Ep.49 茉莉花一族へ向けられた殺意

 平野の運転する車に乗せられて移動すること1時間ほど、100メートルを優に超える大きな建物が見えてきた。入り口前の路上で駐車して俺たちを降ろした平野は、そのまま車で走り去って地下駐車場へと向かって行った。入り口前で橘に一般入庁者用のICカードを手渡された俺たちは、それを首から下げて堂々と正面から警視庁内部へと足を踏み入れる。


「まずはお疲れでしょうから、お風呂に入ってきて頂いて構いませんが、如何いたしましょうか。」


「ええ、お願いするわ。」


 橘の先導でそのまま浴場へと連れて行かれた俺たちは、先に湯浴みをして汚れを落としてからゆっくりと身体を芯まで温めることができた。30分前後の休息を経て、橘と合流した俺たちはその後階段で6階まで移動して捜査一課の区画へと案内された。時刻は21時を過ぎているが、未だ庁内に残って仕事をしていた数名の職員たちは、心美の特徴的な白髪を見てざわめいていた。


 ここ半年の間に数々の事件に巻き込まれた俺たちだが、当の心美は探偵として華麗に解決へと導いていった功績が各種メディアに連日報道された結果、国内における知名度はうなぎ上りだ。警視庁内部には、数年前に突如として現れた天才探偵である心美と難事件の解決のために共闘した現職の刑事たちも何人かいるはずなので、彼女の活躍を知らない者はここにはいないだろう。中には平野のように、心美の雄姿に憧れて警察を志したという若手も居るかもしれない。


「宿直室の仮眠スペースや休憩室はご自由にお使い頂いて構いません。ですがその前に、いくつか質問させて頂いてもよろしいでしょうか……?」


「ええ、勿論。」


 橘は自身が普段使用しているデスクの場所まで俺たちを誘導すると、騒然とした周囲の環境を無視してひとつ大きく深呼吸してから、本題へと入る。


「まず、単刀直入にお伺い致しますが、実行犯に指示を出していたと思われる人物にお心当たりはございませんか?」


 そんなもの、こちらが聞いてみたいくらいだと言わんばかりに俺は首を横に振って即答しようとするも、心美の方をちらりと見遣れば橘の質問に対して明らかに狼狽している様子だった。


「茉莉花さん、如何なさいましたか……?」


 ベテラン刑事である橘がそんな心美の異常に気が付かないはずもなく、歯切れの悪い彼女に対して改めて詰問する。心美は俺たちの視線を一身に集めて、気まずそうに答えを絞り出す。


「っ、分かりません……。」


「ふむ、そうですか。」


 あくまで否定する心美の返答を聞いた橘は、それ以上追求することなく次の質問に移った。


「では、先程身柄を拘束した襲撃犯たちの方に面識はありましたか?」


 面識と言うと語弊があるのだが、奴等が5年前にも心美に殺意を持って接触してきたことがあることを改めて橘へと説明した。


「なんと……! それではやはり、犯人は明確に茉莉花さんご一族への敵意を以て殺害計画を企てているということでしょうか……?」


 問題はそこだ。俺は果たして紫音一家を殺害した襲撃犯たちが明確に茉莉花一族へと狙いを定めて犯行に及んでいるのか、いまいち確信を得ていない。もし纏めて茉莉花一族を殺害したいのであれば、紫音一家を殺害した時と同様に、大善の邸宅へと押し入って心美の両親諸共もろとも計画的に俺たちを殺しに来れば良いだろう。何故わざわざ俺達が外出している間に襲い掛かってきたのか、何故心美の両親は狙われないのか、それぞれ1つずつなら取るに足らない疑問が複雑に折り重なって俺の頭の中で警鐘を鳴らす。


「そう考えるのは時期尚早だと思います。おそらく、犯人に命令を下していた黒幕は何か明確な動機に基づいて叔父一家を殺害して、俺たちを殺そうと躍起になっているようです。その動機に辿り着けなければ、真犯人を追求することもまた不可能かと……。」


「なるほど……。」


 俺の考えに納得した様子を見せる橘は、溜息と共にひとつ手を打って立ち上がる。


「このままでは埒が明きませんな。やはり鑑識の結果を待つことに致しましょう。おそらく、明日の正午までには押収した凶器が殺害事件に用いられたものなのかどうか、判断が付くと思われます。おふたりはそれまで、どうぞご自由に、ごゆっくりお寛ぎください。」


「はい、分かりました。ありがとうございます。」


 橘の好意に甘えて、俺は再び元気を失くしてしまった心美の手を引いて、自動販売機で温かい無糖のコーヒーを買ってから移動先の休憩室で彼女に手渡す。俺は敢えて沈黙を破ることなく、時の流れに身を任せて温かいブラックコーヒーをちびちびと飲みながらリラックスしていた。


「堅慎……。」


「ん、どうした?」


 10分ほどゆっくりとした時間を過ごしていると、心美の方から話し掛けてくる。俺はあくまで平静を装って、彼女に素っ気なく返事する。


「ありがとね。何も、聞かないでくれて……。」


「どういう意味だよ……?」


「なんでもない……。」


 俯きながら曖昧な返答をする心美に、俺は漸くずっと胸につかえていた違和感の原因に気が付くことができた。


「心美……。」


「なに……?」


「俺、真犯人の正体とその動機について、全部分かった気がするよ。」


「っ……!」


 心美は俺の放った言葉に対して、確かに驚いてはいるものの、その表情には何処か諦観の念が滲み出ているような、得も言われぬ悲愴感が漂っていた。


「もし心美が望むなら、俺は全部黙ってる。橘さんにも、俺の考えていることを伝えるつもりはない。俺はいつだって、心美が一番大切だから、お前の意思を尊重したい。」


「堅慎は、優しいんだね……。」


「心美はもう十分過ぎるほど苦しんだだろ。何なら今からでも、とっとと事件から手を引いて家に帰ったって良いんだ。俺は、お前の希望だったら何だって叶えてやる……。」


 そう言うと、心美はぽろぽろと大粒の涙を流しながら震える声で伝える。


「ううん、良いの……。だったら私の希望はただひとつ。堅慎がこの事件に終止符を打って。私のことを、薄暗い過去から救ってほしい……!」


「おう、任せろ!」


 俺は、心美の頬に伝う涙を肩で拭うように彼女を抱き寄せる。明日、全てに決着を付けよう。今後一切心美が泣かなくても良いように。そう胸に誓った俺は、泣き疲れてうとうとと眠そうになってきた心美と共に無人の宿直室へと向かい、明日に備えて就寝することにした。

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