Ep.50 金の切れ目が縁の切れ目

 早朝6時、昨晩は早めに床に就いた俺たちは変な時間に目が覚めてしまったが、二度寝する訳にもいかないので仕方なく身体を起こして目覚めのコーヒーでも飲みに行こうかと休憩室へ向かおうとしたところ、慌ただしくきょろきょろと辺りを見回している橘とすれ違う。どうやら橘は、想定よりも早く鑑識結果が出たためにそれを俺たちに伝えるべく、宿直室へと向かう途中だったようだ。俺たちは一刻も早く情報を共有するため、通路の端に寄ってその場で密談を始める。


「単刀直入に申し上げます。鑑識の結果、やはり茉莉花さんと岩倉さんを殺そうとした襲撃犯たちが所持していた刃物と鈍器は、紫音一家を殺害した凶器と見て間違いありません。ただいま捜査一課の者が、昨夜拘束した3名を重要参考人として事情聴取しております。」


 俺たちの想像通り、襲撃犯が俺たちを手に掛けるために用いたナイフと金属バットは、紫音夫婦を刺殺して、その子供たちを撲殺するために使用した凶器と一致していたようだ。この後、紫音宅に押し入った実行犯が何人だったのか、他に仲間が何人居るのかについて具体的な調査してから殺人罪で逮捕状を請求する方針だという。


「残るは殺人の首謀者を特定するのみですが、実行犯らは頑なに口を割らず、捜査は難航しております。いやはや、どうしたものか……。」


 困惑の表情を浮かべながら吐露する橘に対して、俺は昨晩思い付いた真犯人の正体と動機を暴露しても良いか、最終確認のつもりで心美にアイコンタクトを取る。彼女は決意に満ちた表情で、深々と首を縦に振って俺の瞳を見つめ返す。


「そのことですが、橘さん。俺たちは既に首謀者とその動機について、突き止めることに成功しました。」


「なんですって……!?」


 俺の口から放たれた唐突な爆弾発言に衝撃を受けている橘は、激しく動揺しながらも犯人について興味津々で尋ねてくる。


「それで、その首謀者とは誰なんですか……!?」


「それは──」


 俺は2件の襲撃事件と心美の叔父一家殺害事件を結ぶ真犯人の動機と、その真相について全てを打ち明けた。それを知った橘は開いた口が塞がらない状態だったが、俺の説明した内容を時間を掛けて咀嚼そしゃくしていくうちに、段々と合点がいったような様子を見せる。


「なるほど、まさかそんなことが……。」


「とにかく、犯人の居場所は分かりますね!? 今から急いで現場に向かい、犯人の身柄を取り押さえましょう!」


「分かりました。平野に車を回させますので、おふたりとも私に付いてきてください!」


 俺たちは橘に先導されるまま地下駐車場へと向かい、平野の運転で犯人のもとへと急行した。いよいよ、事件の最終局面だ。俺は犯人逮捕に向けて今一度気合を入れ直すため、大きく深呼吸して車窓の外を眺めていた。



 §



 平野の運転で移動することおよそ1時間、住宅街へと突入した車は程なくして、一軒の邸宅の前で停車する。そう、心美の父・大善の邸宅だ。俺たちは車を降りてインターフォンを押すと、十数秒後に心美の母・心寧が出迎えにやって来た。


「あら、また貴方たちですか? それに心美まで……。」


「今回はお伝えしなければならない重要なことがあり、訪問させて頂きました。もうこれでこちらにお伺いすることもないかと思いますので、最後だと思って、どうかお付き合い頂けませんでしょうか?」


「ええ、良いですけど……。」


「茉莉花大善氏のもとまで案内して頂きたい。」


 俺たちは心寧の案内で、三度みたび大善の眠るベッドが置かれた奥の大部屋までやって来た。大善は先程まで心寧に食事を手伝ってもらっていたのか、介護用ベッドの上に置かれた盆には食べかけの料理が立ち並んでいる。尤も、死病に喘ぐ大善の身体はほとんど食事を受け付けないようで、料理はほとんど手が付けられていない。


「それでは、私はこれで……。」


 部屋を立ち去ろうとする心寧を、若手捜査官の平野が出口に立ちはだかって制止する。


「心寧さん。貴方にもここでお話を聞いて頂きます。」


「皆さんお揃いで、今度は何用でございますか……?」


 大善は病魔に侵された身体をよじり、何とかこちらを振り返る。全員の注目が集まったことを確認した俺は一呼吸置いてから、毅然とした態度で口を開いた。


「私共は、此度こたびの茉莉花紫音一家惨殺事件の犯人を特定致しましたので、その後報告に上がりました。いえ、正確には実行犯のうち何人かは既に警察によって逮捕されています。私共がここまでやってきたのは、その実行犯に紫音一家殺害の命令を下していた真犯人の存在をお伝えするためです……!」


