Ep.56 外界からの隔離

 ──ドーン……!


 前日の日光観光によって疲れ果てて眠りに就いた俺たちは、日の出までには程遠い真夜中の静寂の中、突如として部屋中に鳴り響いた轟音によって目を覚ました。何事かと辺りを見回すも、薄っすらと窓から差し込む蒼白い寒月の光を除いて、ほとんど何も見ることはできない。


「堅慎……!」


 普段は寝起きの悪い心美も突然の爆音に驚いたようで、俺の名前を呼びながら暗がりの中で俺の姿を探し求めるように手探りでベッドを這う。俺は月光を煌びやかに反射する心美のルビーを認めて安心させるように抱き締めると、彼女もそっと俺に身を預ける。


「大丈夫だ。一旦、電気をつけるぞ。」


 俺は心美の身体を支えたままベッドサイドに置かれたテーブルランプの紐を引っ張って明かりを灯そうと試みるも、ランプは何故か一向に反応を示さない。


「なっ。電気が付かない……。」


「堅慎、怖い……。」


 心美は今まで幾度となく夜にトラウマを植え付けられてきたため、怖がるのも無理はない。ふるふると肩を震わせて俺の着ている浴衣にしがみ付く彼女の背中を優しく撫でて落ち着かせながら、今度はベッドサイドのテーブルに置いておいた天井や壁の間接照明のリモコンを手に取って乱雑にボタンを押すも、やはり反応がない。


「くそっ、停電か……?」


 仕方がないので、俺はベッドの下に備え付けられていた非常用の懐中電灯を引き摺り出して暗闇を照らす。小型の懐中電灯はその大きさに反して存外に強烈な光線を放つので、俺たちはその明るさに驚いて反射的に顔を背けるも、徐々に明順応を始める寝ぼけ眼を擦ってバルコニーへと続くガラス張りの引き戸の外を見ると、初めて部屋を訪れた際に見えていた美しい温泉街の景色は全く見えなくなっていた。


「なんだ……?」


 俺はその謎の現象を確かめるためにベッドから立ち上がって窓に近づこうとするも、心美に腕を引かれて制止される。


「堅慎、待って! ひとりにしないで……。」


「あぁ、悪い。」


 改めて俺は心美の身体を引き寄せて、彼女と共にゆっくりとベッドから立ち上がる。引き戸の外で視界を遮るものの正体を探るため、俺たちは警戒心を高めながら一歩ずつ窓際に近づいていく。


「なんだよこれ……。心美、懐中電灯持っててくれ。」


「えぇ、分かったわ。」


 俺は直接確かめるのが手っ取り早いと考えて、引き戸を開けようと手を掛けて横に引っ張るのだが、全く動く気配もない。ムキになって横方向に体重を掛けて勢い良く取っ手を引いても、依然として戸はびくともしない。


「もしかして、これは雪!?」


 懐中電灯で戸の外側を照らす心美に言われて見れば、視界を覆っている物体は彼女の肌のように白くきめ細かい雪の塊のようだった。冷凍庫の壁面のように冷たくなったガラス張りの戸に張り付くようにして外界の音に耳を澄ますと、障害物の隙間から僅かに唸るような暴風の音が聞こえてくる。どうやら、数時間前までぱらぱらと宙を舞うのみだった粉雪はいつの間にか吹雪となって、部屋のバルコニーに降り積もった結果、引き戸は開かなくなってしまったようだ。


「さっきの物音は急激な悪天候で降り積もった硬い雪の塊が落下した音だったってことか。」


「それにしても、たった数時間でこんなに降り積もるだなんて……。」


 一先ず天気予報などを見て状況確認をしようかとスマホを取り出すも、圏外の表示が出て外部との連絡が遮断されている。途端に不穏な空気が立ち込め、俺と心美は得も言われぬ胸騒ぎを覚える。次に、備え付けのテレビの電源を付けようとリモコンを操作するも、案の定画面が切り替わる様子は微塵もなかった。


「嘘だろ……。」


「部屋の外に出て旅館のスタッフに報告しましょう。エアコンも止まってとても寒いわ……。」


 俺は寝る前に椅子に掛けておいた丹前を浴衣の上から心美に着せて、眼前を覆い尽くす暗闇の中を懐中電灯の放つ局所的な光だけを頼りに、慎重に進む。


 部屋の扉を開け、廊下に出て最初に窓の外を見る。だが、冬空を埋め尽くす雪雲に隠されて見えなくなった淡月の弱々しい光は、一寸先すら照らしてくれない。力一杯俺の腕にしがみ付く心美の歩幅に合わせるようにして、1階まで下りるためにゆっくりと階段へと向かう。だが、本来階段があるはずの廊下の端まで辿り着くと、そこにはステンレス製と思しき鈍色の大きな壁がそびえ立っていた。


