Ep.33 間違った責任感
煌々と輝く月の光に照らされた山道を、車に揺られて移動することおよそ30分──
「──犯人はやはり車でGBS本社まで訪れた上で、ココミを近場の山奥に連れ去ったということかしら……!?」
「──この周辺に山といったらどこですか!?」
「──ビル内に待機させていた社員全員に号令を掛けたわ。ココミは暗号通り近場の山奥に連れ去られたと想定して、付近の山や丘を徹底的に捜索させる。」
「──おのれ、外道め……。必ず俺の手で始末をつけてやるからな……!」
誘拐犯が右手に持っているスマホのスピーカーからは、相棒である堅慎と、かつての仕事仲間・アイーシャが私の行方を巡って会話している音声が流れてくる。
「間抜け共が。部屋に盗聴器を仕掛けておいたことにも気が付かずに、べらべらと御自慢の推理大会か……! 実に愉快だな!」
見た目は中国人──しかし、抵抗できない私に向けて挑発的に語り掛けているのか、使用している言語は日本語だ。やはり、こいつらは中華人民共和国直属組織に所属しているスパイの一党だろう。
「茉莉花探偵。あんたはどうやって俺に攫われる直前にメッセージなんか残したんだ……?」
§
時は、堅慎がアイーシャと共にGBS本社ビル1階の貴重品保管庫を警備するために部屋を出てから、彼此5時間が経過した時点まで遡る。覚悟していたその時は、漸く訪れた。
──ジィー、パキッ。
部屋のベッドに座りながら寛いでいると、突如として背後にあった窓ガラスから異音がしたため振り返る。すると、そこには闇夜に紛れるようにしてビルの外壁に張り付いた黒尽くめの不審者が居た。不審者は窓ガラスをガラスカッターで小さく半円状に切り取って穴を空け、ご丁寧に穴から手を差し込んで内側から鍵を解錠して窓を開けてから、オーストラリアの夏の生温い外気と共に内部へと侵入してくる。
「よお、茉莉花探偵。予告通り、今GBS本社ビルにおいて最も価値ある者を頂戴しに参上した。驚いたかな?」
まさかこのような手口で誘拐犯が侵入してくるとは予想だにしなかったため、その点については確かに驚きだ。しかしながら、今日犯行予告状を送り付けてきた犯人が
「こんな高いところまで地道によじ登ってきただなんて、ご苦労なことね。」
「なに……?」
余裕綽々な私の態度に意表を突かれた様子の侵入者は、覆面を被っていて表情は見えないが、狼狽しているのが手に取るようにわかる。
「今ここで言い当ててあげましょうか。覆面で容姿を隠しても、積年の日本語教育によって手に入れた堪能な語学力でも、貴方の正体は中国スパイで、私のことを狙っていたというのはお見通しよ。」
すると、侵入者は観念した様子で覆面を取って、その青褪めた表情を露わにする。
「犯行予告状以外に俺は何も痕跡を残した覚えはない……! 何故分かった!」
「犯行予告状を送ってくる犯人の動機から推察したのよ。ちょっとばかり変わり者で有能だったという点を除けばただの一警官に過ぎなかったアイーシャが設立した警備会社を標的にして、執拗に予告状を送り続ける犯人の目的は何なのか。」
「……。」
「貴方、アイーシャと私が昔、未曽有の国際犯罪を協力して解決したというニュースを何処かで見聞きしたんでしょう。彼女と私の間に接点があると知っていた貴方は、私をオーストラリアに誘き出すためにアイーシャの警備会社が契約している施設に対して悪戯目的の犯行予告状をばら撒いて、彼女の会社の信用を失墜させた。その窮状に耐えかねたアイーシャは、かつての戦友である私に事件解決の依頼を申し込むだろうと、貴方は踏んだ。」
「あんたの言うことが正しいとして、俺があんたをオーストラリアに誘き出す目的とは……?」
「簡単な話よ。日本で『スパイ防止法』が制定されたことは当然知ってるわよね? 貴方たち中国スパイにとっては、日本侵攻計画の根幹を揺るがしかねない想定外の事態よ。『スパイ防止法』によって水際対策が強化された日本への入国及び活動が困難となった貴方たちは、日本侵攻計画における最大の障壁である