 俺の放った驚愕の事実に、心美の両親は目に見えて困惑する。


「誰なんですか、その真犯人と言うのは……?」


 大善の質問に対して、俺はあっさりと答える。


「真犯人は、貴方です。心寧さん。」


 俺は大善の傍で立ち竦んでいた心寧を指差して名前を呼ぶ。指名された本人である心寧は、信じられないと言った様相で激しく狼狽する。


「まさか……! 何を根拠にそんなことを! これは冗談では済まされませんよ!」


「ええ。冗談で済ます気などこれっぽっちもありません。根拠ならいくらでもありますよ。」


 俺は次に大善の方を向いて、ある質問を投げかける。


「大善さん、貴方は先日俺に言いましたね。」


 ──娘を巡って日夜喧嘩ばかりしていた私たちは、その時から既に婚姻関係を解消していてね。つまり法律上は、心寧とはもう赤の他人ということになる。けど、彼女は今も定期的にこんな私の面倒を見てくれているよ……。


「ああ、確かにそう言ったが……。」


 大善から確認を取った俺は、自信を持って告げる。


「大善さんは、もう既に心寧さんと離婚しているため夫婦関係になかった──この事実こそが、心寧さんが大善さんの弟である紫音一家の殺害を命じた動機です!」


「なに!? どういうことだ──ごほっ、ごほ……。」


 俺の暴露した内容に、驚きのあまり咳き込む大善の口からは、止めどなく血が溢れ出ていた。茫然と立ち尽くしたままの心寧に代わって、傍に居た橘がティッシュで滴る血を拭う。


「心寧さん、貴方は深夜の車庫で武器を持った複数人に強襲された際に、命が助かったことよりも高級車に傷がついたことを気にしていたり、紫音一家殺害事件の解決を依頼した心美に対して報酬を出し渋ったり、頻りに金のことばかり考えていましたね。」


「っ……。」


 俺の言ったことは図星だったようで、心寧は沈黙を以て黙示的に肯定する。


「貴方は資産家である大善氏の元妻であるにもかかわらず、どういう訳か金に執着していた。今回の一連の事件における貴方の目的は、死に瀕している大善さんの遺産です。」


「私の、遺産だと……?」


 大善はかなりショックを受けたようで、顔に悲愴感を滲ませる。


「はい。資産家である大善さんの有する莫大な遺産は、婚姻関係を維持していれば、本来は心寧さんにも自動的に一定割合が分配されます。ですが、心美の前から失踪した夫婦の間には、娘を巡る意見の対立による喧嘩が絶えませんでした。その挙句、夫婦はある日を境に離婚してしまいます。こうして、大善さんの配偶者たる地位を喪失した心寧さんにはもはや、彼の遺産を相続する権利はありません。」


「大善さんの巨額の遺産を諦めきれなかった心寧さんは、ここでを思い付きます。通常、遺産は被相続人の『実子』『父母』『兄弟姉妹』の順で相続順位が決まっています。一方、遺産を相続することができる法定相続人第2順位に当たる大善さんの父母は既に他界しており、娘である心美と弟である紫音氏だけが存命でした。換言すれば、大善さんの財産相続の権利を有していたのはその2人のみだったのです。」


「後はもうお分かりですよね。心寧さんは大善さんの遺産を全て手中に収めることを目論んで、まずは心美を殺そうとした。およそ5年前、孤独に暮らしていた心美の自宅に複数人で押し入り強姦殺人未遂事件を起こした犯人は、既に警察が逮捕しました。犯人たちは『命令されてやったことだ』と白状していましたよ。」


「5年前の事件は、俺がこの手で阻止しました。ですが、今回は心寧さんが直接事件を仕掛けたのです。まず、心寧さんは殺人の実行犯に指示を飛ばし、法定相続人第3順位に当たる紫音氏を殺害します。そして、心美が探偵として世間に名を馳せ、新居である探偵事務所の居場所を突き止めた心寧さんは、俺たちのもとへと訪れました。あたかも紫音氏が殺害されたことを悲しむような素振りを見せ、白々しくも心美に解決を依頼し、俺たちを大善さんの邸宅へと誘い出した心寧さんは、殺害の実行犯に居場所を漏らして俺たちを襲わせました。本来ならば、そこで法定相続人第1順位に当たる心美を殺害する予定だったのでしょうが、当てが外れましたね。」


