心美は完全に自分の世界へと没入しており、集中力の高さが災いして防寒着として羽織っていた丹前の裾を踏み付けてしまう。勢い余って倒れ込む彼女の先には観葉植物の植木鉢が置かれていて、危うく頭を打ち付けそうになっていたので俺は咄嗟に彼女の腰を抱き留めようと試みる。だが、あまりに突然のことだったので足を踏ん張り切れなかった俺は、心美と共に障害物のない安全な床に軌道を逸らして倒れるのが精一杯で、間一髪事なきを得る。


「心美、無事か!?」


「え、えぇ。堅慎、ありがとう……。」


 一歩間違えれば本当に転倒事故によって死んでいたかもしれない。やはり松原も事故死だったならば、このようにして前のめりに倒れ込んで頭を打っていたはずだ。俺は改めて側頭部に致命傷を負っていた松原の他殺を確信すると共に、心美の無事に心底安心して彼女を抱き起こそうとするも、当の彼女は暗闇の中で何かを発見したかのように紅い双眸を大きく見開いて俺の方をじっと見つめる。


「な、なんだよ。」


 突如として降り注ぐ心美の熱視線に耐え切れなくなった俺は、次第に照れ臭くなって目を逸らしてしまう。その異様な状況に曝された俺はふと、彼女を護ろうと手を伸ばした際に触れてはいけない部分へと触れてしまったのではないかと考え、今し方手の平に受けた感触を思い出す。そしてそんな俺の懸念は、心美に胸倉を掴まれたことで確信に変わる。


「ごめん心美! 誓ってわざとじゃないんだ! 許してくれ!」


 しかし、俺の心配を余所に、心美は至って冷静だった。


「何言ってるのよ……? 見て、堅慎。貴方の浴衣の襟のとこ。」


 烈火の如き怒号と平手打ちを覚悟していた俺は、存在しない何かに怯える俺を憐憫れんびんの眼差しで見つめる心美に拍子抜けしながらも、言われた通りに視線を下へと向けて着ている浴衣の襟を見つめる。


「これは……!」


 するとそこには、見覚えのある独特の臭いを伴った染みが付着していた。それは、松原の遺体が着ていた浴衣にも染み付いていた、灰による汚れだった。慌てて懐中電灯を拾い上げて床を照らす心美につられて視線を落とせば、煙草の灰と思しき汚れが点々と、防火シャッターの方まで続いていた。心美は何か閃いた様子で非常階段と廊下の反対側にある防火シャッターの付近へと歩き出すので、俺も慌てて付いて行く。四つん這いになって道の塞がれた階段付近を隈なく調べて写真を撮影した心美は、突然俺の方を振り返って高らかに宣言する。


「堅慎、お手柄だわ! これで2件の殺人を単独犯が成し得た方法が分かった!」


「ほ、本当か!?」


「考えてみれば、至極単純なことだったのよ。こんなことにも気が付かなかったなんてね……。」


 やれやれと言いたげに肩を竦めて溜息を吐く心美に、俺は待ちに待った真相究明に嬉々として言う。


「だったら、すぐに3階の宿泊客全員を集めよう!」


 再び客室を巡って全員を一所に集合させようとする俺を心美は冷静に制止する。


「探偵としての身分が割れた私たちが突然声を掛けても、警戒心の高い犯人を余計に刺激するだけよ。ここは英さんに連絡して、彼らの方から号令を掛けてもらいましょう。」


 そう言って心美は懐からスマホを取り出して、英真央へと連絡する。そして、遺体を移動させるから人手が必要だとか、適当な理由を付けて3階の宿泊客全員を集めるように依頼した。俺たちは密室の謎を解き明かすための最後の証拠となる写真を保存して、1時間後、依然として松原の遺体が放置されている大浴場へと集合した一同のもとへ向かった。



 §



「皆さん、お揃いのようですね。」


 松原の遺体発見当時と同様に、既に見知った顔が一堂に会した大浴場にて、俺と心美は2つの意味で暗くなったままの女湯に遅れてやって来た。


「あの、突然のことで状況が呑み込めていないのですが、これはどういうことでしょうか……?」


 宿泊客全員を集めるように依頼した真央の夫・蓮人が訝し気に尋ねる。この状況下で息子である魁人をひとり、部屋に残しておけない一方で、松原の死体が放置されたままの浴場に連れて来ることに抵抗感があるのか、魁人の肩を抱きながら不安そうな表情を見せている。他の宿泊客も皆、五十歩百歩といった様相で心美の方へと視線を向ける。当の心美は、衆目を一身に集めたことを確認すると、大きく1つ深呼吸をしてから、泰然自若とした態度でゆっくりと話し始めた。


「どうか落ち着いて聞いてください。現在、3階で発生したとは別に、1階の露天風呂にて旅館の女将さんが亡くなられたそうです。」


「「……!?」」


 心美によって告白された驚愕の事態に、聴衆はどよめき狼狽する。落ち着けと言われても、ただでさえ身近な人間の死という非日常に直面しているのに、自らの与り知らぬところで別の人間が死んでいると知らされれば、驚きを隠せないのも無理はない。


「ま、待ってください! 3階の事件って……? 奈々は事故死じゃないんですか!?」


 生前の松原の友人である二葉が、心美の発言の違和感に気付いて疑問を呈する。


「残念ながら、2つの事件は同一犯による殺人事件であることが分かりました。ですが、ご安心ください。私たちは既に、殺人犯を特定しました。」


 その言葉によって静まり返った浴場内で、心美は人差し指を立てて犯人を名指しする。


「犯人は貴方ですよね、新町恭介さん。」


「っ……!」


 図星を突かれた新町の顔は見る見るうちに青褪めてゆき、心美の宣言を聞いた周囲の人間はゆっくりと新町から距離を取ろうと後退る。唯一、隣で信じられないと言いたげな表情で立ち竦んでいた木本は、新町の表情の変化を見て何かを悟ったのか、得も言われぬ悲愴感を漂わせていた。

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