動機不明の大量殺人
Ep.44 捜査開始
身体中の体毛が全て逆立つような寒気を感じて目を覚ます。体感的に3時間程度しか眠れなかった気がするが、全く休息を取らないよりかは幾分マシだろう。眠りに就く前までは布団の中で感じられた心美の温もりが無くなっていることに気付いて身体を起こし、辺りを見回すと、珍しく俺より先に起床して椅子に座ってスマホを弄る心美の姿が目に入る。
「んぉ、おはよう。」
「あら、おはよう堅慎。貴方の寝顔を見れたのが久々過ぎて、折角だから写真でも撮っておこうかと思ったのに……。」
残念そうに頬を膨らませる心美の企みを聞いて、俺は良いタイミングで起きたものだと思う。心美の父・大善から聞いた話では、もういつ警察官が訪問してきてもおかしくない時間帯だ。俺は早急に布団を畳んで部屋の端に寄せ、顔を洗って歯を磨いた後、昨日から着続けているため皺のついた服を誤魔化すように上着を羽織り、軽く髪を整える。慌ただしく身支度をする俺とは対照的に、心美はとっくに身なりを整えてリラックスしていた。
「一体いつから起きてたんだ……? ちゃんと眠れたのか?」
「眠れる訳ないじゃない。ドキドキしっぱなしだったわよ。」
「そうだよな。かつて自分を棄てた親とひとつ屋根の下で、冷静で居られる訳ないよな……。」
「それもあるけど……。もう、馬鹿。」
心美の察するに余りある心中を思いやって理解を示したつもりが、何故か罵倒で返されてしまう。俺は挙動不審な心美の言動に首を傾げながらも、手早く身支度を終わらせた。
「よし、それじゃあ下に行って警察の到着を待つか。」
§
俺たちは階段を下って1階のリビングへと向かい、叔父一家殺害事件について親族である大善のもとへ事情聴取に来るはずの警察官を待つこと10分ほど、玄関のインターフォンが鳴らされた。心美の母・心寧はまだ眠っているのか、来客を出迎えようとする様子もない。言わずもがな、大善は寝たきりの状態だ。俺はこの邸宅の家主という訳ではないが、ここはやむを得ないだろう。
「はーい! ただいまお迎えに上がります!」
俺は広大な邸宅のリビングから廊下を挟んだ玄関口まで届くような大声で、来客を呼び止める。すたすたと玄関まで向かってドアを開けると、スーツ姿の若い好青年と貫禄のある年配男性の2人組が警察手帳を
「先日こちらへお伺いする旨お伝えしております、警視庁捜査一課・捜査官の
「同じく、
「どうも……。」
「失礼ですが、貴方は茉莉花さんではありませんね。一体どちら様でしょう?」
橘と名乗ったベテラン風の年配捜査官は、茉莉花大善を訪ねてきたにもかかわらず、年端も行かない若造が出てきたとあって警戒心を露わにする。それはそうだ。捜査が暗礁に乗り上げている重大事件を前にして、見慣れない不審人物がいきなり現れたとあっては、警察官として疑いの目を向けるのは当然と言えるだろう。
「いえ。俺は病床に臥せって動くことのできない茉莉花大善に代わってお出迎えをしただけで、決して怪しい者ではありません。詳しいことは中でお話しますので、外は冷えるでしょうから、まずはお上がりください。」
すると、依然として警戒を解かない平野と言った若手捜査官とは異なり、橘は一先ず納得したような表情で会釈をしてから、玄関の敷居を跨ぐ。
「ふむ。それでは、お言葉に甘えてお邪魔致します。」
「あ、お邪魔します!」
§
俺はリビングで待機していた心美に一声掛けてから、2人の捜査官を廊下の突き当りに位置する大部屋で孤独に病魔と闘い続けている大善のもとへ案内した。
「茉莉花大善さんですね? この度は弟さん一家の件、心からお悔やみ申し上げます。」
「ええ……。」
橘は大善に向けて、簡単な現況説明をする。聞けば、殺害されたのは心美の叔父に当たる茉莉花大善の弟・茉莉花
そして続けざまに、紫音宅の2階で登校の準備をしていた高校生の長男及び長女が纏めて殺害された。ただし、その際に使用されたのは夫婦を襲った刃物ではなく、鈍器だったという。犯人は一家の殺害後、複数の凶器を現場から全て持ち去って、指紋や
「ところで、こちらは、かの有名な茉莉花心美女史だとお見受け致しますが。」
背後で事件の概要を黙って聞いていた俺たちの存在に気づいた橘は、大善の方を向いたまま目線だけをこちらに寄越して訝し気に尋ねる。
「戸籍上、心美は私の娘です。尤も、今の私に父親を名乗る資格はありませんが……。」
「ふむ。何やらのっぴきならない事情があるようですな。心美さんの同席を大善さんは認めている──ということでよろしいのでしょうか?」
「はい。この度、心美は探偵としてこの難解な事件の解決に協力したいと申し出ております。そのため、現場の刑事さんと情報を共有しておいた方が良いだろうと思いましてね。」
捜査官2名の注目を集めた心美は、ここぞとばかりに口を開く。
「どうも。改めまして、茉莉花心美です。叔父一家の殺害事件は、私にとってまさに青天の霹靂でした。ですが、私も権威ある名探偵として、身内が殺された事件を黙って見過ごすことはできません。私たちにも、貴方方現場の捜査官が有している情報を共有して頂きたく。」
心美はあくまで当たり障りのない理由を付して、警察との協力関係を樹立しようと試みる。
「茉莉花心美女史──貴方のご活躍は兼ねがね耳にしております。実はこいつも、数々の事件を颯爽と解決に導く茉莉花探偵の手腕に憧れて、捜査官を志したらしくてね。」