「ちょっと待ちなさいよ……!」


 俺の推理を黙って聞いていた心寧が、血相を変えて横槍を入れる。


「貴方の言う通り、単に遺産相続権のある人物のみを殺害するのが目的だったとしたら、紫音さんの家族全員を殺す必要なんてなかったはずよ! それをどう説明するつもりかしら……!?」


とぼけないでくださいよ。法定相続人第3順位である大善さんの弟・紫音氏を殺害した場合、その地位は大善さんの甥姪せいてつに当たる紫音氏の息子と娘に継承されます。つまり、遺産相続権を有する者全員を殺すのが目的なら、紫音氏の妻以外は全員殺害しなければならない。紫音氏の奥様は、口封じのために殺された──といったところでしょうか。」


「なんだと……! 心寧、今のは本当なのか……!?」


 不治の末期癌による壮絶な苦痛と戦っているはずの大善は、そのことを微塵も感じさせない怒りに満ちた鬼の形相で心寧に食って掛かる。


「違う! ふざけた戯言ざれごとだわ! そもそも、仮に私が遺産相続権を有している大善の親族全員を殺すことに成功したとしても、既に彼の妻ではなくなった私に遺産は相続されないはず! 私が心美や紫音さんの家族を殺す理由はないわ!」


 あくまでも殺人教唆を認めようとしない心寧に対して、俺は怒りを抑えて根気強く反論する。


「まだ白を切るつもりですか。では、何故貴方は離婚して赤の他人となったはずの大善さんが病床に臥せった今も、甲斐甲斐しく世話を続けているのですか?」


「なんですって……!?」


「被相続人の法定相続人が全員死亡した場合、法定相続人不存在と扱われるため、遺産相続は特別な手続に入ります。そこで、という地位が重要になってくるのです。」


「特別縁故者だと……?」


 苦悶に満ちた表情で、されど一縷の希望に縋るような眼差しで、大善が尋ねる。


「ええ。生前の被相続人と特別親しい関係にあったことを理由として、法定相続人不存在の場合に遺産を取得できる資格のある人物を、法律上は特別縁故者と呼びます。かつて婚姻関係にあったため大善さんと生計を同じくしていたことや、ステージ4の肝臓癌に侵された大善さんを献身的に介護していた心寧さんは、特別縁故者としての要件を十分に充足しているため、遺産相続を認められる可能性は極めて高いです。心寧さんは、この状況を作出することを狙い、敢えて離婚した大善さんの世話をしていた。」


「こ、心寧……。そうだったのか……?」


 大善にとってはあまりにも酷な話だ。かつて苦楽を共にしたはずの元妻であり、癌によって寝たきりとなった状態で唯一の支えだった心寧から遺産欲しさに死を望まれていただけではなく、弱っていた自分を介護してくれていたのは、特別縁故者として遺産相続の権利を認められるためのだったというのだから。


「心寧さんによる殺人教唆によって実際に紫音一家を殺害し、心美をも手に掛けようとした実行犯は成功報酬として大善さんの遺産の分配を約束されたごろつき──おそらくは路上生活者でしょう。大っぴらに殺人の実行犯を募集する訳にはいかなかった心寧さんは、万が一の場合にも対応できるよう、発言力の弱いホームレスに大金をちらつかせて仕事を依頼した。」


 昨晩心美を襲って来たところを捕らえた殺害の実行犯たちは、俺の尋問に対して「言ったらまた元の生活に逆戻りだ」と言っていた。要するに、刑務所で生活するよりも苦しい生活が待っているため、多額の報酬が懸かった大仕事の依頼主である心寧を裏切ることができなかったということだろう。これからの季節、まだまだ厳しい寒さが続く路上で生活する者にとっては、刑務所で過ごすのもやむなしと考えて捕まったのだとすれば、やけに大人しく警察に連行されていった襲撃犯の心境も理解できる。


「言い掛かりは止めて頂戴! だったら、そんな素人集団にわざわざ心美の殺害を命令しなくても、家にいた私が直接、心美の寝込みを襲うなりして、抵抗できない隙を見計らって確実に殺せば済む話じゃない!」


 心寧はまんまと俺の誘導に引っ掛かって、欲しかった言葉を吐き出してくれた。


「そうですよ。だから貴方は待っていたんでしょう。夜遅く、俺たちが過ごしていた大善氏の邸宅の3階で、心美と俺が眠りに就く瞬間を。だけど、心美は夜通し一睡もせずに起きていた。」


「まさか……。」


「そのまさかよ! 私はね、始めから貴方を心のどこかで疑っていたのよ……!」


 刹那、俺と入れ替わるように心美が泣き腫らした目を擦りながら怒気を孕んだ声を上げる。ここからは心美の出番だ。俺は彼女に目配せして、バトンタッチするように話の主導権を明け渡した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る