Ep.43 都合の良い言い訳

 闇夜に紛れて襲い掛かってきた複数人の襲撃犯を撃退した俺たちは心寧と共に邸宅へと戻り、病床に伏せる大善の前へと再び現れることとなった。茫然自失とした様子の大善は、心美が戻ってきたことに驚き、弱々しく身体を震わせていた。


「ど、どうした心美。忘れ物か……?」


「いいえ。やっぱり私、叔父さん一家を殺害した犯人の捜査に協力するわ。」


 俺たちは大善に先程邸宅の車庫で発生した事件を端的に説明して、心美が心変わりするに至った経緯を述べる。


「な、それは危険だ──うぅ、ごほっ……。」


 心美の決心に対して、大声で異議を唱えようとした大善はせ返って喀血かっけつする。病名は肝臓癌だと言っていたが、恐らくステージ4ということは、多数の呼吸器系の臓器にも癌細胞が転移しているのだろう。その異様な光景に、心美の父が死病を患っているということを改めて実感させられる。


「危険は承知よ。でも、今回の襲撃犯と叔父一家の殺人犯が同一犯なのだとしたら、早急な事件解決に乗り出すのが最も安全だという見方もできるわ。」


「それは、そうかもしれないが……。」


 大善は、至って真剣に心美の身の安全を考えているようだ。その優しさや思いやりの精神は、何処か心美本人と似通ったものを感じてしまう。本当に、何故このような父親が心美を置き去りにして失踪する決断をしたのか、俺は甚だ疑問でならない。


「わ、分かったよ。今日の午前中、私のもとに警察が事情聴取に来る手筈になっている。探偵として名を馳せた心美のことだ。警察もお前に対してなら、内情を包み隠さず話してくれるはずだ。私が話せることなどほとんどないが、心美も同席すると良い……。」


 それは好都合だ。事件を解決するにしても、およそ3日前に発生した事件なのだから、今更現場である叔父一家の住居へ赴いても、目ぼしい手掛かりは全て警察によって回収されているだろう。であれば、警察と直接話して情報共有してもらった方が遥かに効率的だ。心美には、これまで日本の警察が解決し得なかった難事件を解決してきたという功績がある。そんな心美が迷宮入り直前の事件に介入して調査に乗り出そうというのだから、警察側もその提案を無下にはできまい。


「ほとんど休む時間はないだろうが、警察が来るまではまだ時間がある。3階に使っていない客間があるから、一先ずそこで寛いでいなさい。」


 すると、大善は俺の方を手招きして近くに寄るように促す。おそらく、俺に何か話すことがあるのだろう。


「心美、先に行っててくれ。」


「あ、うん……。」


 先に心美を部屋に向かわせて、俺は動けない大善のもとまで歩み寄り、用を尋ねる。


「失礼だが、君は、誰かね……。」


「俺は茉莉花探偵事務所の所長である心美の助手をしております、岩倉堅慎と申します。」


「っ、君はもしや。小さい頃の心美と良く一緒に遊んでくれていた、あの岩倉君かい?」


 なんと、驚くべきことに大善は幼少期の俺を知っているらしい。


「良くご存じですね。心美のことを疎ましく思って、資産家としての名誉を守るために彼女を見捨てたにもかかわらず。」


 俺は最大限の皮肉を込め、父親としての責務を放棄した父親を睨みつける。


「そうだな……。弁解の余地もない。今となってはただの言い訳に過ぎないが、私は不動産投資で財を築いた所謂成金なりきんでね。一代で莫大な富を得た私に恨み妬みを抱える人間は、周囲に数多く存在した。そんな中で、生まれてきたのが心美だったんだ……。」


 俺は今まで知らなかった心美の家庭事情について、他でもない父・大善の口から詳細を説明される。その言葉と語り口調からは、嘘偽りのない誠実さがひしひしと伝わってくる。


「アルビノとして生まれた心美は知能も高く、幼少期から誰もが羨む美貌を併せ持っていた。経済的に恵まれた家に生を受けたアルビノの子というだけで、私に向けられていた恨み妬みは、次第に娘へと向けられるようになったんだ……。心美と同年代の子を持つ親は、彼女とは仲良くしないように娘・息子へ言い聞かせ、心美が周囲から孤立するように仕向けた。その代わり、アルビノの心美の個性的な外見を蔑むような陰口が至る所で叩かれた……。」


「……。」


 胸糞の悪い心美の生い立ちが明かされ、思わず絶句してしまう。そんな俺の心境などお構いなしに、大善は続けた。


「当然、親である私たちの家にも、毎日のように嫌がらせがされるようになった。近所の子供が軒先に石を投げてくるくらいなら可愛いもんだ。だが、私たちの家の住所を知っている近所の住人が、注文しても居ない高額な配達物を着払いで送り付けてくるだとか、ポストに小動物の死骸を入れられるだとか、そういった犯罪行為が後を絶たなくてな……。」


「……。」


「そのうち、精神を病んでしまった妻に言われたんだ。『心美を置いて引っ越そう』とね。経済的に裕福な私たちと心美が共に居れば、また何処かで妬み蔑まれることになるからと。当時、気が動転していた私は妻の言いなりになって、家を飛び出したんだ。せめてもの償いとして、家財は全て残していってね。でも、私はそのうち自身の過ちに気付いて、心美を迎えに行ったんだ。だが、その頃にはもう、心美は違う何処かで1人暮らしを始めていた。次に心美の姿を見たのは数年前、探偵としての世界的な活躍がテレビ報道された時だよ……。」


