Ep.47 故郷の記憶

 父・大善宅の一室へと帰還した心美は、上着を脱ぎ棄てるや身に着けていたものを取っ払い、俺が畳んで端に寄せておいた布団を敷き直して床に就いてしまう。


「ごめんね堅慎。私、今日は結局一睡もできなかったから、これから少しだけ眠らせてもらうわ……。」


「えっ、そうだったのか?」


 なんと心美は、襲撃犯を退治してから警察が到着するまでの間、俺と共に仮眠を取ったのかと思っていたが、実際は全く眠れていなったらしい。具合が悪そうに振舞っていたのはそのためだったのかと考えるも、心美はたかだか一晩眠れなかったくらいで、あれほどまでに調子を崩したことはない。とはいえ、睡眠不足は今後の捜査活動に支障が出てしまう。俺は心美が安心して眠れるよう電気を消し、彼女の隣で横たわる。しかし、心美は俺の身体を外に押し戻して告げた。


「堅慎は寝ちゃダメ! えっと、事件のことについて私の代わりに推理してて頂戴……!」


「お、おう。分かったよ……。」


 何故か心美は、適当な理由を付けて俺と共に眠りに就くことを拒否した。その真意は良く分からないのだが、疲れ切った様子の彼女を見ていると反論する気も失せてしまう。俺は心美を少しでも休ませるため、大人しく彼女の言う事に従うことにした。



 §


 

 すやすやと寝息を立て始めた心美を椅子に座って遠くから見守りながら、俺は彼女に言われた通り、もう一度事件解決に向けた突破口を模索するため、今日訪れた事件現場を脳内で再現しながら思索にふけっていた。


 正直に言って、俺に心美の叔父である紫音一家を殺害した複数犯の動機など、想像もつかない。怨恨や快楽といった刹那的な感情に突き動かされて犯行に及んだのではなく、あくまで周到な計画に基づいて合理的な目的のために殺人を犯したのだとしても、その目的など俺には分かりようがないのだ。であれば、心美の母・心寧と俺たちのみが知る、深夜の襲撃事件から整理していくべきだろう。


「深夜に襲撃してきた複数犯は今まで相手にしてきた中国スパイやその協力者と比べて、明らかに素人だったな……。」


 オーストラリアで茉莉花心美の殺害に失敗した中国スパイの立場からしてみれば、心美を本気で排除するつもりなら、より強大な戦力を投入する必要があると思うはずだ。しかし、実際に俺たちに接触してきたのは、刃物や鈍器といった何処でも手に入るような簡素な武器を装備しただけの完全な素人で、探偵稼業を通じてすっかり戦闘慣れしている俺たちにとっては、取るに足らない存在だった。


 尤も、日の出前の暗黒の中では襲撃犯の顔を視認することも叶わず、追跡も不可能だった。唯一分かったのは、戦闘中に襲撃犯が僅かに発した声や暗闇に浮かぶシルエットから、集団の中には女性も居たということだ。


「先の一家殺害事件と襲撃犯の携帯していた武器は一致している。もし奴等が同一犯なのだとしたら? 心美の叔父一家を殺害した上で、何故か俺たちの居場所を知っていた犯人はさらに心美とその母・心寧まで殺そうとした。その一方で、病床に臥せった大善氏を殺そうとする素振りはない。まさかな……。」


 俺は一瞬だけ、心美の父・大善が裏で糸を引いているのではないかと疑ってしまった。だが、すぐにそれは愚かな発想だと頭を振って思考を振り切る。犯人はあくまで、自身の犯行に繋がり得る証拠を残すことを恐れている。紫音一家殺害の現場から痕跡が消されていたこと、俺たちが襲撃犯から強奪した金属バットがどういう訳か持ち去られていたことからも、それは自明だ。だとすれば、放っておいてもどの道先が長くない末期癌の大善をわざわざ殺害して、犯人特定のリスクを高める理由などないはずだ。そもそも、心美を置いて失踪したことを泣き喚いて後悔していた大善が心美を殺害するように実行犯を操っていたようには、どうしても思えない。


「動機は不明、証拠もなしか……。」


 オーストラリアで発生した犯行予告事件ほどではないが、それでも十分に絶望的と言えるような状況に追い込まれてしまった。心美は、この事件を解決に導くだけの自信はあるのだろうか。ゆっくりと上下動を繰り返す布団の膨らみを見つめながら、俺は彼女に頼り切りではダメだと両手で頬を叩いて、もう一度じっくりと2つの事件の関連性について推理し直すことにした。



