Ep.30 実現した犯行予告

「白昼堂々とは、まさにこのことかしら。」


 たった今俺たちが滞在しているGBS本社ビルに宛てて届いたと思われる犯行予告状を眺めながら、心美は呆れたように溜息をつく。


「今うちの社員に周辺を捜索してもらってるけど、それらしい不審者は見当たらないみたい。」


 アイーシャによれば、予告状は本社ビルの1階・エントランスホールの観葉植物の植木鉢に差し込まれていたようで、その場所は丁度監視カメラの死角となっていたようだ。


「やはり犯人は、監視カメラの場所を把握して意図的に痕跡を残さないようにしている。一体何者なのかしら……。」


「犯人は自身の正体に繋がり得る証拠を一切残そうとしない一方で、犯行予告状は残して自身の存在をアピールしている……。」


「矛盾してるな……。」


 俺たちは犯人の行動を改めて振り返りながら、その目的を探ろうとするも、これといったアイデアは思い浮かばない。


「アイーシャ、予告状をもう一度良く見せてくれるかしら?」


 ──Tonight, we will receive the most valuable thing at the GBS head office building.

(今宵、GBS本社ビルにおいて最も価値あるものを頂戴する。)


 アイーシャは犯行予告が記された書状を心美に手渡して、俺にも分かるように内容を和訳して読み上げてくれる。


「GBS本社ビルの中で最も価値あるものねぇ。そんなもの、何かあったかしら……?」


「何か心当たりは?」


「うちは警備会社よ? 大して高価なものは置いてないはず……。」


「そもそも、金銭目的で強盗に及ぶならもっと他に行くべき場所があるはず。どうせ今回もただの悪戯なんじゃないの……?」


 経済的困窮などが動機ならば、文化的価値の高い芸術作品などが展示されている美術家や博物館、あるいは直接銀行にでも襲いにいけば良いだろう。警備会社で最も価値のあるものといったら、精々地下駐車場に停められている車両のうちのひとつだろうかと、俺は適当に当たりを付ける。


「あーでも、一個だけ思い当たる節があるかも……。」


 アイーシャは何か思い出したかのように、ぽんと手を打って発言する。


「なによ……?」


「少し前にね、警備依頼とは若干趣旨が違うんだけど、高価な宝石の入ったケースを数日間預かってほしいというお客さんが居たのよ。」


「宝石?」


「そうそう。家を数日開けるから、その間だけ自宅周辺を警備してもらうのでも良いんだけど、貴重品は宝石だけだからといって気を遣って本社までケースを持参してくださったの。それがビルの1階の貴重品保管庫に保管されているんだけど、最も価値あるものといったらそれくらいしか……。」


「なーんだ。あるじゃない。貴重品。」


「いくら慎重で掴み所のない犯人とはいえ、警備会社の貴重品保管庫から特定のものを持ち出すなんてことは不可能よ! 舐められたもんだわ!」


 俺たちは綿密な協議の結果、やはり予告状の内容はいつも通りの悪戯の一環に過ぎないという結論に達した。ただし、万が一ということもあるので、犯行予告に記されているように夜間は警備を強化するべきだろう。


「取り敢えず、ふたりとも夜までは部屋でまったり過ごしてて良いよ! 私はこれから予告状の対策を練るために社員を招集して臨時会議を執り行うわ。あ、ちなみに部屋は防音対策万全だから、騒がしくしても大丈夫よ……!」


 アイーシャはにやにやと揶揄うような笑みを浮かべて心美を見つめている。


「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行きなさいよ!」


「大人になったココミさんは、一体何を想像したんですかねぇー?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、心美は一刻も早く部屋から立ち去るようにアイーシャの背中を押して扉まで歩く。


「それじゃあ、ごゆっくりー!」


 去り際に笑顔で手を振るアイーシャを追い出して勢い良く扉を閉めた心美は、ぽすんとベッドに身を投げて、うつ伏せで枕に顔を埋める。


「アイーシャったらほんとに、デリカシーってものがないんだから……。」



 §



 時は経ち、早めの夕食を済ませて事務所から持参してきた食後のジャスミン茶を嗜んでいると、部屋の扉を優しくノックする音が聞こえる。返事をすると、アイーシャが何枚かの書類を持って入ってきた。