「そこで貴方たちは、オーストラリアで私と接点のあるアイーシャが警備依頼を受けている施設に次々と犯行予告をして、アイーシャがかつての戦友である私に事態の収束を依頼することを期待して、この地へ私を誘き出そうとした。私は貴方たちの計画に、まんまと引っ掛かったって訳ね。」
「今まで行ってきた犯行予告を実行に移さなかったのもこの時のためでしょう? 予告状の内容が現実に起きたことが無いという信憑性の低さを利用して私たちの油断を誘い、GBS本社へと送り付けた予告状通りの犯行に及んだ。そうして私に接近した貴方は、これから私を拉致・監禁して、探偵稼業を通じて知り得た情報を全て吐かせるために拷問にかけ、無残に殺害する予定だと、そんなところかしら。」
私の推理を一通り聞いた侵入者の男は、くつくつと腹を抱えながら音を立てないように笑いを押し殺す。
「茉莉花探偵は容姿端麗であられる上に、本当に頭が良くキレるお方だ! 本当にこれから殺してしまうのが口惜しくて堪らないよ!」
「あら、だったらこのまま見逃してくれるかしら?」
「ダメだ。祖国に
気味の悪い薄ら笑いを浮かべていた男の目つきが一変して鋭くなる。──怖い。でも、私がやらなくちゃダメなんだ。
「なああんた、そこまで分かっていながら何故逃げない……? そもそも、ボディーガードの男は何処に居やがる?」
私にとっては、今回の事件の犯人に繋がる証拠がほとんどないことだけが問題だった。中国スパイが裏で糸を引いていることなど、すぐに察しがついたものの、その推論を裏付ける証拠が犯行予告状を除いて何もない。そこで私は自らの身柄を、犯人を誘き出すための撒き餌──すなわち
「堅慎は私にとって大切な──愛すべき人なの……。彼が私と一緒に居たら、きっと巻き添えになってしまうわ。私は大人しく付いて行くから、今日のところは、彼のことは見逃して。」
男は訝し気な表情で思案を巡らせるも、最終的には納得した様子でにやりと口角を上げる。
「茉莉花探偵の殊勝な心掛けに免じて、奴は生かしておいても良い。あんな奴、所詮はあんたのおまけ程度の取るに足らない存在だ。計画に支障はない!」
「何ですって……!?」
いけない。大切な相棒を侮辱されたことで頭に血が上って、目の前の憎きスパイを睨みつけてしまう。堅慎のためにも、ここは彼が犯人を追うためのヒントを残さなくては。心配性の堅慎によって、私のスマホにはGPSによる位置情報追跡機能が搭載されている。だが、今はそんなもの何の役にも立たない。なぜなら、スマホを携帯して行ったとしても、結局は誘拐犯に見つかって壊されるのが関の山だからだ。ここは敢えてスマホに堅慎へのメッセージを残して部屋に置いておく方が賢明だろう。
私はベッドに置いていたスマホを後ろ手に手繰り寄せ、指紋認証で画面を起動させる。犯人の来訪を事前に予測していた私は、侵入者との会話によって引き出した情報を部屋に残していけるように、
「おー、怖い怖い。まあいい。色々と手間が省けたからな。さぁ、俺と一緒にここを出てもらうぞ。」
「待って。私を何処へ連れて行くつもりかしら。」
「そんなこと聞いてどうする。これ以上、あんたのお喋りに付き合うつもりはない。」
「私は体質的に、日の光を浴びたらどの道死んでしまうわ。だったら、今ここで抵抗して貴方を警察に突き出した方が良いかと思って。」
口から出任せを続けて、粘り強くなんとか情報を引き出そうとする私の努力は、遂に結実することとなる。
「ふん、そんなことか。なら安心しろ。どの道あんたが明日の朝日を拝むことはない。」
「どういうことかしら……。」
「簡単なことさ。今晩中にあんたから聞きたい情報を全て聞き、後は土にでも埋めてくれるわ。」
──土か。そう言われて床を見遣ると、侵入者の歩いたところには土砂による足跡が残されていることが分かる。ここGBS本社は四方を自然に囲まれていて、都市部とは距離のある場所に位置しているため、私を監禁するための拠点はこの周辺に構えているはずだ。侵入者は土の付着した靴を履いていて、付近の人目に付きにくい場所という限定的な条件を鑑みれば、犯行直前まで山中に居たということになりそうだ。それも、どれだけ音を立てても気付かれないような山奥だろう。