 §



 ふと鞄から手帳を取り出して、心美を含む茉莉花家の家系図を書き起こしながら、今回の事件による犠牲者と犯人グループとの簡単な相関図を作って、その動機を探ろうとしてみた。だが、一見して何かしらの関連性がありそうな犠牲者全員を結ぶ共通点はという点を除いて見当たらず、考えれば考えるほどに分からない。


「もう7時か……。」


 部屋の時計を見遣れば、時刻はすっかり19時を回ろうかというところまで進んでいた。集中していたため気が付かなかったが、良く思い返せば俺と心美は、今朝起床してから水以外に何も口にしていない。身体は正直なもので、そう自覚した途端に腹の虫が鳴り始める。きっと心美も空腹を感じていることだろうと考えた俺は、背中を向けて横向きに寝転ぶ眠り姫の肩を揺すって声を掛ける。


「心美、もう夜だぞ。何か飯でも食いに行かないか?」


「うん、行く……。」


 もぞもぞと寝返りを打ちながら答える心美のために、椅子に掛かっていた上着を取って彼女のもとまで持ってくる。寝癖のついた白髪を手櫛できながら上半身を起こした心美は、寒そうに身震いしながら俺が手渡した上着を羽織って布団を畳む。


「よし、行くか。」


「お腹空いた……。」


「だろうな。今日の俺たち、働き詰めで何も食ってないだろ。何か食いたいもんあるか?」


「お寿司……。」


 ──こんな時に寿司が食いたいなど、意外と余裕そうだな。おそらく、心美は体調面に問題があるのではなく、精神面に何かしら異常をきたしたのだろう。振り返ってみれば、心美の様子は、彼女が依頼を引き受けた時から何処かおかしかった。事件解決に向けて相棒である俺を頼みの綱だと言ったり、普段通り俺と一緒に眠るのを拒んだりなど、有り体に言えば、探偵として責任感の強い感じだ。それが最も顕著に表れたのは、保管しておいた金属バットが何者かに持ち去られた時だ。心美は何かに気が付いた様子を見せながら、そのことを俺に伝えることなくひたすらに狼狽していた。俺の中では、もはや進展が望めない事件の推理よりも、大切な相棒への心配の方が勝っていた。


「じゃあ、少し歩きながら店を探そうか。」


 俺はスマホの地図アプリで回転寿司店を検索しながら、心美と共に歩き始める。とにかく、腹一杯飯を食えば彼女の緊張も少しは和らぐだろうと考えた俺は、数時間にわたって孤独に難事件の推理をしていたために、情報処理能力を超えた状態で酷使されて熱暴走を始めた脳をクールダウンさせようと、寒空のもとへ飛び出した。住宅街を歩きながら感じる年の瀬の乾燥した冷たい空気は、俺たちの身体を芯から凍り付かせようと吹き荒んでいる。


「心美、寒くないか……?」


 極寒の突風に堪らず身を縮こませる心美は、鼻頭を赤く染めながら白くなった息を吐いて、にっこりと微笑んでいた。


「ん。大丈夫よ。」


「心美は色白だから、赤くなってると分かりやすくて面白いな。」


「えっ……!?」


「いやほら、鼻とか耳が赤くなってるぞ。」


「あ、あぁ。そういうこと……。」


 心美は目を逸らして恥ずかしそうに耳を隠す。その仕草が何だかいじらしくて、俺は心美が元気を取り戻すきっかけになれば良いと思い、脇腹を突いたりしてわざと大袈裟に揶揄ってみる。


「ちょっと、やめてよ……!」


 擽ったそうに笑いながら身をよじる心美とじゃれ合っていると、俺は降り積もった雪に足を取られて尻餅を突いてしまう。その様子を見た心美は、俺を指差して大笑いし始めた。


「あははっ……! 堅慎ってば、まるで小さな子供みたいね!」


「心美にそれを言われる日が来るとはな……!」


 俺は転んだ拍子に羽織っていた上着に纏わりついた雪をぱたぱたと払い除けていると、視界の外から柔らかい球体が飛来して俺の洋服を再び白く染める。顔を上げればそこには、素手で雪を拾い固めて今にも俺に投げつけようとしている、悪戯な少女が立っていた。


「随分と素敵な格好になったじゃない! 雪だるまみたいで可愛いわよ、堅慎!」


「この、良いんだな! そっちがその気なら──」


 服にこびり付いた雪を払うのも諦めて、俺は心美に仕返しするために足元の雪を掻き集めて彼女の方へと投げつける。俺たちは外出の目的を見失って、まだ幼かった子供時代に逆行したかのように、時間も忘れて雪遊びに興じた。こうして心美と遊んでいると、まだ俺たちがこの地域で暮らしていた頃の在りし日の記憶が蘇ってくるような気がした。

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