「どう? ここも居心地悪くないでしょ?」


「まあね。その紙は……?」


「契約書よ。」


 そう言ってアイーシャは、俺たちに差し向けるようにしてテーブルに1枚の文書を置く。記載されている内容は全て、俺にも理解できるように日本語で書かれていた。


「GBSを代表して私から提示する契約内容は、犯行予告状を送ってくる愉快犯の特定・確保を目的とする最長10日間にわたるよ。成功報酬は1,000万円から『犯人特定に掛かった日数×100万』を差し引いた額ってとこね。報酬額が無くなった時点で契約は終了でいいわ。着手金については、滞在中の旅費や宿代分を負担するので免除って事で良いかしら?」


「ちょ、ちょっと待ってください! 犯人を特定・確保するにも手掛かりがないことにはこちらも動きようがありませんよ……!」


 一聴する限り、契約内容は現在の俺たちにとって非常に魅力的なものだ。アイーシャは心美の探偵としての手腕を高く買っているため、破格の条件を提示してくれているのも理解できる。しかしながら、犯人特定に寄与する証拠が予告状を除いてほぼ見つかっていないため、ここで軽々しく安請け合いすることは双方にとって利益をもたらさない。


「大丈夫よ。契約の始期は貴方たちが決めていいわ。契約書も日本語で記載しておいたから、有事の際の準拠法も日本民法に設定してある。」


「それはつまり、犯人を捜し当てることができるという自信がついた時点で、書類にサインして良いってことかしら?」


「流石はココミ! 話が早くて助かるよ!」


 すると心美は、俺の方をちらりと見遣ると、テーブルに置かれたボールペンを手に取り一切の迷いなく書類に筆を走らせ署名した。


「はぁ……。そんなことだろうと思ったよ。」


「天才探偵たる私の辞書には『失敗するかも』なんて後ろ向きな言葉はないわ。アイーシャからのメールを受けてオーストラリアに飛んだ時点で、私と堅慎の意思は決まっているも同然よ。」


「それは頼もしいけど、本当に良いの? 手掛かりは本当に何もないわよ?」


 威勢良く啖呵を切ったは良いものの、アイーシャの言う通り、犯人特定に向けた道筋は依然として視界不良だ。心美には何か考えがあるのだろうか。


「詳しいことは明日考えるわ。今は犯行予告の通り、GBS本社ビルの警備を固めて相手の出方を窺いましょう。」


「分かった。ただね、突然の犯行予告で指定された場所がまさか本社だとは思わなかったから、予定よりも警備要員が確保できなかったんだよね。1階の貴重品保管庫の警備を強化するだけだから、そこまで人数は必要ないと思うんだけど──」


 アイーシャの説明を受けて、心美は俺の肩を叩き得意気な表情で頷く。俺はその真意が分からず、困り眉で首を傾げる。


「だったら、うちの堅慎を貸してあげるわ! 腕っ節だけは誰にも負けない最強の助っ人よ!」


「えぇ!?」


 俺は心美による予想外の提案に驚愕する。


「いいねぇ! それは助かるよ!」


 アイーシャは心美の提案を手放しで歓迎しているようだ。もはや俺には拒否するという選択肢は残されていなかった。


「勝手に決めてくれちゃって……。まあ、分かったよ。仮に犯行予告が悪戯じゃなく、のこのこ犯人がやって来てくれれば俺がこの手で捕獲して、晴れて依頼も達成できるって訳だしな。」


「わお、その意気だよ! よろしくねケンシン!」


 考え直してみれば、犯人がわざわざGBSの本丸に犯行予告を仕掛けてくるということは、何か裏があるに違いない。今まで通りの悪ふざけかもしれないが、そうではない可能性も十分に想定できる。


「予告状にはトゥナイトとしか書かれていないからね。もういつ犯人が来てもおかしくない時間だ。早速だけど、ケンシンには1階の貴重品保管庫まで付いて来てもらうよ。」


「心美、大丈夫か? 喉が渇いたらしっかり水分補給するんだぞ。独りきりで寝れるか──って、寝れないよな……。遅くならないうちに帰ってくるから暫く我慢していてくれ。」