「なっ……! こんな壁、ここに来たときは無かったよな……?」


「見て。良く見たらこれは壁じゃなくて、シャッターみたいよ。」


 心美の持つ懐中電灯の光を反射する金属壁を凝視すると、特徴的な横線が入っているのが分かる。確かに、これは彼女の言う通り、シャッターの形状と良く似ている。


「屋内の階段付近に設置されたシャッターなんて、目的は1つしか考えらえれない。」


 俺は心美が何を言わんとしているか理解することができた。これは火災発生時に延焼を防止するため建物内に設置されている防火シャッターだ。では、何故火災など発生していないにもかかわらず、防火設備が起動しているのだろうかという疑問が浮上する。


「お客様! ご無事でしょうか!?」


 次の瞬間、突如として障害物の反対側から防火シャッターを叩きながら大声を張り上げて、こちらへ話し掛けてくる何者かに俺たちは飛び上がって驚く。俺は怯えて返事の出来ない心美の代わりに、壁越しの相手と意思疎通を試みる。


「はい! スタッフの方でしょうか!?」


「そうです! 予想外の積雪で一帯が停電と通信障害に見舞われてしまい、復旧の目処が立っておりません! ご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございません!」


「問題ありません! それよりも、この防火シャッターは何故下りているんですか!?」


「すみませんが、それは私共にも分かりかねます! 何故か2階から3階へと繋がる全ての階段に防火シャッターが下りていて3階のお客様との連絡手段が途絶えてしまったので、やむなくこのような形でお話させて頂いている次第です! 防火設備は全て自動化されているので、何らかの誤作動としか……!」


 2階から3階へと繋がる階段は廊下の両端に1つずつと非常階段の計3つだ。それが偶然、全て誤作動を起こすなど、あり得るのだろうか。俺と心美は旅館の従業員から壁越しに聞いた話の内容に、探偵としての経験則から作為的な何かを感じ取って一気に緊張感が高まる。


「電力供給体制が復旧するまで防火シャッターを上げることはできないので、今暫くお待ちください! 定期的にお客様の様子を確認に伺いますので、ご用命の際は改めて防火シャッターの前まで来てくださると対応できるかと思います! よろしくお願い致します!」


 そう言い残して、壁の向こう側に居た従業員は去って行ったようだ。俺たちはフロアの廊下を辿ってもう片側の階段まで歩いて、フロアの丁度中央付近に設けられている非常階段をも確認したが、従業員の言っていた通り階下へと繋がる道には全て防火シャッターが下りていた。俺たちは事実上、3階のフロアに閉じ込められてしまったということか。


「停電復旧はこの大雪が止んでからになるでしょうけど、晴れそうな気配は一切ないわ……。」


 心美の言うように、先程まで僅かに顔を覗かせていた月ですら、何処までも続く雪雲の群れに覆い隠されて見えなくなっていた。廊下の小窓を叩き割らんばかりに襲い来る吹雪ががたがたとガラスを震わせている。


「飲み水や食べ物には困らないだろうが、仮に何日も閉じ込められるんだとしたら嫌だな。」


 部屋の冷蔵庫のミニバーには水やアルコールが沢山置かれている。食料も備え付けの菓子や昼間に買って鞄に詰めていた土産物も含めれば、数日は持ち堪えられる。いざとなったら廊下の窓を叩き割って脱出を強行するのも1つの選択肢だが、ここは3階だ。相応の高さがある上、凄まじい悪天候の中を無傷で抜け出せるとは思えない。


「無闇に体力を消耗しても仕様がないな。心美もまだ眠いだろ? 部屋に戻ろう。」


「そうね。今後のことは朝になってから考えることにしましょうか。」


 俺たちは一度部屋に戻って二度寝することにした。まだ昨日の酔いが醒め切っていない寝惚けた頭では、何事も適切に考えることができない。そう思って、自分たちが泊まっている部屋の前まで辿り着き、ドアノブを捻ろうと手を伸ばした瞬間だった。


 ──ガチャ。


 驚くべきことに、俺はまだ何も触れていないにもかかわらず、乾いた音と共にドアノブが独りでに動き出して、ゆっくりとドアが内側から開かれる。突如として訪れた非日常的な現象の数々によって動揺していた俺は一気に頭に血が上って、心美を護るため前に出て、部屋の中の先客に対して咄嗟に怒声を張り上げた。


「誰だ!!」


 俺の威嚇に反応して部屋から出て来た意外な人物の姿に、俺と心美は言葉を失って呆然と立ち竦んだ。

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