「貴方が受けた嫌がらせ行為による心労は計り知れません。でも、それは心美も同じだったはずです。貴方は心美の父親として、彼女から距離を置くのではなく、護ってやるべきだった。」


 大善が述べた、ある日突然心美を残して失踪した理由は、その全てが理解できないものではない。しかし、本人も自覚しているように、冷静になって考えれば間違った判断だったことは明らかだ。


「失踪した直後から、心寧とは、心美を巡る意見の対立から諍いの絶えない毎日を過ごしてね。こんなことになるなら、どんな嫌がらせを受けようが心美と共に過ごしていた方がどれだけ幸せだっただろうと、今でも在りし日の自分に殺意が湧くほど後悔しているよ。本当に、私はなんてことをしてしまったんだ……!」


 俺はふと、会話の中で大善の口を衝いて出た言葉が胸につかえて聞き返す。


というのは、どういうことですか……?」


「娘を巡って日夜喧嘩ばかりしていた私たちは、その時から既に婚姻関係を解消していてね。つまり法律上は、心寧とはもう赤の他人ということになる。けど、彼女は今も定期的にこんな私の面倒を見てくれているよ……。」


 掠れた声でぼろぼろと大粒の涙を流す大善に同情はできない。だが、この男も憐れな人間の悪意による被害者の1人ではあると思う。


「心美にも俺に話してくれたような失踪の経緯を、直接伝えてみては如何ですか。」


「っ、できない……! 今更こんなことを言ったところで、心美を困らせて過去に縛り付ける重荷になるだけだ。どう取り繕ったところで、私は娘を見捨てた最低の父親であるという事実は、二度と覆らない。後からこんなことを言って、心美の同情を誘うようなやり方は卑怯極まりないことくらい、私も理解しているつもりだ……。」


「そうですか……。」


 一頻り大善の話を聞き終わった後、俺の脳内に1つの疑問が浮上した。心美の母・心寧が事務所を訪問してきた際には、まるで心美の前から失踪するのは父である大善の提案だったと言いたげな口ぶりだった。一方で、大善の主張によれば、それは元妻・心寧の希望だったようだ。しかも心寧は失踪について「私は反対した」とまで口にしていた。敢えて大善を悪者のように扱ったのは、心美に事件解決を依頼するための方便なのか、あるいは何か他に明確な意図があったのかは、現時点では分からない。だが少なくとも、俺は心美の両親による主張の食い違いに、確かな違和感を覚えていた。


「ところで、君は何故今も心美と共に?」


 俺は大善の疑問に答えるため、一家心中により天涯孤独となった俺と、両親が失踪したことで孤独な暮らしを強いられていた心美が身を寄せ合って生活を共にしてきたこと、そしてその中で経験してきた苦楽を簡潔に纏めて伝えた。


「そうだったのか。君にも苦労を掛けてしまったんだな……。」


「心美の味わってきた苦難に比べたら、俺なんて何でもないですよ。」


「この期に及んで厚かましい願いだというのは重々承知しているが、どうか娘のことを今後ともよろしく頼む。そして叶うなら、心美のことを幸せにしてやってほしい……。」


「本当に厚かましいですよ。そんな我儘は聞き入れられません。でも、俺はわざわざ貴方に言われるまでもなく、そのつもりですから。」


 大善に決意を込めた目線を送って部屋を後にした俺は、心美の待つ3階の客間へと足を運んだ。



 §



「ただいま。まだ起きてたのか? 少しでも寝ておかないといざって時に頭が働かないぞ。」


「おかえり。遅かったじゃない。堅慎が居ないから寝付けなかったのに……。」


 心美は文句を垂れながらも、既に押し入れから布団を引っ張り出して床に敷いてくれていたようだ。


「軽くシャワーだけ浴びてくるから、ちょっと待っとけ。」


でよろしく。」


「へいへい……。」


 俺は心美に急かされるまま、適当にシャワーを浴びて歯を磨きながら最低限髪を乾かすと、ぽんぽんと俺を誘うように布団を叩く心美のもとに滑り込むようにして横になる。


「何を話してたの……?」


「まあ色々とな。」


 俺は事件のことについて色々と情報共有をしていたということにして、心美の両親が既に離婚していたことなど、話せる範囲で大善との会話の内容を伝えた。


「そうだったの……。」


「驚かないのか?」


「別に、もう私にとっては赤の他人の話よ。関係ない人の離婚沙汰なんて興味ないでしょ?」


「そうだな……。」


 心美にとって、両親はもはや肩書上の存在でしかないのだろう。


「まあなんにせよ、数時間後に来るであろう警察との情報共有に備えて、仮眠は取っておこう。いよいよ本格的に、心美の叔父一家を殺害した犯人を見つけ出さなきゃいけないからな。」


「そうね……。」


 物憂げな表情で布団の中の身体を震わせる心美は、気丈に振舞ってはいるものの、きっとどこか寂しい思いをしているはずだ。俺は彼女の心に空いた穴を埋めるようにそっと抱き寄せて、彼女に危険が及ばないためにも早急な事件の解決を胸に誓って眠りに落ちた。

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