「う、五月蠅いわね……! 言われなくても、私が言い出したことなんだから大丈夫よ!」


 心美は俺が目を離した隙に、すぐに消えて無くなってしまいそうな危なっかしさがある。彼女が1人で寝ているときに部屋を出て戻ってきたら悪夢を見て泣いていたり、水分補給を怠って熱中症で倒れていたりしていたところを見てきた俺は、彼女の傍に居ないとどうも落ち着かなくなってしまった。だが、心美は問題ないと訴えるような瞳で真っ直ぐに俺を見つめるため、俺は名残惜しむように彼女の頭を撫でてアイーシャの方に向き直り、部屋を後にした。



 §



「ちょっと、驚いたんだけど。ケンシンはココミの保護者なのかい……?」


 1階へと高速で向かうエレベーターの中で、アイーシャは先程の俺と心美の会話を聞いていたのか、訝し気な表情で尋ねてくる。


「心美はああ見えて、他人には想像もつかないほど壮絶な過去を抱えて、心に傷を負ってるんです。俺は、心美にはこれから一生幸せで居続けてほしいだけなんですよ……。」


 俺は簡潔に心美の身に起きた過去の事件や背景事情を説明する。アイーシャは、俺の話に口を挟むことなく黙って聞いていてくれた。


「そんなことが……。皮肉なもんだね。アルビノで日の光が苦手なのに夏に花を咲かせる茉莉花という姓を受け、と名付けた両親によって心に傷を負わされるとは……。」


「アイーシャさんの会社と同じですね……。」


「私はこの命に代えてもGBSをもう一度再生させたいと思っている。だから、ケンシンも必ずココミを幸せにしてあげるんだよ?」


「言われなくても、そのつもりです。」


 とは言ってみたものの、俺は改めて逡巡する。俺如きが心美を幸せにしてやることができるのだろうか。心美は昔からひとりぼっちで過ごしてきたため、俺以外に頼れる人間を知らなかっただけだ。探偵として地位も名誉も築き上げ、少しずつ頼れる友人にも恵まれるようになった心美にとって、俺は必要とされるべき人間なのだろうか。俺なんかに、彼女の傍に居続ける資格はあるのだろうか。俺が心美の傍に居座っていることで、彼女の幸せを知らず知らずのうちに奪っているのではないだろうか。


 脳内でにわか雨のように降り注ぐネガティブな思考によって生まれた泥濘ぬかるみに嵌って抜け出せなくなった俺は、エレベーターの目的階への到着を知らせるベルの音でふと我に返る。貴重品保管庫に案内された俺は、アイーシャと共に手薄となっていた正面の入り口付近を陣取って警備に当たった。



 §



 彼此5時間が経過したかというところ、アイーシャとの積もる話もネタが尽きてきたかと思い始めていた俺は、犯行予告はやはり今回もたちの悪い嫌がらせだったのだろうと勝手に結論付けようとしていた。長時間の警備によって集中力が途切れ、完全に油断していた俺はその間隙を突かれることとなる。


「ボス!」


 何やら血相を変えて駆け寄ってきた警備員が、アイーシャを呼んで英語で会話している。すると、当の警備員は先の予告状と似たような便箋をアイーシャに手渡す。次の瞬間、彼女も同様に顔を青褪めさせて俺に通訳する。


「ケンシン! これを見てくれ!」


 アイーシャが俺の眼前に突き付けた書状には、俺の拙い語学力でも分かるようなシンプルかつ驚愕すべき一文が記されていた。


 ──Objective achieved.

(目的は達成された。)


「なんだと……!?」


 俺たちは急いで貴重品保管庫を開錠して中を確認する。しかし、生気を失った表情で慌ただしく宝石の入ったケースの中身を見たアイーシャの顔には、すぐに安堵の色が浮かんだ。


「何も盗まれていない。当たり前だけど、保管庫の中には誰も侵入した形跡がない……。」


 一体どういうことだろうか。「GBS本社ビル内で最も価値あるものを持ち出す」という予告をして「目的を達した」という書状まで出て来たということは、犯人は間違いなくつい最近までこのビルを訪れていた。犯人にとってとは何なのだろうか。


 刹那、俺の脳裏には落雷のような閃きがよぎった。だが、それは俺にとって的中していないことを願って止まない最悪の予感だった。俺はいつの間にか、無意識のうちにアイーシャを置き去りにして全力で走り始めていた。

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