末期の水

Ep.61 聞き込み調査

 今度こそ忘ずることのないように施錠した上で部屋を出た俺たちはまず、すぐ隣の客室に宿泊している英一家のもとを訪れた。部屋をノックすると、室中から慌ただしい足音が聞こえたかと思えば、ものの数秒で扉が開かれるも俺たちの目線の先に人影はなかった。


「白いお姉ちゃん! こんにちは!」


「あら、こんにちは。お出迎えありがとうね。」


 溌溂とした声の主の方へ視線を落とせば、心美に向かって元気よく挨拶する男の子──英魁人の姿があった。部屋の奥からは魁人の両親である蓮人と真央が、目を丸くして此方を見ている。


「茉莉花さんたちでしたか。松原さんの死について、何か分かったんですか……?」


 唐突な探偵の来訪に驚いた様子の蓮人は、怪訝そうに尋ねる。通り一遍の捜査を終えて、改めて容疑者候補を絞り込んだところで、年端も行かない子供を連れて家族旅行中の親である彼らが殺人に及ぶとは考え難いというのが正直な感想だ。だが、心美はあくまでも中立的な立場から最低限の情報を共有し、松原の他殺説は伏せた。当然、1階でも同様の事件が発生したことを伝えても徒に混乱を招くだけなので、以ての外だ。


「つまり、現時点では事故死の可能性が高いと……。」


 死亡した松原の1件のみに言及するのであれば、それもあながち噓ではない。そして連人と真央の表情や声色から察するに、やはり彼らが殺人に関与しているという線は限りなく薄い。俺も心美も今までの探偵稼業を通じて、数え切れないほどの多種多様な犯罪者たちを目の当たりにしてきた。人の善悪を見る目には、相当の自信があるつもりだ。他方、心美は念には念をと、純粋無垢な魁人に対してとある質問を投げかける。


「魁人くん、貴方は昨夜、ずっとご両親と一緒に居たのかしら?」


「そうだよ! 凄い音がして目が覚めたら、周りが真っ暗だったんだ。その時急にトイレに行きたくなって部屋を出ようとしたら、そこのお兄ちゃんが怒鳴るから……。」


「本当にごめんなさいね。ほら、堅慎も謝って。」


「あぁ、すまなかったな、魁人くん……。」


 心美の優しい笑顔を独り占めにしたいという醜い欲望を心の奥底に燻ぶらせていた俺は、子供である魁人に対して年甲斐もなく嫉妬心の矛先を向けて、素っ気ない謝罪しかできなかった。それでも、魁人は素直に満面の笑みで俺を許してくれるので、自らの惨めさが際立つだけだった。


「お伝えすべきことは以上です。お寛ぎのところ、失礼致しました。」


「いえいえ。この暗闇の中、わざわざ来て頂いてありがとうございました。」


 やはり英一家は一連の事件の犯人たり得ない。そう判断した俺たちは、別れの挨拶と共に軽く会釈をして部屋を後にした。



 §



 殺人事件の犯人像から最も遠い人物から辿って行くとすれば、続いて向かうべきは被害者である松原の友人・二葉と柊の部屋だろう。そう考えた俺たちは、浴場に近い部屋に泊まっていると言っていた木本と新町の言葉を思い出して、英一家の宿泊している部屋の向かい側にある浴場から遠い方の扉を叩いた。すると中からは、旅行中に突然友人を失ったことで悲嘆に暮れた表情の二葉が扉の隙間から顔を出した。


「はい、何でしょう……。」


「お休みのところ申し訳ありません。」


 そう言って話を切り出した心美は、英一家にも共有したのと同じ情報を淡々と述べて、彼女らの反応を注意深く観察する。死亡した松原の第1発見者である彼女たちならば、死体の偽装工作も比較的しやすい立場にある。そのように考えて疑念を向けることについて、彼女たちの心中を慮れば心が痛むが仕方ない。すると俺は、先程から部屋に漂っている臭いを感じ取って、ある事を思い出す。


「そういえば、おふたりは旅館で喫煙なさいましたか?」


 俺は部屋内に充満していた微かな煙の臭いから、松原が着ていた浴衣に付着していた灰色の染みを連想して彼女たちに質問する。二葉と柊は、目を見合わせてから口を揃えて話し出す。


「私たちは、煙草は吸いません。ただ、奈々が喫煙者だったので……。」


 二葉が視線を向けた先を目で追えば、少量の煙草の吸殻が入った灰皿がテーブルに置かれていた。


「では、昨晩温泉に入る前に、松原さんは煙草を吸ってましたか……?」


「いいえ……? 夜も更けて、外は大雪が降り始めましたから窓を開けて換気することも出来なかったので、奈々は昨晩から一度も煙草を吸いませんでした。それが何か……?」


 柊の返答によれば、松原は温泉に入って浴衣に着替えてから停電後に再び浴場へと向かうまで、一切喫煙していなかったという。であるならば、松原の浴衣に染みついていた灰が本人の吸っていた煙草のものであるという俺の予想は、残念ながら外れているようだ。