橘は若手捜査官の平野を親指で差して、愛想笑いを浮かべながら社交辞令を述べるも、突如として表情を一変させ、まるで品定めでもするかのように、凍て付く視線を心美に向ける。
「一方私は、探偵という人種があまり信用できないのですよ。まして、貴方のようなうら若き少女が、熟年の警察官が束になっても解決できない事件を次々に紐解いていくなど、正直に言って想像もつかない。所詮は夏の心霊番組か、はたまた胡散臭い霊媒師による予言の
我が相棒に対してあまりにも敬意を欠いた橘の物言いに俺は怒りを覚えるが、当の心美は、むしろ満足気な表情で笑い飛ばして見せる。
「へえ。貴方、気に入ったわ。現場の捜査官たるもの、まずは何でも疑ってかかる
「ほう……?」
心美による提案を聞いた橘は、片方の眉を吊り上げて興味を示す。心美の言う警察も把握していない情報とは、今日未明、武器を携帯した複数犯に襲撃を受けたという事実だろう。
「互いに悪い話ではないはずよ。貴方方は事件解決に向けて有益な情報を得ることができ、私たちは事件の全体像を把握することができる。どの道、私たちの共通目標は一家惨殺事件の解決でしょ。だから利害は一致している。この提案を断る理由なんてないわよね?」
「これは、御見逸れしました。確かに、貴方はそこらの凡庸な探偵とは全く違う、話の分かる御方のようだ。承知しました。大善氏への事情聴取が終わったら、実際に被害者宅へと赴いて現場検証を行う予定ですので、貴方の同行を認めましょう。」
「うわぁ、すげぇー……! あの頑固な橘さんを言い包めるなんて! やっぱり、本物の茉莉花探偵なんだぁ……!」
憧れの心美の凛とした立ち振る舞いを見て、職務を忘れて感嘆の声を漏らす平野の頭上に橘の拳骨が飛来する。両手で頭を抑えながらぶつくさと文句を垂れる平野を余所目に、橘は心美に改めて問う。
「ところで、貴方は頻りに私たちと仰っていますが、そこの彼は?」
「ああ、堅慎は私の有能な助手であり、最強のボディーガードでもあり、最高の相棒よ。有事の際、彼の言葉は私たち2人の総意だと考えてもらっていいわ。」
そうきっぱりと言い切る心美に、頭では分かってはいたものの、俺はそこまで信用されているのかと、嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが
「茉莉花女史からそこまで全幅の信頼を寄せられているならば、貴方も信頼に値しますな。失礼ですが、お名前は?」
「俺は岩倉堅慎──心美とは幼馴染です。心美が数々の事件を解決に導いてきた稀代の名探偵であり、俺もその助手として場数を踏んできたことは保証します。」
俺は心美の探偵としての手腕を疑っていた橘に対して、彼女の名誉を守るためにも相棒としての所見を添える。
「分かりました。それでは、病身の大善氏をこれ以上お待たせする訳にはいかないので、遅くなりましたが、通り一遍の事情聴取にお付き合い願います。平野、きちんとメモを取っておくようにな。」
「橘さん、承知しました!」
§
形式的な事情聴取を終えた俺たちは、大善に別れを告げて部屋を後にする。昨日──正確には今日の深夜だが、大善本人が言っていた通り、警察の事情聴取に彼が提供できる情報など限られたものだった。やれ被害者である茉莉花紫音に恨みを持っていた人物は居るかだとか、やれ加害者に心当たりはあるかだとか、大善にとっては答えようもない質問ばかりが並べられたからだ。
橘もそれは理解していたようで、頻りに「分からない」と繰り返す大善の話を、遮ることなく冷静に聞いていた。結局20分前後に渡る事情聴取の結果得られたのは、被害者・茉莉花紫音の生育歴、学歴、職歴などの経歴に加え、趣味嗜好、家庭環境といった既出の情報の裏付けや捜査には役に立ちそうもない断片的な情報ばかりだった。
「そもそも、複数人を一度に殺害する犯人の動機は大抵の場合、怨恨や快楽目的、あるいは想定外の目撃者が発生した場合に口封じするため衝動的に手に掛けてしまうといったことが想定できるけど、そのどれもが非合理的、ないしは非計画的であるという側面があるわ。要するに、一時の感情に身を任せた結果として殺してしまうということね。」
「なるほど……?」
事情聴取を終えた捜査一課の2人と共に部屋を出た心美は、廊下をゆっくりと歩きながら自身の見解を口にする。橘は心美の推理に、お手並み拝見といった様子で耳を傾けている。
「でも、犯人は一家を殺害した後、凶器を持ち去って指紋や足跡痕といった自身に繋がり得る痕跡を、全て跡形もなく消し去っていったんでしょ? つまり、此度の犯行は、事前に入念な殺害計画を練った上で実行に移されたものである可能性が高い。」
「それ、俺もさっき考えてた!」
橘から現況説明を聞いた際に考えたことと同じことを口にする心美の意見に、俺は激しく賛同する。
「なるほど、矛盾していますね!」
平野は心美の推理に聞き入って、歩きながら器用にメモを取っている。平野は成人したばかりの俺や心美と大して年の差を感じない若々しい風貌だが、橘と同じ警視庁捜査一課に所属しているということは、それ相応の年を重ねているはずだ。
「要するに、動機はもっと他のところにあると言いたい訳ですね……。まあ、より本格的な捜査は実際に現場検証をしながら情報交換をした後に始めましょう。」
橘の発言に従って、俺たちは一旦闇雲な推理を止め、被害者一家の殺害現場である紫音宅へと向かうために玄関へと歩を進めた。
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