Ep.46 物的証拠の隠蔽工作
現場検証を終えた俺たちは一旦、茉莉花大善の邸宅へと戻って刑事たちに襲撃犯から奪い取った金属バットを見せようと、来た道を引き返していた。すると平野は、心美の風貌を見て、つかぬ疑問を口にする。
「茉莉花さん、何故冬場にもかかわらずサングラスを掛けてらっしゃるんですか?」
「あぁ、それはね──」
ほとんど日の出ていない昼間の寒空の下でサングラスを身に着けて黒キャップを被り、降り積もった雪のように白く艶やかな髪をコートの下に隠している心美は、紫外線に弱いアルビノ体質について簡潔に説明する。雪は紫外線の反射率が極端に高いため、雲の隙間から僅かに差し込む日光でも心美にとっては凶器となり得る。
俺は心美の柔肌に火傷を負わせないために、歩きながら彼女の肌を露出させないようにマフラーを整えてやると、彼女は俺の方を振り返ってふっと微笑む。その表情を見て、俺の胸にはまたしても得も言われぬざわめきが押し寄せてきた。
「これは不躾な質問でした。僕はてっきり茉莉花さんの探偵としての拘りなのかと……。」
「平野、職務中であることを忘れるな。」
橘の叱責により、平野は分かりやすく委縮してしまう。その貫禄と有能ぶりから察するに、今更ながら橘は警視庁捜査一課の中でも相当に存在感のある人物だということが窺える。
そうこうしているうちに、俺たちは大善の邸宅へと再び戻ってきた。深夜の襲撃犯から押収した鈍器は、俺たちが大善の許可を得て滞在していた3階の客間の押し入れに保管してある。
「それでは、ここでお待ちください。」
俺たちは刑事2人を門扉の前で待たせて、金属バットを取りに邸宅の玄関を抜け、一直線に階段へと向かう。しかし、あろうことか肝心のバットは保管しておいた場所から跡形もなく消えていた。俺たちは慌てて部屋中を捜索したが、凶器は何処にも見当たらなかった。
「嘘だろ……!? まさか襲撃犯共が俺たちが外出している間に大善氏の家に侵入して、バットを回収したってのか!?」
「お、落ち着いて堅慎! 確かに私たちは家の鍵を持っていないから施錠して出て行った訳ではないけれど、家には両親が居たはずだし、部屋が荒らされた様子もないわ。何か変よ……。」
あくまで平静を保って現況を分析する心美の言葉を頭で反芻しながら辺りを見回せば、確かに彼女の言う通り襲撃犯によって部屋が物色された形跡もなく、念のため押し入れの中に保管しておいた金属バットは、まるでそこにあったことが初めから知られていたかのように、あっさりと持ち去られてしまった。
「私たちが移動時間と現場検証に費やした時間は精々1時間ちょっとだわ。その間に私たちが部屋を空けることを知っていて、奪われた金属バットの在処も分かっていて、その上で家に残っていた両親にバレないようにこっそり持ち去るなんて不可──」
すると心美は、何かとんでもないことに気が付いてしまったかのような表情で硬直する。その顔には、どこか悲愴感が漂っているようにも見えた。
「どうしたんだよ、心美……?」
「っ、なんでもないわ。一先ず、念のため家に残っていた両親に不審な人物が家に侵入しなかったか、聞いてみることにしましょう……。」
心美は心配そうに紅い瞳を覗き込んで語り掛ける俺の存在に気づいて、はっと意識を取り戻して誤魔化すように口を動かす。彼女の物憂げな横顔に、俺はこれ以上追求してはいけない気がした。
結論から言って、俺たちが留守にしている間に不審な人物を見かけなかったかという問いに対する心美の両親の答えはいずれも「分からない」だった。やはり、金属バットが深夜俺たちを襲った襲撃犯によって回収されたという俺の短絡的な当て推量は、的を射ていないようだ。
§
「遅かったですね。何か問題でも起きましたかな?」
邸宅の敷地の外で俺たちの到着を待っていた橘と平野は、俺たちが襲撃犯から奪い取ったと主張した金属バットを手にしないまま戻って来たことを不思議そうに首を傾げる。俺は未だ動揺している心美に代わって、事の次第を説明した。
「なんと。それは本当ですか……?」
「名探偵の名に懸けて、嘘ではありません。」
俺は勝手に心美の名探偵としての名誉を拝借するが、実際に真実を伝えている上、心美自身も最高の相棒として俺の言葉は2人の総意だと言っていたから問題ないだろう。
「不可解ですな……。いずれにしても、茉莉花さんと岩倉さんが襲撃を受けた深夜の事件と今回の紫音一家惨殺事件に何らかの関連性が浮上した今、私たちの行動が犯人側に筒抜けになっている可能性は否めません。」
そう言いながら、橘はきょろきょろと周辺を舐め回すように観察する。だが、俺たちの動向が犯人側に知られているとしても、物陰から直接こちらを監視しているという訳ではないようだ。
「そんな、一体どうやって……。」
平野は不可解な2つの事件を巡る新事実に、動揺を隠せない。きっと彼はまだ現場の刑事としての経験は浅く、未曽有の難事件を前に付いていけていないのだろう。俺も天才探偵である心美を常に隣で見守ってきた存在として、彼の気持ちは痛いほど良く分かる。
「茉莉花女史、何か意見はありませんか……?」
手詰まり感に包まれた重苦しい雰囲気を打開すべく、橘は先程から黙りこくっている心美に発言を求める。だが、心美にはさっきまでの余裕はなく、苦しそうな表情を浮かべて激しく狼狽している。
「心美、大丈夫か? 具合でも悪いのか……?」
この世の終わりを悟ったかのような顔で震える心美の肩に手を添え、優しく尋ねる。だが、心美は俺の目を見返して苦笑いを浮かべながら「大丈夫だ」と繰り返す。その様子は、明らかに普通ではなかった。
「とにかく、今日のところはこれ以上の進展は望めそうにありませんな。私たちは一度警視庁に戻って、茉莉花女史から受けた助言や襲撃事件について報告してきます。明日改めて、今日と同じ時間に大善氏の邸宅へお伺いいたしますので、そこから捜査を仕切り直しましょう。」
心美の異常に気が付いた様子の橘は、ここらが潮時だと踏んだのか、今日の事件調査は打ち切りにするようだ。金属バットという重要な物的証拠が持ち去られてしまった以上は、刑事である橘や平野の立場からすれば、武器を持った複数人に襲われたという俺たちの証言を鵜吞みにする訳にもいかないのだろう。彼らにも、調査結果を持ち帰って組織内部で議論する時間が必要だ。
「分かりました。それではまた明日、お待ちしております。」
俺は橘と平野に別れを告げ、調子が悪そうな心美の背中を擦りながら大善宅の3階の客間へと引き返していった。俺はこの時点で、不可解な2つの事件の共通点に少しずつ気が付き始めていた。
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