「だったら、貴方の車に乗った瞬間に暴れて道連れにしてあげるわよ。」
「そんなことは不可能だな。すぐ下に俺の仲間が待機しているから、あんたは自由に身動きひとつ取れんよ。それに、目的地はここからそう遠くないから暴れる暇もなく、すぐに着くさ。」
>cyp tp1c haM
──よし。これで問題なく堅慎たちに情報が伝達されるだろう。後は犯人グループに悟られないように、私の行方を捜索してくれることを願うだけだ。叶うことなら、あんまり痛めつけられたくないな……。
「ほら! 時間稼ぎがしたいんだったら生憎だが、もう行くぞ!」
犯人は私の両足を縄で縛り付けて、身体を肩に担ぐようにして持ち上げられる。
「死にたくなかったら捕まってな。暴れるんじゃねえぞ。」
地上60階の開いた窓の外から見える景色は、目の前の誘拐犯と同じくらい怖い。何やら犯人は、取っ手付きの大きな吸盤のような円状の物体をビルの窓ガラスに張り付けながら力任せに下っていく。私は落下しないように、仕方なく恐怖の根源である誘拐犯の首元に捕まって目を閉じる。
「ちょっと! そんなもので人間の体重を支えながら地上まで下りるつもり!?」
「安心しろ。こいつはスイッチを押せば中の空気が抜けて吸盤が壁に張り付く優れものでな。耐荷重は200キロ以上だ。一歩ずつ慎重に行ったとして5分も掛からんから黙ってろ。」
そうは言うが、もしこの男が手を滑らせたり腕の力が無くなれば、私たちは成す術もなく落下死してしまうだろう。私自身、体重はそこまで重くないはずだが、60階建てのビルを腕の力と壁を蹴る足による支えのみで昇り降りするなど、この男は一体どのような訓練を受けているんだろうか。私は必死に思考を巡らせるが、誘拐事件に巻き込まれ、高所から地面を見下ろすという二重の恐怖に苛まれ、それどころではなかった。
──堅慎、助けて……!
§
「ふん、そういう小細工だったのか。下らねぇ真似しやがって!」
犯人グループの主犯格と思われる先程の誘拐実行犯が、私の白状した絡繰りを知って憤慨したように、大振りの平手打ちを私の右頬に叩き込む。
「うあっ……!」
その衝撃によって頬の内側が裂け、口内から出血する。しかし、私としては「くるま やまおく ちかば」と入力したつもりだったが、いつの間にかキーボードがアルファベットのテンキーに変わってしまっていたようだ。堅慎による咄嗟の判断で気が付いてもらうことが出来て、本当に良かった。だが問題は、誘拐犯が部屋に侵入した際にいつの間にか盗聴器を仕掛けていたことだった。
「しかしまあ、こんなこともあろうかと盗聴器を残してきて正解だった。お陰であんたの相棒が考えていることが、俺たちに筒抜けだぞ……?」
げらげらと下品な笑い声をあげるスパイ集団に、私は沸々と怒りが込み上げてくる。
「本当なら、今からあんたを拷問にかけて洗い
拙いことになってしまった。堅慎たちはきっと、盗聴器が仕掛けられていたために会話の内容が誘拐犯に丸聞こえになってしまっていることなど露知らず、手当たり次第に近場の山奥の車を目指して捜索活動を開始しているはずだ。再度ここから連れ去られてしまえば、いよいよ私の助かる道が途絶えてしまう。
そもそも、私のような一介の探偵風情に日本の弱みとなる情報など知る由もない。いくら菊水元議員のような国家の重要人物の依頼を受けてきた経験があるとはいえ、中国スパイが日本へと流入するためのヒントなど私には分かりようもないのだ。だが、そんなことを正直に話してしまえば、私は用済みとしてすぐにでも殺されるだろう。
「さあ茉莉花! 観念するんだな!」
絶体絶命の窮地に追いやられた私の心に、薄暗い過去のトラウマと底知れぬ絶望感が襲い掛かってくる。
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