「いや、何でもありません。この度は、御愁傷様です……。」


「どうも……。」


 重苦しく気鬱な雰囲気から逃れるように、最低限の挨拶を残して部屋を後にした。



 §



 そして俺たちは、観光に訪れたと言っていた会社員である木本・新町が宿泊している最後のひと部屋へと足を運ぶ。友人を亡くした悲しみに打ちひしがれていた様子の2人からは、凡そ残忍な連続殺人犯の凶悪性は感じられなかった。消去法で考えるのであれば、今のところ残る2人の男が有力な犯人候補だ。言動には一層気を付けなければならないだろう。そんなことを考えながら、まだ一度も訪れていなかった大浴場と防火シャッターの下りた階段に最も近い客室へ辿り着くと、新町が慎重に扉を開けて、その隙間から顔を出す。


「どうも。少々お伝えしなければならないことがあるのですが……。」


「え、えぇ。何でしょうか……?」


「立ち話もなんですから、中に入れてもらっても良いですか? 廊下は寒くって。」


 心美の要求に対して、新町は何か逡巡するような素振りを見せてから首を横に振る。


「い、いやぁ。停電した部屋で碌にやる事もないものですから煙草ばかり吸っていたので、お若い方には臭いがきついかなと。それに、寒さだったら中も大して変わりませんよ。」


 何故か新町は俺たちが部屋に入ることを頑なに拒否するばかりか、中の様子を確認させまいと扉の隙間を覆い隠すように仁王立ちしている。


「木本さんは、今どちらへ……?」


「あぁ、奏だったら暇すぎて寝ちゃいましたよ。あいつを起こさないためにも、ここで話して頂いてもよろしいですか?」


 尤もらしい建前を述べる新町の頑固な態度に諦めざるを得ないと判断した俺たちは、松原の死についてこれまで話してきたことと同じ内容を伝えた。すると心做しか、新町の表情には安堵の色が浮かび上がったような気がした。


「そうですか……。それは、何と申し上げたら良いか……。」


「ところで、話は変わるけれど、先程私たちが自室に戻った時に、何者かが部屋へ侵入して貴重品を盗んでいった形跡があったのだけれど、貴方は何か知らないかしら?」


 心美によって藪から棒に投げかけられた質問に、新町は僅かに狼狽えながら答える。


「さ、さぁ。皆目見当もつきませんね。茉莉花さんたちの財布を盗むような怖いもの知らずの行方だなんて……。」


「あら、私は貴重品が盗まれたと言っただけで、財布とは一言も口にしてないわよ?」


 心美の仕掛けた罠にいとも容易く引っ掛かった新町は、今度こそ大袈裟に動転した様子で、慌てて取り繕う。


「いえ! 俺はただ貴重品と言われて真っ先に財布を連想したもので、思わず口に出てしまっただけですから! 他意はありません!」


「そうですか。まぁ、何か分かりましたらお知らせ頂けると幸甚です。行くわよ、堅慎。」


「あ、あぁ……。」


 挙動不審な態度に加え、自ら語るに落ちた新町を目前にしてさらに詰め寄るでもなく、あっさりと引き下がって身を翻す心美に呆気に取られた俺は、彼女に連れられるまま部屋を後にした。



 §



「お、おい。あのまま新町を追い詰めていれば、俺たちの財布を奪った空き巣の正体とか、連続殺人の犯人が特定できたかもしれないんだぞ?」


 俺は新町の怪しい言動から、あと一歩で一連の事件の犯人を捕まえることが出来たかもしれないという焦れったさを心美にぶつける。だが、彼女は至って冷静だった。


「確かにそうね。でも、今の私たちは新町を犯人だと決めつけるに足りる証拠を何も持ち合わせていない。あの場で彼に疑いの目を向けても、徒に警戒心を煽るだけよ。それに、共犯者がいる可能性も捨てきれない中で彼だけを槍玉に挙げても、事件の真相を知ることはできない。」


「そうか……。」


 当然ながら心美は、俺が改めて忠言するまでもなく、彼女なりの緻密な計算に基づいて慎重に事を運んでいる。ここは大人しく、心美の言う通りに従っておく方が賢明だろう。そんなことを考えていた時だった。暗闇に包まれた廊下で、俺たちの背後から何者かが接近してくる気配を感じ取った。

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